ガーデンプロジェクト

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魔導器技師ジョニー

著:渡辺恒彦

 浮遊大陸《アーケイン=ガーデン》より飛空艇で二日ほどの距離にある大きな浮遊島。
 その本来は静かな森の中に、今賑やかな声が上がっていた。

「ブモウウウ!」

「ひいい、来た! なんか来た!」

牛頭鬼ミノタウロスだ! 逃げろ、俺たちじゃ逆立ちしても勝ち目なんかねえ!」

 追いかけるのは、《闇の眷属けんぞく》である牛頭鬼ミノタウロス
 その名の通り、牛の頭を持った巨人である。
 人間と比べると頭二つ以上大きなその体躯たいくは、分厚い筋肉で覆われており、鍛えられた冒険者でも、不要に接触すれば敗北は免れない。
 一方、その牛頭鬼ミノタウロスから必死の逃亡を図っているのは、若い人間の男女である。
 年の頃は、どちらも十代の後半くらいだろうか? 
 どちらも野外活動を念頭に置いた、いかにも動きやすそうな厚手の革服を身に着けているあたり、誤って迷い込んできたというわけではなさそうだ。
「近づいてる、近づいてるよう!」
「泣き言いってる暇に、逃げるんだよ!」
 二人は、必死に密林の中を逃げ惑う。
 このような密林での追いかけっこでは、巨体が災いするため、野外活動になれた人間ならば牛頭鬼ミノタウロスから逃げ切ることも決して不可能ではないのだが、この二人の場合は、それも少しばかり難しそうだ。
「お、重い……!」
「泣き言いうなって言ってんだろ!」
 なぜならば、二人は大きな《魔導器》らしき品を、担いで移動しているのである。
 木の枝をロープで縛った簡易的なタンカのようなモノの真ん中に、丸い大きな《魔導器》を載せ、前を男、後ろを女が担ぎ、エッホエッホと運んでいる。
 さながら、小さな御輿みこしを担いでいるような姿だが、後ろから命を狙う牛頭鬼ミノタウロスが追いかけているのだから、そんな呑気のんきな状況ではない。
「ブモッフウウ!」
「ひいいっ!」
 気のせいか、牛頭鬼ミノタウロスの怒声と共に生臭い獣のにおいを鼻腔びこうに感じた少女は、コミカルなほどの甲高い悲鳴を上げる。
「ッ、逃げ切れねえか」
 一方、男はもう少し余裕がある。それは、「いざとなれば、《魔導器》を諦めれば逃げ切れる」という理性的な判断によるモノだ。
 《魔導器》を諦めると言うことは『依頼失敗』を意味するが、流石さすがに命にはかえられない。
「おい、リジー。もう無理だ。諦めろ」
「ああ、もう! 分かったわよ、ジョニー」
 御輿の前を担ぐ少年――ジョニーの言葉に、後ろを担ぐ少女――リジーは涙声で、同意する。
「よし、せーので放り投げるぞ。せーの!」
「ほっ!」
 投げ落とされたことで、担ぎ用の木の枠は無残に壊れたが、肝心かなめの《魔導器》はドスンと重い音を立てただけで、破損した様子はない。
「……よし、いける。諦めるのはまだ早い! 装填ロード!」
 それを見たリジーは、すぐに決意を固めると、腰のベルトから《魔導杖ワンド》を取り出す。
「おい、リジー!?」
 悲鳴じみた声を上げるジョニーを尻目に、リジーは慣れた手つきで《魔導杖ワンド》を振り、
発動リリース!」
 魔法を発動させた。
 次の瞬間、重たげに草を潰していた《魔導器》がゆっくりと浮き上がる。
 その見た目の通り、《浮遊レビテーシヨン》の魔法だ。
 魔法で一時的に重量を消した《魔導器》を、リジーは雄々しく両手で持つ。
「うん、これならどうにか」
 そう言うとリジーは、再び密林の中を走り始める。
「おい、そんな無茶な真似まねして、魔力は持つのか? そもそも、さっきよりは速いけど、それでも逃げ切れねえだろ」
 一生懸命走るリジーに併走しながら、ジョニーは心配そうにチラチラと後ろを振り返る。
 先ほどと比べると随分移動速度は上がっているが、それでも客観的に見れば牛頭鬼ミノタウロスの方がまだ速い。このペースでは、いずれ追いつかれることに、変わりはない。
 そんなジョニーの心配に、リジーは満面の笑みを浮かべると、
「まっすぐ行けば、魔力はギリ持つ。いや、持たせる。それで、逃げ切れない件に関しては……」
 この時点で、ジョニーはすでに嫌な予感がしていた。
 往々にして、嫌な予感というのは滅多に外れないモノである。

「ジョニー。ここは、貴方あなたに任せるわ! 私は先に行くから、貴方はここで足止めして!」

 キリッとした表情で、案の定無理難題を押しつける少女に、ジョニーは怒声を返す。
「そういう台詞せりふは、残る側が自主的に言い出すもんだ! 先に逃げる側が言い出すんじゃねえ!」
「適材適所よ!」
「理屈は分かるが、感情が納得いかん!」
 そんな言い合いをしながらも、速度を上げるリジーに対し、ジョニーは素直に足を止めて、後ろに向き直る。
「ブモッ!」
「ああ、クソ。この分は追加料金だからな!」
 そう吐き捨てたジョニーは、腰の麻袋に手を突っ込み、素早く取り出した石を真っすぐ駆け寄る牛頭鬼ミノタウロスに投げつけた。
 たかが投石、と馬鹿には出来ない。鍛えた人間の投石は、十分な武器だ。
 ジョニーも過去には、子鬼ゴブリンを投石の一撃で仕留めた経験がある。今の一撃は、その時の一撃に勝るとも劣らない。
 しかし、ジョニー渾身こんしんの投石は、見事牛頭鬼ミノタウロスの顔面をとらえたものの、残した成果はガツンという重い音と、さらなる怒号だけであった。
「ブモウウウ!」
「くそ、何だと、ガツンって。岸壁にぶっつけたような音立てやがって!」
 毛ほどもダメージは通っていないが、どうやら痛覚を刺激することには成功したらしく、牛頭鬼ミノタウロスは明らかに敵意をジョニーに向けている。
「ああ、ったく、一応は成功って事だな。ほら、牛野郎、こっちだ!」
 ジョニーはそう言うと、リジーが逃げたのとは違う方向へと、逃げ始める。
「ブモッ!」
 身軽なジョニーにとって、余計な荷物さえなければ、森の中で牛頭鬼ミノタウロスから逃げ切るというのはそう難しいことではない。
 だが、今はおとりという役割を果たすため、つかず離れずの距離を保ちながら、逃げる必要があり。

