二杖一女
著:内田健
アーケイン=ガーデン。
空に浮かぶ鋼の要塞島。
空の時代における、世界の中心地。
ガーデンの公的機関である導書院とその周辺の都市部は、栄華を極めたともいうべき様相を示しており、富裕層を中心に、誰もがそこに住みたいと思わせるだけのものがある。
それを、光というならば。
闇もまた、そこにある。
島の縁に沿うように広がったそこは貧民街と呼ばれ、整備が追い付いていない区画も、確かに存在していた。
どちらかといえば、好んで住みたいと思わせるような場所ではない。
構造的に脆い部分があったり、また、治安自体が悪かったりと、問題も山積している。
問題と分かっていながら解決していない今日の状況を見れば、諸々の事情によって遅々として進まないのもまた、人の営みの常であるだろう。
とはいえ。
貧民街、と呼ばれているからと、皆が皆、暗い顔をして日々を過ごしているわけではない。都市部に住んでいるからと上から物を言うのは、褒められた行為ではないだろう。
むしろ、だからこそ、たくましく生きている人々の、底知れぬバイタリティを、窺えるのかもしれない。
これは、そんな貧民街に住む二人の青年と一人の少女を中心とした物語である。
何かを派手に叩きつけたような音が、工房が建ち並ぶ区画に響き渡る。
近隣にまで轟く豪快な騒音だったが、周囲の職人や従業員はまったく気にしたそぶりを見せない。
「ああ、またか」と言いたげでさえあり、一瞬手を止めたり顔を上げたりしたものの、すぐさま自分の仕事に戻っていった。
そう、もはや日常と呼べるまでに定着していることを知らしめていた。
「おうアルベルト。てめぇは昨日言われたばかりのことをよ、お天道様が昇り直したら忘れっちまうのかよ? インテリ気取った眼鏡は飾りかよ、あ?」
「なあガストン。僕はお前の助言は受け入れないと何度も言ったはずだ。無駄に鍛えすぎたせいで、頭の中まで筋肉になったのは間違いないようだな」
高い身長と鍛えられた筋肉の大男が粗野な言葉で挑発すれば。
背は平均よりやや高い、やせ形で眼鏡の青年が煽り返す。
まったくもって、いつものやり取りであった。
剃りあげた頭を、ごつごつとした手でぺちぺちと叩いているのが、ガストン。
眼鏡をくい、と動かし、特徴的な三白眼をレンズの反射で隠したのがアルベルト。
二人はこの《魔導杖》工房の若手職人。
共に腕の向上と、そして受け持った仕事に対しては非常に真摯かつ意欲的で、工房の筆頭成長株として他の工房からも羨ましがられるほど。
親方より、職人として、もうすぐ見習いの肩書きを取って、一人前扱いすると言われている。職人なら誰もが求める固定客が、一人前の職人や親方のフォロー有りとはいえ、早くも互いにつき始めているのだ。
幼馴染みであり、《魔導杖》職人を志して工房の門を叩いたのも同日同時刻。そして腕前も同レベル。
はたからみてもライバルとしてお互いにちょうどよく、切磋琢磨するにはうってつけの相手なのだが、致命的に合わない。彼らの周囲の職人、従業員は、巻き添えを喰わないようにしつつも、もはやいつものこと、と気にした素振りすら見せていなかった。
「仕方ない、頭の中も筋肉のお前に理解など期待していないが、もう一度、説明してやろう。いいか、《魔導杖》はな、何よりも信頼性だ。極限状態に陥った冒険者にとって、過酷な状況でもこの杖ならいつも通りに撃てる、という安心感が、どれだけ救いになると思っている。僕のところに来る冒険者も安心感が大事だ、と言っている」
アルベルトが、自分についた客からのフィードバックを口にすれば。