「ああ、やっぱええ! 畜生、なんでこんなことになったんだ!?」

 泣き言を漏らすジョニーは、背中に牛頭鬼ミノタウロスの怒声を背負いながら、ここに至った経緯けいいを思い出すのだった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆

「腹……減った……なあ……」
 薄暗い店内で、だらしなく椅子に座ったままジョニーは、万感の思いを込めて、そうつぶやいた。
 ここは《アーケイン=ガーデン》貧民街の一角に設けられた、魔導器工房である。
 工房と販売店舗を兼ねているのは、ジョニーのような、個人経営店ならば、当たり前を通り越してむしろ必然とさえ言えるのだが、それにしても店内はあまりに小汚く、客を迎え入れる店舗としては、最低点を大幅に下回る落第点と言うしかない。
「畜生、大事な設備が、食い物に見えてきやがる……」
 魔導器の製造・修復のための工具は十分に高価な品だ。この工房にある道具を売り払えば、当座の生活費にはなる。こうして、すきっ腹を抱えて、切ない思いをしている必要はない。
 だが、それをやってしまえば、ジョニーの魔導器技師としての人生は振り出しに戻る。
 たとえ、食費を三日で二食までに切り詰めても、それだけはやるわけにはいかない。
「クソ、客がこねえ……なんでだ?」
 ジョニーの魔導器技師としての技術は、完全な独学だが、腕には自信がある。
 壊れて廃棄された魔導器を拾ってきてつなぎ合わせて、格安な魔導器を作って売るというアイディアも、我ながら秀逸だったと思っている。
 しかし、現実問題として、客はいない。
 性能の割りには、破格の安さだと自負しているのだが、全くと言っていいほど、客が来ないのだ。来るのは、ごく一部の常連客のみである。
 ジョニーは気付かない。魔導器というのは本来ある程度の高級品であり、貧民街の奥まった店に、破格の安値で取り扱っている魔導器など、一般人から見れば「胡散臭うさんくさい」の一言であり、とてもではないが足を伸ばそうとは思わない、という純然たる事実を。
 典型的な、技術はあるが、商売が下手な職人の商売であった。
「また、冒険者に逆戻りか? いや、もう少し、もう少しだけ頑張れば……」
 空腹に負けないよう、気力を振り絞り、そうやって自分に言い聞かせているときだった。

「失礼しまーす、《ジョニー魔導器工房》はこちらで間違いないですか!? お仕事、お願いしたいんですけどー?」

 明るく甲高い少女の声に、ジョニーはガバリと椅子から立ち上がり、咳き込みながら声を上げる。
「はい、間違いないです! いらっしゃいませ、お客様!」
 お客様は神様。
 少なくとも、今のジョニーには、玄関を開けて入ってきた、小柄な少女が正真正銘の《救いの神》に見えた。

 串焼きとサンドウィッチ、フライドポテトに焼き林檎りんご。最後に少しぬるくなった生姜飲料水ジンジヤーエールを一息飲み干したジョニーは、さっきまでとは打って変わった胡乱うろんげな目で、対面に座る少女を見る。
 少なくとも、神を見る目ではない。
「で? お前は何者だよ?」
 腹が満たされれば、魔導器工房に仕事を依頼に来るのに、山盛りの食べ物を『たまたま』持ってきたというのが、どれくらい無理のある説明であるかは、ジョニーにも分かる。
 依頼人である少女は、悪びれる風もなく、朗らかな笑みをもってこたえる。
「私? 私はリジー。リジー商会の代表様よ!」
 薄い胸を張ってそう言う言葉を、ジョニーは頭の中で反芻はんすうする。
「商会の代表? アンタが?」
 十代後半の自分とほぼ同世代に見える少女――リジーの宣言に、ジョニーは胡散臭げなモノを見る目を向ける。
 実際、この年頃で商会の代表という肩書きはかなり不釣り合いなことは確かだ。
 だが、そんな視線にも少女は慣れているのか、毛ほどの動揺も見せずにハッキリと首肯する。
「そうよ。貴方がジョニー魔導器工房の工房主であるのと同じくらい、私はリジー商会の代表よ」
「なるほどね、そういうことか」
 リジーの答えにジョニーは得心がいったようにうなずいた。
 商会の代表と言われれば仰々しいが、商会と一言で言っても、その規模は千差万別だ。
 極端な話、評議会が届け出を受理していれば、大広場で串焼きを売っている親父も、立派な商会の代表と言える。
「それで、弱小商会の会長様が、弱小工房の工房主にどんなようだ? わざわざ、弱り切ったところにこんな物をもって来やがって」
 ジョニーは、誘惑に負けて空っぽにしてしまった皿をにらみながら、吐き捨てるような口調でそう問いかけた。
 安っぽい屋台の食べ物でも、今のジョニーにとっては不本意ながら、干ばつの雨に等しい。
 最初からこちらの弱みにつけ込んできたリジーは、もの凄く胡散臭いが、それでも話を聞かずに追い返すことは出来ないくらいの、負い目を感じてしまう。
 そんなジョニーの不機嫌そうな様子にも、リジーは全く動じることなくいかにも商人らしい、人好きのする笑顔で答える。
「それはもう、貴方にしか出来ない、特別な仕事を依頼するためよ。口で説明するのは大変だから、ちょっと付いてきて貰える?」
 貴方にしか出来ない、特別な仕事。
 その言葉に、胸躍らせる者がいるとしたら、それはよほどの世間知らずか、自意識過剰な自信家だけだ。
 そのどちらでもないジョニーであったが、現状依頼をえり好みできる身分ではない。
「分かった。案内してくれ」
 結果、ジョニーには、素直に少女の後を追うしか、選択肢はないのだった。

 リジーとジョニーが向かったのは、《アーケイン=ガーデン》が誇る港湾部だった。
 上空を悠然と飛ぶ飛空艇や、桟橋に響く人足達の威勢の良い声を尻目に、リジーは迷いのない足取りで港の端の方へと歩み進む。
 リジーが向かったのは、飛空艇の保管・修理用のドックが建ち並ぶ一角だ。その中でも奥まった、小さな保管ドックの前で、リジーは自慢げにポケットから魔導鍵を取り出す。
「こっちよ」
 飛空艇を出入りさせる巨大な両開きの扉の前に立つジョニーに、小さな物資運搬用の扉の前に立つリジーはそう声をかけて、呼ぶ。
「おっと、わりい」
 リジーがカード型の魔導鍵を、細いスリットに通すと、ガチャリと鈍い音を立ててその扉は解錠された。
 扉を潜ると、何の前置きもなく、そこは飛空艇の保管ドックである。
 薄暗い中、リジーが手探りで壁のスイッチを入れると、天井につるされている照明の魔導器が点灯する。
 照明の魔導器の白色光に照らし出されたそのシルエットを見て、ジョニーはポツリと呟く。

「これは、飛空艇か? けど、なんだ、この変な形は? まるで風車みてえだ」

 風車みたいというジョニーの表現は、的を射ていた。
 その飛空艇には、船体の上下左右に一枚ずつ、合計四枚の帆が張られていた。
 正確には、細かな帆は他にも複数枚存在しているのだが、一見して目立つのはその四枚の帆である。
 船体の上下左右に一枚ずつ、同型の帆が張られているその姿は、なるほど風車を連想させる。
 言うまでもなく、一般的な飛空艇とは全くシルエットが異なる。
 ジョニーが視線を飛空艇に奪われている間に、いつの間にか隣にやってきたリジーが自慢げに口を開く。

「そう、これが今私が開発している新型の飛空艇。
 魔導器動力の役割は、浮力と姿勢制御だけに限定して、推力として風を利用する。
 そうすることで、製造コストも、ランニングコストも従来の飛空艇の十分の一以下までに抑えられるはずなのよ」

 その分、速度や小回りなんかは、遥かに劣るのだけれど。最後にリジーは少し小さな声でそう付け加える。
 魔導器技師であるジョニーにはその説明だけで、目の前の飛空艇のコンセプトが理解できた。
「なるほど。この四枚の帆で風を受け止めて、推力にするのか。確かに、合理的だ。
 浮力だけなら、複雑な魔導器はいらねえ。《浮遊レビテーシヨン》に特化した大型の魔導器なら、従来の飛空艇の魔導器動力より遥かに安く出来るし、稼働させる際に必要とされる魔素燃料も極小だ。
 けど、こんなでっかい帆を四方向に張り巡らせたら、気流に飲まれて姿勢がぐちゃぐちゃにされちまうぞ? 姿勢制御を魔導器に頼ったら、元の木阿弥もくあみなんじゃねえか?」
 早速専門的な突っ込みを入れるジョニーに、リジーは我が意を得たりと言わんばかりに、嬉しそうに答える。
「そこよ。確かに姿勢制御を魔導器に頼っていては、本末転倒。もちろん、安全のためにも突発的な風の変化や、微調整については魔導器に頼らざるを得ないんだけど、通常運航はもっと省エネで行かなければならない。
 そこで研究を進めた結果、四枚の大帆と十六枚の小帆を巧みに操作することで、推力だけでなく姿勢制御も、帆だけで可能になったのよ。
 残る問題は、その現在吹いている風に対して『どのように帆を張ることが最適であるのか、可能な限り素早く答えを出し、全ての帆をその通りに張り直す』魔導器が必要なの」
「……なるほど、帆を動かすだけなら単純作業だし、演算能力に特化した魔導器なら、かなり安く上がる、か?」
「できる!?」
 ジョニーの独り言に、リジーが半ばくい気味に問いかける。
「お、おう。技術的にはかなり難しいけれど、発想はすげえ単純だからな」
 自信を持って頷くジョニーに、リジーは満面の笑みで宣言する。
「よし、それなら改めて、ジョニー魔導器工房の工房主ジョニーに、依頼するわ。
 この新型飛空艇の、《全帆制御用演算魔導器》を作って頂戴。期限は一ヶ月」
 一ヶ月という期限に、ジョニーは渋い表情を浮かべる。
「一ヶ月はちょっと短くねえか? 構造は単純とはいっても、全く新しい魔導器なんだ。出来れば、三ヶ月、最低でも二ヶ月は……」
 と交渉を持ちかけるジョニーに、リジーはきっぱりと首を横に振る。
「駄目よ」
「いや、駄目って」
「正確に言えば、駄目じゃなくて、無理よ」
「無理?」
 聞き返すジョニーに、リジーはスッと視線をらしつつ、素直に白状する。