「はっ。ご高説ありがとうよ。俺からも、見掛け倒しのインテリ野郎に、もう一度教えてやるよ。《魔導杖》にゃな、一発逆転が出来る限界ギリギリの大出力が何よりも大事だぜ。いつものままじゃあにっちもさっちもいかねぇときに、大逆転の奥の手がありゃあ状況は変わる。俺の客も口を揃えてそう言うぜ」
ガストンも負けじとお抱えの客からの感想を披露した。
合わない理由は二つ。
《魔導杖》について、もっとも大切と信じる要素、《魔導杖》に対する信念が、完全に逆なのである。
もう一つは、今はいいだろう。
「ふん。お前の客は、昨日は一人だったな。僕は二人だ。僕より多く客が来るようになってから言うんだな」
アルベルトがしたり顔でそう言うと、ガストンは悔しげに歯噛みする。
「ぐっ。け、けどな、先週は俺の客の方が二人多く来てんだぞ! 一日多かった位ででけぇツラすんな!」
言われっぱなしでなるものかとガストンが試みた反撃に、今度はアルベルトが言葉を詰まらせた。
「うぐ!? だ、だがな、先月は僕の客の方が多かった。一週間なんて短いスパンでは話にならん!」
「くそ、大体てめぇは……」
「それを言うならお前は……」
と、やり取りがついに子供じみたものに変わる。二人とも既に成人して暫しの時を過ごしているのだが、喧嘩が始まってヒートアップすると、路線が子供同士の幼稚な罵り合いに変わっていく。
最初はお互いの主義主張をぶつけているためにまだ建設的で、他の職人にとっても聞き所があるのだが、こうなってくるともう聞くに堪えない。
「始まったよ」
「またこれか。毎度毎度飽きねえなあ」
「よういらっしゃい。親方もうすぐ帰ってくるよな。お仕置きなんだろうな?」
「そうだな。俺は拳骨に賭けるぜ」
「オレはアイアンクローだ」
「あたしはドロップキックね」
「僕はラリアットに賭けるかな」
「私は頭突きにするよ」
今は取引先の材料屋に出掛けている親方が、もうすぐ帰ってくる。そして、喧嘩をする二人に仕置きをするだろう。
その仕置きの内容が何になるか、職人も、従業員も、客である冒険者も、近隣工房の職員たちまでもが混じって賭けをする。
賭け金は近所の屋台で昼間にだけ売り出される、お椀一杯のモツ煮込み。これが近隣ではひとつ頭抜けて高級かつ美味で、またお値段も平均的な昼飯代の三倍ほどといい値段がするので、気安くは買えない贅沢品だ。とはいえ、負けた者同士で勝った者に割り勘で奢るだけなので、それほど痛くもない。賭け金として丁度いいのである。
因みにモツ煮込みなのは午前の喧嘩の場合で、喧嘩が午後だった場合は、これまた近所の酒場で一杯目とツマミを奢るのが賭け金となる。
閑話休題。
「おい、なんだこの騒ぎはよ」
その時、賭けをしながら盛り上がっていたギャラリーの背後から、腹の底から響くような太い声が発せられる。
ギャラリーが振り返ると、そこにいたのは中年の男。この工房の親方である。
ガストンよりも少し背は低いが、鍛えられた太い腕や分厚い胸板、長年の経験からくる存在感とカリスマ性はアルベルトやガストンなど比較にもならない。この親方は知る人ぞ知る名工で、彼は自身が気に入った冒険者相手の仕事しかしない。彼に仕事を受けてもらえれば、冒険者の間でステータスのひとつになるほどに有名なのだ。面白いのは、実力が高ければ仕事を受けて貰えるわけではないことか。
「親方、お帰りなせえ」
「ああ親方さん、今日も仕事を頼みに来たよ、よろしくね」
「おうよ。で、これはいつものか」
「そうね。いつもの喧嘩よ」
「ったくあいつらは……」
親方はため息をひとつつくと、拳をぱきぱきと鳴らしながらギャラリーの間を通り抜けた。
そしてやおら加速すると。
「仕事しろトンチキどもがっ!」