「来月の格納庫のレンタル料を払うと、私の資金も底をつくの。だから、何が何でも、それまでに完成させないと」

「ちょっとまて、コラ。なんだそれ?」
 自分と大差ないレベルで切羽詰まっているリジーの事情を聞かされたジョニーは、あからさまに顔を引きつらせる。
 開き直ったリジーは、堂々と胸を張り、宣言する。
「大丈夫。一ヶ月後に飛空艇で荷運びの仕事は取ってあるし、仕事の運転資金は別にプールしてあるわ。一ヶ月以内に、この飛空艇さえ完成すれば、全ては問題なく回るのよ!」
「肝心の飛空艇が完成する前に、飛空艇前提の仕事を取ってるなんて、とんでもねえ綱渡りじゃねえか!」
 この女やばい。遅まきながら、そう確信したジョニーであったが、生憎あいにくとすでにジョニーに逃げ場はなかった。
「うふふ、探してたのよー、私と一蓮托生いちれんたくしょうになってくれる、腕の良い魔導器技師。
 あくまでこれは仕事の依頼だから、断ってくれても良いけれど、引き受けてくれたら、魔導器が完成するまでの、生活の面倒は見るわよ。
 ここのレンタル料と比べたら、人一人の生活費なんて、誤差の範囲内だし。全額後払いだけど、報酬だってちゃんと払うわ」
「う、ぐ……このアマ」
 全額後払い。しかも依頼主は、ジョニーが仕事を成功させなければ、一ヶ月後に素寒貧すかんぴんになるのだから、冷静に見れば最低に近い依頼である。
 しかし、今のジョニーはそれを突っぱねられる立場にはない。
 どれだけ悪条件であっても、彼女はジョニー魔導器工房にやってきた数ヶ月ぶりの客なのだ。
 そして、ここでリジーの依頼を突っぱねて帰ったところで、次の依頼人が来る可能性は限りなくゼロに等しい。
 さらに、リジーはたたみ掛ける。
「演算魔導器は、新型飛空艇の心臓部。だから、新型飛空艇が完成した暁には、目立つところに製作者として《ジョニー魔導器工房》の名前を入れるわ。
 良い宣伝になると思うんだけど?」
 それは、ジョニーには非常に魅力的な提案であった。
 ジョニーは自分の魔導器技師としての腕は、表通りに看板を掲げている連中に全く負けてないと自負している。
 明らかに足りていないのが接客技術で、致命的に足りていないのが宣伝技術だ。
 新型飛空艇は、その奇異な外見上、絶対に目立つ。そこに、《ジョニー魔導器工房》の名前が記されていれば、この上ない宣伝となるだろう。
 もちろん、それは諸刃のつるぎである。
 新型飛空艇が無様をさらせば、《ジョニー魔導器工房》の名は悪名としてとどろいてしまう。
 だが、それでもジョニーにとって、それは現状を打破する唯一の道に見えた。
「……分かった。受けてやるよ」
 ジョニーの答えに、リジーは、「獲物を仕留めた」と言わんばかりの、人の悪い笑みを浮かべる。
「おっしッ! 聞いたからね、今から拒否は出来ないからね」
「おう。不本意だけど、今この時より、俺とアンタは一蓮托生だ」
「分かってるじゃない、その割り切り方、好感が持てるわ。
 それじゃ早速だけど、飛空艇のコアとなる《大型演算魔導器》の回収に行きましょう」
「了解だ。その《大型演算魔導器》はどこにあるんだ?」
 ジョニーの何気ない問いかけに、リジーは何気ない口調で答える。
「うん、とある離島の密林の中にあるわ。でも、大丈夫ッ。私と貴方で力を合わせれば、回収できるはずっ!」
「おい……ちょっとまて、こら?」
 半眼で睨むジョニーの圧力に屈したように、リジーは視線を斜め上に向けながら、白状する。
「あー、うん。今から一年ちょっと前だったかな?
 ある商会が演算魔導器を運搬中に、飛空艇にトラブルがあって、浮力を確保するためやむを得ず、投棄したのよ。
 当時の飛空艇の高度、下が密林だったこと、そして梱包された状態のまま投棄されたことを合わせて考えると、この魔導器は生きている可能性が高いわ。
 しかも、投棄した時点で販売先も、運搬を担当した商会も、本来の搬入先も、所有権を放棄しているから、自力で回収してくれば、合法的に私達のものになるわッ!」
「回収から俺にやらせる気か!?」
 ジョニーの怒りの声を無視して、リジーは続ける。
「大丈夫、私も簡単な論理魔法なら使えるし、弱小商人の常として、冒険者としての経験もあるわ。
 貴方も、ぶっちゃけ魔導器工房の工房主より、冒険者の方がキャリア長いでしょ?
 私と貴方が力を合わせれば、無人の浮遊島から魔導器を回収してくるくらい、朝飯前よ。ね? 私達、『一蓮托生』でしょ?」
 ジョニーは思った。
 にんまりと笑うこの少女に向かって「断るッ!」と言い切ることが出来れば、どれほど爽快だろうか、と。
 だが、現実問題として、リジーが言う『一蓮托生』という言葉は、そのまま正鵠を射ていた。
 ここで断るということは、そのままストレートに魔導器工房を閉店することを意味する。
 ジョニーは、苦汁だの苦虫だの、とにかくもの凄く飲み込みがたい物をまとめて飲み込むと、
「ああ、分かった。やってやる、やってやるさ!」
 とやけになったように叫ぶのだった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 そして今。
 無人浮遊島の密林の中を彷徨さまようこと数日。無事、目的の『演算魔導器』を発見したジョニーとリジーは、その喜びを噛みしめる間もなく、牛頭鬼ミノタウロスに追い回されていた。
 正確には、現在追いかけられているのは、囮役のジョニーだけで、リジーは『演算魔導器』を《浮遊レビテーシヨン》の魔法で浮かせて、そのスキに一生懸命逃げている。
「ブモウウ!」
「畜生、畜生、あん畜生! 帰ったらぜってー、山ほど追加料金ふんだくってやる!」
 ジョニーは全力で逃げていた。だが、残念ながら全速ではない。
 樹木がうっそうと茂るこの密林の中を、ジョニーが全速で逃げ回れば、後ろを追いかける牛頭鬼ミノタウロスを振り切ってしまう。
 それはまずい。
 本人にとっては甚だ不本意ながら、ジョニーは囮だ。
『演算魔導器』を担いで逃げているリジーが安全圏に到達するまで、牛頭鬼ミノタウロスの注意をこちらに引きつけておく必要がある。
 だから、
「おら、こっちだ!」
 定期的にジョニーは速度を緩めて、後ろを追いかける牛頭鬼ミノタウロスに石つぶてを投げつける。
「ブモッ!? ブモウウウ!」
「ああ、畜生、やっぱ怖ええ!」
 密林の中という状況に限れば、素早さと小回りを活かして、どうにかこうして牛頭鬼ミノタウロスを翻弄できているジョニーだが、生憎とジョニーは本職の戦士ではない。
 万が一にでも、牛頭鬼ミノタウロスの攻撃をその身に受ければ、かすっただけでもジョニーの命はない。
 九分九厘当たらないが、当たれば一撃で命がない攻撃に、身をさらし続ける恐怖。
 なまじ、全力で逃亡を図れば逃げ切れるだけに、囮役としてつかず離れずを保つのは、多大な勇気と、自制心が必要とされる。
「もう、いいんじゃねえか? なあ、もういいよな? もう、あの馬鹿女も逃げ切れただろ? って、うわっ!? かすった! 今、かすった!」
 速度を落としすぎたのか、牛頭鬼ミノタウロスの拳で後ろ髪数本を吹き飛ばされたジョニーは、恐怖に負けて、一気に加速する。
「って、やべえ!?」
 視界の悪い密林の中、急加速して開けた先に見えたのは、唐突に広がる切り立った崖。
 急停止も方向転換も間に合わない。
 一瞬でそう判断を下したジョニーは、逆に加速して、勢いよく空中にその身を躍らせる。