ガストンの背中に向けてドロップキックを放った。戦いを専門にしていないというのに、戦闘職顔負けの豪快な一撃である。
「ぐほあ!」
「おやかっ!? ごはあっ!」
ちょうど親方、ガストン、アルベルトの順で並んでいたために手っ取り早かったのだろう。
吹き飛んだガストンはアルベルトを巻き込んで転がり、裏口から外へ飛び出していった。
「やりい! あたしの勝ちね!」
「ちぇ~、今日はドロップキックかよ」
「負けた負けた。仕方ねえ、モツ奢らなきゃなあ」
賭けの結果に沸くギャラリーを一顧だにせずアルベルトとガストンを追って外に出た親方は、目を回す二人を見下ろして、首だけ動かしてギャラリーを見る。
「おい、水でもぶっかけて叩き起こせ。後、罰として締めの作業をこいつらにやらせろ」
「へい!」
仕事中に喧嘩するいい度胸の二人をぶちのめして満足したのか、パンパンと手を叩いて親方は工房の中に戻っていく。
賭けに勝った者が、参加者たちと共に件のモツ煮込み屋台に向かって出ていった。
賭けに参加していない者は、依頼の話を再開したり、各々の仕事に戻ったり、のびているアルベルトとガストンにたらい一杯の水をぶっかけたりと、それぞれのやるべきことのために三々五々散っていく。
これが、工房の日常、特に珍しくもないとある一日の光景だった。
「いたた……たく、ガストンの大バカのせいでひどい目に遭った」
「ってぇ~、アルベルトのボケ野郎のせいでひでぇ目に遭ったぜ」
濡れ鼠になって目覚めた二人は、昼ということで休憩しながら、親方からの痛烈な一撃のダメージを癒していた。
「あ? んだとてめぇ」
「人のせいにするな筋肉ダルマ」
売り言葉に買い言葉。
「やるのかガストン?」
「いい度胸だぜアルベルト」
がたん、と、腰掛けていた丸椅子を蹴倒しながら立ち上がる二人。
額をくっつけ合う勢いでガンを飛ばし合う二人だが、ふと、周囲が冷えたような錯覚を覚えた。
「……上等だ貴様ら」
背後から、ドスのきいた低い声。
振り返ると同時に、アイアンクロー。
「お、親方……」
「いや、違うんすよこれは……」
さすがに、先ほどのされたばかりだというのに、この短いスパンで同じことを繰り返すのはまずい。
そしてそれ以上に。
「これはアルベルトが……」
「ばっ、やめ……!?」
思わず口を滑らせるガストンを、アルベルトは焦って止めようとする。
親方を相手に下手な言い訳をするのが何よりまずいというのは、彼らや工房の職員のみならず、客たちにさえ浸透している絶対の不文律。
案の定、ただでさえ鋭い眼が、四割増しで鋭くなる。
ガストンがハッとしたように口を閉じたが、もう遅い。
これは追加の制裁は免れないか、とアルベルトとガストンが覚悟を決めたところで、親方が呆れを多分に含ませた大きなため息をついた。
「ほんとうに……まあいい、お前らに客だ」
親方は二人から手を離すと、顎でくい、とそちらを指した。
そこには、控え目に手を振る、少女の姿。
心なしか、やや居心地悪そうである。
「っ、シャーリー……」
「げ、マジかよ……」
アルベルトとガストンは、少女を見て明らかに狼狽した。
「お前らに……幼馴染みとしてじゃない、《魔導杖》職人としてのお前らに相談があるそうだ。シャーリーの顔に免じてここはおとがめなしにしてやるから、昼飯でも食いがてら行ってきやがれ」
「は、はい!」
「あざっす、親方!」
二人はバタバタと慌ただしく親方に礼をして、あまり親しくない者たちの中で縮こまっているシャーリーのもとに向かう。
親方は、ちらりと二人の横顔を盗み見て、口の端をわずかにあげる。
親しい幼馴染みを迎える嬉しさだけではない、その顔に浮かんだ職人としての顔、親方が二人の将来に期待する理由のひとつである顔を浮かべていることを見逃さなかった。
「……ボケたれどもがよ。がんばれよ」
近年の職人の中では目を見張るほど腕はいいのに、ある意味でいつまでも子供な、手が掛かる愛弟子二人。親方はつい苦笑いを浮かべるのだった。
シャーリー。十七歳。
冒険者としてソロで活動しており、実力の評価としては中堅どころ。
ソロで活動していることもあり、剣での接近戦と《魔導杖》での中長距離戦の両方をこなせる。特に剣の才能は天性とも言われ、年齢とあいまって将来を有望視されている成長株だ。
金髪碧眼で、冒険者として鍛えられ、しなやかな猫のような印象を与える美少女である。
冒険者として生計を立てているが、家政婦やメイドも出来るほどには家事も得意。
そして、アルベルト、ガストンとは幼馴染み。
それが、このシャーリーという少女だ。
アルベルトらを訪ねた少女を簡単に紹介すると、こんなところだ。
「二人とも、久し振り!」
アルベルトとガストンが近寄ると、居心地悪そうな様子から一転、嬉しそうに笑った。
「シャーリー、久し振りだね。ずいぶん長い依頼だったようだけど、無事戻ってきて良かったよ」
「確か、飛空艇の護衛依頼だったよな?」
「うん、そう。はー、やっと解放されたよー」
人見知りでコミュニケーションがあまり得意ではないシャーリー。知らない人が近くにいると普段通りには出来ない。いまだ固定パーティーを組むには至っていないのがそれを端的に示しているが、これでもだいぶ改善した方だ。
他の冒険者や依頼主と常に行動を共にする護衛依頼を受けられるようになったのだから、かなりの進歩と言えるだろう。
アルベルトとガストンが相手ならば、溌剌として明るい、彼女本来の姿が見られるのだが。
「まあ、立ち話もなんだし、どこかの店に入ろうか」
三人は連れだって歩いていく。その後ろ姿を、工房の名物を見物していた面々が視線で追った。
「はあー、可愛いな、シャーリーはよ」
「ああ。幼馴染みとは、アルベルトとガストンが羨ましいぜ」
「しかしあれだな、ありゃあ美女と盗賊の頭とその腰巾着の参謀ってとこだな」
アルベルトとガストンに対して容赦のない、しかしある意味で的確な評価に、周囲が失笑した。
ただし、笑ったのは男たちで、女性陣は冷ややか、または呆れた顔をしていたのだが。
それは、彼ら三人の人間模様をある程度把握しているからだった。
「やっかみで扱き下ろすなんてみっともない真似よしなさいよ」
「そうよそうよ」
女性たちからの辛辣な言葉を受けて、男たちは首をすくめた。
「しゃーねーだろうよー。俺たちじゃ声かけたって会話すらままならないんだぜー?」
「そうだそうだ! このくらいは許してくれよ!」
やっかみであることを一切否定せず、反論しつつ居直る彼ら。
女性たちからの視線が益々呆れたものになるが、どうやらこれ以上引く気は無いようだ。
であるなら。かかってくるなら受けて立つのが女たちである。
「はあ……まあ、この界隈じゃアイドルみたいなものだからね。仕方ないか」
「開き直るのはどうかと思うけどね」
「まさかとは思うけど、よからぬこと考えたりは……」
「無理でしょ。シャーリーはこの場にいる連中の誰よりも強いんだから。力ずくで行こうとしたって、逆に叩きのめされるのがオチよ」
「それもそっか」
「ま、そうやって他人を妬んで扱き下ろしてるところが、あんたたちがモテない理由よねー」
ざくざくと抉られて撃沈していく男たち。
男が女に、口で勝つのは難しいのである。
三人は行きつけの定食屋を訪れ、顔見知りの店主に壁際の席を用意してもらった。
昼食時はもう少し後であるため、席の確保はしやすかった。