「ッ! 射出シユート!」

 そして、空中で右腕に装着している《魔導器》を稼働させた。
 ジョニーの右腕に、籠手こてのように装着されている《魔導器》から、分銅付きの鋼線ワイヤーが射出される。
 分銅付き鋼線ワイヤーは、ジョニーの目論見通り、頭上の枝に絡まり、即席の命綱となった。
 そして、少し遅れて同じところにやってきた牛頭鬼ミノタウロスには、そのような特殊装備があるはずもなく。
「ブモッ!?」
「おっし、災い転じて福となす、ってか」
 鋼線ワイヤーを命綱に、絶壁に張り付くジョニーの横を、牛頭鬼ミノタウロスの巨体が転がり落ちていく。
 タフさには定評のある牛頭鬼ミノタウロスが、落下のダメージだけで即死しているとは思えないが、流石に無傷と言うことはないだろうし、この崖下からい上がってくるのは相当な時間を要することだろう。
「流石にここまでやったら、あの女が逃げ切れるだけの時間は稼げただろう。巻戻ロール
 《魔導器》のウインチ機能でゆっくり、崖上に体を戻しながら、ジョニーは念のため、下に落ちた牛頭鬼ミノタウロスを見る。
 案の定と言うべきか、牛頭鬼ミノタウロスは死んではいないが、まだ立ち上がれずにブモブモとうめきながら、体を震わせている。
「よし、大丈夫そうだな」
 枝に絡まっていた分銅をとき、崖の上に降り立ったジョニーはそのまま素早い身のこなしで、先に逃げたリジーの後を追うのだった。

「……なあ、お前何やってるんだ?」
 無事合流を果たしたジョニーは、半眼であきれたような声を上げる。
 視線の先にいるのは、大きな《演算魔導器》を肩に担ぎ、顔面を紅潮させて、ジリジリと前に進むリジーの姿。
「見て……分かんないの? 《魔導器》……を、は、運んでるの……よッ!」
「《浮遊レビテーシヨン》の魔法はどうした?」
「魔力なんて、とっくに……つ、尽きたわッ!」
 じゃあ諦めろよ。そう言いたい突っ込みを、ジョニーはぎりぎりのところで飲み込んだ。
 途中まで二人で運んでいたジョニーには、その《魔導器》が女一人の手に負える重量ではない事を、身にしみて理解している。
 牛頭鬼ミノタウロスはジョニーが引きつけていたが、この密林にむ危険な生き物は、あれ一匹とは限らないのだ。
 文字通り、体を張って命をかけているリジーの奮闘に、ジョニーは内心で少し、この若すぎる商人を見直した。
(そうか。新型飛空艇に、人生がかかっているのは俺だけじゃない。こいつにとっても、同じなんだ)
 正確に言えば、ジョニー以上だ。
 ジョニーは確かに素寒貧で、この依頼に失敗すれば魔導器工房をたたむ必要がある。だが、所詮それはゼロになるに過ぎない。
 一方リジーは、今回の新型飛空艇が完成する前提で、運搬の仕事を取ってしまっている。
 期日までに新型飛空艇が完成しなければ、ジョニーは最悪でも、その日暮らしの冒険者家業に逆戻りなだけだが、仕事の前金も飛空艇建造費につぎ込んでいるリジーは、娼館の一室で、愛想笑いをしていることになるかも知れない。
「ああ、とりあえず、あの牛頭鬼ミノタウロスは崖下にたたき落としてきたから、焦る必要はねえ。ほら、《魔導器》を一度下ろせ。
 そこら辺の木を組んでまた、タンカを作るから、出来上がるまでお前は少し休んでろ」
 溜息交じりにジョニーはそう言うと、強引にリジーが背中に担いでいる《魔導器》を草地に下ろすのだった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 牛頭鬼ミノタウロスさえ振り切れれば、後は単純な体力勝負である。
 どうにか無事、《演算魔導器》の回収に成功したジョニーとリジーは、《アーケイン=ガーデン》のレンタル格納庫へと帰還を果たした。
 数日間密林を彷徨い、ばかげて重い《演算魔導器》を二人で運び、あげくには牛頭鬼ミノタウロスから命からがら逃げて来たのだから、通常ならば一日二日は全面的な休日に充てたいところだが、生憎と今のジョニーとリジーに、そのような時間的余裕はない。
「時間がない。ぶっつけ本番で、修理も改良も設置も、全部飛空艇の中で行う」
「了解っ。貴方はそっちに専念して。必要なモノはこっちで全部用意する」
 ここまで来たら、掛け値無しで一蓮托生のジョニーとリジーは、お互い遠慮という言葉を時空の彼方かなたに放り投げた。
「食事は、片手で食べられるモノを頼む。寝床はいらん。そんな暇はない。代わりに清潔な毛布を一枚。
 後、鍵を渡すから俺の工房にあるジャンク魔導器を一切合切こっちに持ってきてくれ。
 こいつは思った以上の拾いモノだったけど、それでも風読み、帆の最適化には演算能力はどれだけあっても足りないんだ」
「分かった、すぐ行ってくる!」
 リジーが元気にかけだしていったところで、ジョニーは静かに腕をまくる。
「よっし、それじゃ始めるとするか。とりあえず、三徹は覚悟だな」
 ある意味、先ほどまでの冒険に勝るとも劣らない難事なのだが、ジョニーの表情は打って変わって明るい。
 やはり自分は冒険者ではなく、魔導器技師だ。少なくとも、嗜好はそうであると確信しつつ、ジョニーは《演算魔導器》に手をかけるのだった。

 すでに外形は出来上がっているとはいえ、《演算魔導器》の設置と修理と改良をぶっつけ本番で同時進行するというのが、どれだけの暴挙であるかは、専門家でなくとも何となく理解は出来るだろう。
 中枢となる《演算魔導器》を飛空艇の中心部に設置し、破損部位を修理し、足りない能力をジャンク《魔導器》をいくつも並列接続することで無理やり補う。
 まともな技術者ならば、端的に「順番を間違えている」と指摘するでたらめだ。
 普通は、修理、改善を経て、その魔導器に十分な能力がある事を確認して初めて、船に設置する。
 まともなやり口ではないことは間違いないが、それでも期日までに間に合わせるには他に方法はない。
 そんな邪道なやり方で、わずか二十日ほどでとりあえず最低限、演算魔導器を完成させたジョニーは、確かに本人が自負するだけの腕があると言えた。