密談するほどではないが、他人に聞かせるような話でもない。
適当に済ませた注文の食事がそれぞれ運ばれてきた頃、店内はぽつぽつと客の数が増えてきた。
「じゃあ、食べながら話しようか」
アルベルトがそう言い出す。
因みに、アルベルトは鶏肉のソテーとシチュー、サラダとパン。
ガストンはぶつ切りの肉と野菜をたれでシンプルに炒めたものの特盛とパン。
シャーリーは、シチューとサラダ、パンである。
閑話休題。
まず、シャーリーが口を開く。
幼馴染み同士ではあるものの、この場は、客として工房に来たシャーリーが、アルベルトとガストンという職人を指名した仕事の話である。
親しいからこそ深刻にはならなかったものの、真剣な相談の場であることは間違いない。
「ほう……伸び悩んでる、ってか」
「うん、そうなんだ」
彼女の話の内容を、簡潔にまとめたガストン。
千切ったパンをシチューにつけながら、シャーリーが首肯した。
「それで、打開策としては《魔導杖》を替えてみる、と」
「うん。今回の依頼の前に新調したんだけど、どうもね……」
剣での戦闘に一番自信があり、それはまったく揺らいでいないとは、以前のシャーリーの言。
シャーリーの剣術の評価は高い。
第三者の表現としてはそこそこ、だったりそれなり、だったりするが、それをある程度の実力者が口にするとなれば話は別だ。
もちろん、流石に超一流、天才である《神剣の騎士》フィリーシア・オルトライネとは比べられない。仮に地稽古などすれば一合も持たずに負けてしまうだろう。
だが、そんなことは考慮する必要すらない。かの天才少女が相手では、誰もがつばぜり合いすら出来ないのだから。
剣の腕だけでいえば、十七歳の若さにして十分二流と評して差し支えない。
二流という評価が低いか?
否、超一流など一つまみ、一流でさえ一握りしかいない。それ以外の殆どの冒険者は二流、下手したら三流止まりで終わっていく。逆に言えば、長年の経験を持ち、市場からそれなりの信頼を積んだベテランも、殆どは二流なのだ。
シャーリーにとっての問題は、《魔導杖》を使った中長距離の間合い。
剣の腕だけなら二流なのに、冒険者としては中堅どころ、ようやく三流から二流の影が見えるだけであるのは、一重に魔術的な部分が足を引っ張っているからに他ならない。
魔術的な要素を切り捨てて剣だけで二流と呼ばれるためには、更なる剣の才能が必要で、流石のシャーリーにもどうしようもないことであるのだ。
「今使ってるのはこれだよ」
シャーリーがベルトにたばさんであった《魔導杖》をテーブルに置く。
アルベルトとガストンにも見覚えがあった。
それは、《魔導杖》をメインに扱う武器屋にて購入したと思われる、駆け出しを卒業した冒険者が手にする量産品。彼らが働く工房とは別の工房の作品であると一目で気付いた。ライバルの調査は、ビジネスの上で当然のことだからだ。
オーダーメイドとは比べるまでもないし、もっと上の《魔導杖》もたくさんあるため、最善の選択とは言えないだろう。
もちろん、この《魔導杖》を購入した当時は、彼女の魔術の腕と予算を照らし合わせた結果の、最善の選択であったのは疑いようがないが。
「なるほどなぁ。こいつは、安定感と消耗軽減に性能を絞ったモデルだな」
「そうだな。この杖の適正レベルだと、焦ったときに不安定だったり、ついペース配分を間違えたりしがちだからな」
その特性を一目見ただけで判断する。
作製した工房の戦略として、同じデザインで別の性能を持たせてシリーズ化しているため、素人ではパッと見て違いなど分からない。
もちろんシャーリーも、自分の杖だから分かるのであって、同シリーズの別の杖を何本も並べられたら、簡単には見分けはつけられない。