 それから数日後。
 端的に言えば、ジョニーは《新型飛空艇》の動力室に住み着いていた。
「よっし、大体の形は見えてきた。これでどうにか演算能力は足りそうだ。まずは一度形にしてみるか」
 天井から吊された、照明の魔導器の白色光だけを頼りに、冷たい床であぐらをいたジョニーは黙々と魔導器に手を加え続ける。
 四枚の大帆と十六枚の小帆を、周囲の風向きに合わせて操作する為の、《演算魔導器》。
 ジョニーとリジーが命がけで拾ってきた《大型演算魔導器》は、かなりの高性能ではあったがそれでもなお、《新型飛空艇》の頭脳としてはまだ若干の不足がある。
 その不足分を補うため、ジョニーはジャンク品の魔導器をかき集めて、能力の底上げを図っていた。
 演算専用の魔導器でなくとも、魔導器であれば、ある程度の演算能力は内包している。その演算能力だけを修復し、無理やりつなげることで、補助の演算魔導器として活用しようというコンセプトである。
「小帆の微調整は計算が難しすぎるから、メイン演算装置に任せるしかないとして、四枚の大帆には、ジャンク魔導器の中でも出来の良い上位四つを専属に回すか。
 その計算結果をメイン演算装置で転送して再計算して、最適化したのを別のジャンク魔導器でもう一回演算処理して……」
 ブツブツ呟きながら、ジョニーは両手にもつ工具で、ジャンク魔導器をバラし、削り、つないでいく。
 そんなジョニーの手が止まったのは、後ろから聞こえてくる足音と、鼻腔をくすぐる甘い匂いを察したからであった。
「おう、差しいれか?」
 振り向いてそう言うジョニーに、リジーはあからさまにホッとした顔で、頷き返す。
「うん、揚げドーナツ。甘い物好きって言ってたよね。今は話しかけても大丈夫?」
 リジーがそう確認するのも無理はない。
 昨日、同じように差しいれを持ってきたときは、殺されそうな目で睨まれて「気が散る。帰れ」と追い払われたからだ。
 だが、今日のジョニーは打って変わって上機嫌に、差しいれを持ってきてくれたリジーを笑顔で迎える。
「おう、大丈夫だぞ。もう、一段落したから」
 その様子に、どうやら本当に山は越えたのだと確信したリジーは、笑顔でお茶の入ったカップ二つと揚げドーナツをのせた盆を、床に置く。
 盆を挟むようにしてリジーも床に腰を下ろし、お茶の入ったカップを手に取る。
「間に合いそう?」
「おう、任せとけ」
 たっぷり砂糖のかかった揚げドーナツを二口で飲み込んだジョニーは、グッと右手の親指を突き出し、自信ありげな表情でそう答えた。
「…………」
「…………」
 しばしの間、ジョニーとリジーはドーナツとお茶で、休息を取る。
 まだまだ予断は許さないが、期限までの完成の目処めどはついてきた。
 甘い食べ物と熱い飲み物でエネルギー補給を終えた二人は、短い休息時間に会話を交わす。
「ねえ、そう言えば聞きたかったんだけど。貴方はなんで、ここまでして工房を維持しようとしているの? 
 もちろん、魔導器技師としては良い腕をしていると思うけれど、それ以外は工房の主として致命的に能力が足りてないわ。総合して見ると、冒険者の方が向いていると思うんだけど」
「随分とハッキリ言ってくれるな……」
 苦笑しつつも、自覚のあるジョニーはリジーの評価を否定できない。
 実際、ジョニーはそれなりに腕の立つ冒険者である。
 戦闘力は決して高くないが、索敵能力が高く、身軽で、最低限の自衛能力は有している。
 ジョニーが冒険者一本で生きていこうと思えば、今よりはよほど安定した生活が出来ることだろう。
 だが、ジョニーにその選択肢はない。
 少し冷めたお茶を一気に飲み干したジョニーは、ゆっくりと言葉を選びながら言う。
「なんと言えば良いのかな? 簡単に言えば、俺はそうしたいんだ。
 俺は魔導器技師を名乗っちゃいるが、その辺りの技術はほとんど我流でな。
 ガキの頃から、ジャンク品の魔導器をいじくり回している内に身についた知識と技術なわけだ」
「独学? それは凄い」
 ジョニーの告白に、リジーは素直に賞賛の声を上げた。
 実際、独学で魔導器技師のまねごとが出来るようになるというのは、感嘆に値する事である。
 ジョニーは照れを隠すように、ガシガシと自分の頭を掻く。
「まあ、そのせいで基礎がおろそかになっているんだけどな。
 だから、一から魔導器を作製する能力は素人しろうとに毛が生えたような物だ。
 その代わり、今回のように壊れた魔導器を修復したり、完全に駄目になったジャンク魔導器をバラして、つなぎ合わせて、でっち上げる技は誰にも負けてねえ自信があるんだけどな」
 お世辞にも正当な魔導器技師と呼べるスキルではない。それはジョニー自身も自覚している。
「いや、マジで、俺がそうしたい、以外の理由がねえな。
 お前に言われたとおり、金銭的には冒険者やってたときの方がずっと潤ってたし。工房の工具を購入した資金も、九割方冒険者としての収入だ」
 冒険者としての稼ぎで工房を開き、開いた工房はもうからずに飢え死にしかけていた。どう考えても、職業選択を間違えていると言うしかない。
 それを理解した上で、ジョニーは自嘲じちよう気味に笑う。
「けど、やっぱり俺がやりたいのはこっちなんだよ。冒険者として未知の航路を切り開いたり、せ物探しをやったりするのも悪くはねえんだけど、魔導器をバラしてつないで、カチッとまったときの充実感。あれと比べると、へみてえなもんだ。ほんとやみつきになるんだわ」
「なるほどねえ、ようは好きでやってるってことか」
「そういうこった。で、お前はどうなんだよ?」
「私?」
 問い返されたリジーは虚を突かれたように、キョトンと首を傾げる。
「ああ、多分だけどお前結構良い家の生まれだろ? それが、その若さで独立商会の代表をやってるってのは、かなり不自然じゃねえか?」
 ジョニーが言うとおり、リジーは貧民街に馴染みきれない生来の品の良さがある。
 特に隠しているわけでもなかったらしく、ジョニーの指摘をリジーはあっさりと肯定する。
「うん、そうだね。私の実家は、マクスウェル商会っていう《アーケイン=ガーデン》の表通りにある大店おおだなだよ。私はそこの会頭の娘」
「マクスウェル商会……確か、洋服店だったか?」
 表通りには詳しくない、貧民街暮らしのジョニーが、少し考えただけでその名を思い出せるという事実が、マクスウェル商会が大きな店舗だという証拠だ。
「そう。完成した衣類だけじゃなくて、布や糸も扱ってるけどね。
 んで、私は子供の頃から商人の娘として育ったわけ。自慢じゃないけど、商才はあったみたいで、父さんに任された仕事は、大体十分な成果を挙げられたわ。
 少なくとも、兄さんよりは、ね」
「ああ……」
 それだけで、ジョニーはリジーの活動力の源泉がなんであるか、察してしまった。
「ここまで言えば大体分かるわよね? うん、そうよ。すっごいありきたりな話。
 どう考えても私より商才のない兄さんが、正式に商会の跡取りに選ばれて、私には付き合いが深い別の商会へ『良縁』が用意されていたわ」
「そうか……」
「冗談じゃないっての!」
 リジーは空になった木のカップを、ドンと床に叩き付ける。
「なんであのクソ雑魚ざこナメクジな兄貴が跡取りで、商才あふれる私が、嫁入りなわけ? 年上だから? 男だから? だからなに? 商会の跡取りの話でしょ? 歳や性別の違いが、商才より優先される理由って何?」