この辺りは、職人として修業を積んだ二人ならではだ。
「うん。僕は、方向性は間違ってないと思うよ」
その杖を手に取って眺め、一つ頷いたのはアルベルトだ。
「やっぱり、どんな状況でも、いつも通りの力を発揮できるというのが一番だと思う。どんなに逼迫しても、ガタが来ない杖がいつも通りの自分の力を引き出してくれる。その安心感から得られる精神への作用は、事態をいい方向に進めてくれるはずだ」
そっかー、確かに、と納得するシャーリー。
そこに、待ったをかけたのは、もちろんガストン。
それは聞き捨てならないと、アルベルトに異を唱える。
「待てよ。大事なのはよ、ここぞって時に、限界を超えた力を出せるような奥の手だ。状況が悪くなるのは、自分の力が及んでねえからだろ。だのに、いつも通りの自分の力じゃ打開なんか出来ねえ。ここぞって時に最高の一手を打てる杖がいいぜ」
ガストンの持論に、それも確かに、とシャーリーは頷く。
アルベルトの言にも、ガストンの言にも一理あった。
この苦境でいつも通りの力が出せれば。
この苦難でいつも以上の力が絞れれば。
依頼をこなす最中、そう思ったことは一度や二度ではない。
彼女も数々の苦難や危機を乗り越えてここまで来たのだから。
どうするのが最善なのだろうか。
アルベルトの主張も、ガストンの主張も、どちらも正しいと思える。
どちらを選べばいいのか。
シャーリーは顔を伏せて熟考に入る。
周りの声も聞こえないほど集中した。
これは、彼女の長所の一つで、類い稀な集中力。
が、同時に、欠点でもあった。
答えを導き出せず、シャーリーはいったん思考を中断した。せっかく本職二人が目の前にいるのだから、どうしようかと相談した方が早いのは間違いない。
彼らがアルベルトとガストンでなければ、確かにその通りだっただろう。
問題は、彼らがアルベルトとガストンだったことである。
「お前の杖は安定感がない。不安定の代名詞だ。そんなものにシャーリーを預けられると思っているのか? だとしたらお笑いだ。お前は引っ込んでろ」
「言うじゃねえかよ。ヤバくなっても変わらないことしか出来やしねえ癖によ。状況によっちゃいつもと同じじゃダメな時もあんだよ。てめぇが帰れ」
シャーリーが顔を上げたとき、アルベルトとガストンはお互いの胸ぐらを掴んで喧嘩をしていた。
その剣幕は、殴り合いになっていないのが不思議なほど。
周りの客も、いつもの二人が見せるいつもの光景にやんやの野次馬状態だ。
少し目を離せばすぐこれだ。
いつも、アルベルトとガストンは仲が悪い。
いや、本当の意味で仲が悪いわけではない。そうだったら、幼馴染みであっても、どちらかから縁を切り、二度と関わったりはしないだろう。
ただ、性格が基本的に真逆で、同じことを考えるのを互いに嫌がる。そうすると、どうしても対立が多くなる、というわけだ。
ああもう! とばかりに、シャーリーは勢いよく立ち上がる。
「二人とも喧嘩しないの! どうしていつもそうなの!?」
シャーリーとしては、せっかく物心つく前から付き合いのある二人なのだから、もっと仲良く笑い合いたいのだが、どうにもそうはならない。
それは、昔からだった。
「いや、いくらシャーリーが止めてもここは引けないな。君の命に関わることなんだ」
「おう、癪だがてめぇに同意だぜアルベルト。シャーリーの命のことだからな」
喧嘩の原因は自分。シャーリーは考える。
これまでならば、自分が仲裁に入れば渋々ながらも互いに矛を収めてくれることがほとんどだった。
だが、今回に限ってはそれは有効ではないらしい。意見が一致することを嫌がるアルベルトとガストンが、意見を一致させてまで、止められないと主張したのだ。