 憤るリジーの感情はもちろん正当な物だが、実のところ兄を跡取りに指名した父の判断も、決して間違ってはいない。
 商会というのは、顧客や取引先の評判が、非常に大事である。
 リジーは確かに商才において兄に勝るが、兄も商会の後継者として合格点には達している。
 ならば、長男である兄を後継者に据えるほうが、遥かに『無難』な選択なのだ。
 厳しい言い方をすれば、リジーには、兄の『年上』と『性差』という『生まれついての才能』を覆せるほどの『商才』はなかった、とも言える。
「だからね、家を出てやった。それまで貯めていたお金で、広場での開店権を買って、屋台から始めて、いつかは私のリジー商会を実家のマクスウェル商会より大きくして、父さんと兄さんに、それ見たことか! って言ってやろうとか思ってたんだけど……」
 最初は憤怒ふんぬの表情を浮かべていたリジーが、後半大幅にトーンを落とし、苦笑を浮かべる。
「けど?」
 ジョニーに先を促されたリジーは、照れたように視線を微妙に外しながら、
「けど、さっきの貴方の言葉を聞いて私も、気付いたわ。
 私の主目的は、父さんと兄さんを見返すことじゃない。
 商売が、それもできる限り大きな商売がしたいんだって。商売をすることそのものが、私にとっての目的、家を出た根源的な原動力だったんだって」
 家にもよるが、大店の店主夫人という立場は、意外と商売に直接手出しできる余地が少ない。
 商売をするのはあくまで夫で、夫人はその黒子。縁の下の力持ち。
 もちろんそれはそれで、やりがいのある大事な役割である事は、リジーも理解している。しかし、自分がやりたいかと問われると、明確に否と答えるしかない。
「うん、やっぱりそう。私は商売がやりたい。でも、父さんの言うとおりに嫁いでたら、やれない。だから、家を出た。
 枝葉の部分を払ったら、ようはそういうことなんだと思うわ」
「なるほど、ね」
 リジーの言葉に、どこか共感を覚えたようにジョニーは笑う。
 冒険者として生きる方が容易たやすいのに、身を削ってでも魔導器工房を維持し続けるジョニー。
 大店のお嬢様でありながら、自ら商売をするため、家を出て商会を立ち上げたリジー。
 シンパシーを感じるのは、当たり前なのかも知れない。
 やがて、盆の上の揚げドーナツがなくなった頃、ジョニーは砂糖の付いた指をめると、一度立ち上がり、大きく伸びをする。
「よっし、腹も一杯になったし、もうひと頑張りするかッ!」
「うん、頑張って。後もう、任せるしかないから。それじゃ」
「おう、用があったら呼ぶぜ」
「分かってる。声の届く範囲にいるから」
 パチンと両手で自分の頬を叩いたジョニーが、再び魔導器の前であぐらを掻く横を、リジーは一度名残惜しげに足を緩めつつも、止まることなくその場を後にするのだった。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 そして、期限の三日前。
 《新型飛空艇》は、無事ひとまずの完成を見ていた。
 約一ヶ月ぶりに体を洗い、仮眠以外の睡眠を取ったジョニーは、《新型飛空艇》の動力室に待機し、オーナーであるリジーはレンタル格納庫の大扉前にスタンバイする。
 流石のリジーもこの瞬間は、緊張が全く隠せない。
「お願い、成功してよ……」
 強く目をつむってなにかに祈った後、リジーは意を決して、格納庫の大扉を開く。
 リジーがスリットにカード型の魔導鍵を通すと、両開きの扉がゆっくりと開きだした。
 まぶしい日の光と涼しげな風が吹き込む。
 それを合図に、《新型飛空艇》が、固定していたリフトからゆっくりと浮き上がり、そろりそろりと格納庫から外へと出て行く。
「ここまでは、順調、よね」
 そう独り言をこぼすリジーだが、その表情はまだ全く変わっていない。
 この段階では、《浮遊レビテーシヨン》の魔導器で動いているだけなので、動くのが当たり前なのだ。帆は全て閉じたままである。
 問題はここから。
 リジーは無意識のうちに、汗ばむ両拳をグッと握りしめる。
「頑張れ、頑張れ、これで失敗したらもう後がないんだから。二重の意味で」
 二重の意味、というのは時間と、資金という意味である。
 文字通り、最初にして最後の機会。
 固唾かたずんで見守るリジーの前で、《新型飛空艇》は、格納庫から完全に外へ出る。
 その速度は、人間が早歩きする程度。
 駆け足で、前を走るリジーの方が速い。
「はっ、はっ、はっ!」
 大急ぎで外に出たリジーが振り返ると、《新型飛空艇》は空中で一時停止していた。
「…………」
 緊張のあまり、呼吸も瞬きも忘れるリジーの前で、《新型飛空艇》がその翼を広げる。
 船体の上下左右に設置された四枚の大帆と、その間に設置された十六枚の小帆。
 それらの帆が同時に開いていく様は、白い大輪のつぼみが花開くような幻想的な美しさがある。
「よし、ちゃんと全部の帆が開いた!」
 台詞だけを聞けばバカのようだが、それはある意味深刻な心配であった。
 格納庫の中では、何度も稼働実験に成功している《新型飛空艇》だが、こうして実際に空中で風を受けながら帆を張るのは初めてなのだ。
 こうして一発で、帆を張れただけでも大したものといえる。
 そして、その帆に風を受けた《新型飛空艇》は、動き出す。
 上下の帆で風に乗り、推進力として、左右の帆で風をつかみ、推力が横に流れるのを最小限に抑える。
 結果、《新型飛空艇》は見事に姿勢を保ったまま、風に乗って動き始めた。
「飛んだ! 飛んでる! ちゃんと飛んでる!!」
 リジーの目の前で《新型飛空艇》は、大空に飛び立つ。
 浮遊ではなく飛行。
 魔導器で動く従来の飛空艇と比べれば、その動きは少々危なっかしいが、《新型飛空艇》は今、間違いなく大空を飛んでいた。
 リジーは腰に下げていた双眼鏡を取り出すと、必死に《新型飛空艇》の実験飛行を追う。
 速度、安定性、そして小回り。スペック上はどこをどう取ってもあらゆる意味で、《新型飛空艇》は従来の飛空艇に勝っている点は一つもない。
「うーん、スルッと動かないで、シュッ、カクッ、シュッ、カクッて感じなのね」
 双眼鏡で《新型飛空艇》の動きを見ていたリジーはそんな、擬音だらけの感想を漏らす。
 《新型飛空艇》は方向転換を苦手としている。
 帆で風を掴み、推進力に変えているのだが、進行方向を変えるときには、向かいたい方角と周囲の風向きを元に《演算魔導器》が再計算して、自動で帆を張り直す、という作業を繰り返すのだ。
 間違っても扱いやすい乗り物ではない。
 それでも、《新型飛空艇》は、カクカクとした非常に無駄の多いラインを描き、再びここに戻ってくる。
 《アーケイン=ガーデン》から突き出た桟橋近くまでやってきた《新型飛空艇》は、全ての帆をたたむと《浮遊レビテーシヨン》の魔導器の力で、ゆっくりゆっくり桟橋に付く。
 いつの間にか、船内から甲板に出てきていたジョニーが、桟橋の上にいるリジーに気付いたらしく、力強く右拳を突き上げるのが見える。
 実験飛行成功。全て問題なし、の合図だ。
「うんッ。ありがとう、本当に、本当に、ありがとう!」
 桟橋の上に立つリジーは、強い風のせいか、涙の止まらない両目を何度もこすりながら、風に負けない大きな声で、そう甲板に立つ若い魔導器技師に礼の言葉をかけるのだった。



 そして、翌日。
 無事、実験飛行を終えたばかりの《新型飛空艇》は、早速その倉庫に荷物を満載させ、《アーケイン=ガーデン》を飛び立っていた。
 大空を進む《新型飛空艇》の甲板には、オーナーであるリジーが、初老の雇われ船長と共に立っている。
「積み荷は日持ちのする物ばかりだし、時間の余裕はあるから、安全第一でお願いします」
「了解です、オーナー。わしとしても、このような珍妙な船を飛ばすのは初めての経験ですからな。安全に行って良いのならば、それに越したことはない」
 そう言うと、初老の船長は、部下達の様子を見てきますと言い、その場を後にした。
 カツカツと、去って行く足音が聞こえなくなるとほぼ同時に、今度こちらに近づいてくる別な足音が、聞こえてくる。
 リジーが振り返ると、そこには汚れた作業着の上下を着込んだ、若い魔導器技師がいた。
「よう、リジー。とりあえず、《演算魔導器》も、《浮遊魔導器》も問題はなしだ。
 ただ、やっぱり姿勢制御と方向転換にどうしても《浮遊魔導器》を動かす機会が多くてな。予想よりも《魔素燃料》の消費が激しい」
「どのくらい?」
 オーナーの短い問いに、技師は分かりやすい言葉で答える。
「予定の三割増し、といったところだな」
「そう。それくらいなら、とりあえず許容範囲内ね。それでも、まだ通常の飛空艇と比べると八分の一以下の燃費ということなんだから」
 《新型飛空艇》唯一にして最大の売りは、この燃費の良さである。
 通常、遠方に物資を運ぶときには、どうしても輸送費を上乗せしなければならない。
 そこにこの圧倒的に燃費に優れた《新型飛空艇》の出番がある。
 通常の飛空艇ならば、五日で百万ルクス取らなければ商売にならない運送を、《新型飛空艇》ならば十日かかる代わりに、五十万ルクスで請け負うことが出来る。
 速くて高い従来の飛空艇による輸送と、遅いが安い《新型飛空艇》による輸送。
 これは、絶対に棲み分けが出来ると、リジーは確信していた。
「でも、ジョニー。本当に良かったの? この船に、技師として乗って貰って」
 今更のようにそう問いかけるリジーに、ジョニーはプイと視線を横に逸らす。
「しょうがねえだろ。元々、お前から受けた依頼では、従来の飛空艇の十分の一の燃費になってたんだからよ。完成するまでは、俺が面倒を見るさ」
 請け負った希望通りのスペックを満たせないまま仕事を終えたりしたら、信用にかかわる。
 そう言うジョニーの言葉は、もちろん本心からの物だろうが、《ジョニー魔導器工房》を営業停止にして、リジーオーナーの船に雇われたのは、必ずしも、技師としての誇りだけではあるまい。
「うん、ありがとう」
 それを知ってか知らずか、リジーは無邪気に笑う。
「礼を言われることじゃねえよ」
 更に首を横に向けるジョニーに、リジーはふと、良いことを思いついたと言わんばかりに両手をパチンと打ち鳴らす。
「そうだッ! せっかく、船内に魔導器技師がいるんだから、遊ばせておく手はないわよね。どうせなら、この船に設置したい魔導器の案が色々あるんだけど、注文しちゃって良いかな?」
「……仕方ねえな。ったく、これじゃ、この船から下りられるのがさらに先になりそうだ」
 さも、面倒くさげにそう言うジョニーの口元は、笑みの形にほころぶのを必死にこらえるように、ひどく強ばっていた。

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