それでも、喧嘩はして欲しくない。
どちらも、自分のことを考えてくれているのだ。付き合いも長いので、その気持ちが真剣なのが疑いようもないのは、顔を見れば一目で分かる。
シャーリーとしても、どちらかを選ぶと、選ばなかった側の気持ちをないがしろにするような気がした。
進退窮まったシャーリーは、争いを止めたい一心で、口走った。
「ああもう! 喧嘩しない! 両方持つから!」
不公平感が出ないためには、そうするのが一番いい。
その思い付きは、どうやら正解だったようだ。
「あ、ああ」
「お、おう」
アルベルトとガストンは、やや戸惑い気味に、お互いの胸倉から手を離した。
シャーリーの気迫に、圧されていた部分も、否めなかったが。
騒がせたことを謝罪し、店を出て。
アルベルトとガストンに一本ずつ、自分に最適と思う杖を発注した帰り道。
さてどうしようかと、シャーリーは内心頭を抱えながら帰路についていた。
依頼の達成率もだいぶ上がってきて、そこそこ稼ぎも安定してきた。
けれども、杖二本分のお金は、かなり財布に響く。
その辺の武器屋で、出来合いの品を買うのとは訳が違う。
アルベルトもガストンも、まだ一人前認定はされていないものの、それに近い立ち位置にいるというのは知っている。
そんな二人に、杖をオーダーメイドしたのだ。
出来合いの品よりも大分お値段が張るのは必至だろう。
払えないことはない。蓄えはきちんとしている。けれども。
「はあ、しばらくは節約しないと」
痛くない出費かと言えば、当然そんなことはなく。
そもそも、シャーリーのレベルで受けられる依頼の達成料など、まだまだたかが知れているのだから。
あの時は、喧嘩を止めるのが第一の目的であったため、思いつきを口にしたに過ぎなかった。
そして、狙い通りに二人は喧嘩を止めてくれたのだが。
「にしたって、女の子相手に気圧されなくてもいいんじゃないかな?」
それが納得いかない。
いや、理屈は分かっている。シャーリーは見た目こそ愛らしい少女だが、命のやり取りを生業とする冒険者だ。一般人とは、踏んできた修羅場が違う。貧民街の特に治安が悪い場所にたむろするチンピラなど一睨みだし、それこそ、その気になればアルベルトとガストンが働いている工房の怖い親方が相手でも引かずににらみ合いくらいは出来る度胸もついている。
けれども、そこは理屈では片づけられない乙女心、というものだ。
一方で、シャーリーが喧嘩仲裁のために放った言葉に、二人が少し嬉しそうにしているのを、表面にこそ出していなかったが、幼馴染みとして二人と長い時を過ごしてきたシャーリーだからこそ、気付いていた。
「悩む理由が値段なら、後悔しないから買っておけ、だったかな」
そうつぶやき、腰の剣をぽん、と叩く。
少し前に、へたっていた剣を買い替えに武器屋を訪れた。そこで一目惚れするほどに気に入ったが、予算オーバーの値段がつけられた剣を前に悩んでいた時。
今でも強く心に残る言葉で背中を押してくれた先輩冒険者を思い出す。
灰色の髪に、向こう気の強そうな瞳。どこか不機嫌そうに引き結ばれた口元の青年。
その横には、褐色の肌にクリーム色のはねた髪、髪の間から笹穂のように尖った耳がのぞいている少女がいた。
青年の名はグレイ・アクスター、少女の名はスリヤ、だったか。
姿勢や身体作りからシャーリーの剣の腕を見抜いたらしく、「この剣を持ってもきっと見劣りはしない」とだけ言って、グレイはその場を立ち去って行った。
その素っ気なさと対照的に愛想のいいスリヤに「いきなりごめんね!」と謝られたのを覚えている。
一方、シャーリーもまた、グレイの剣の腕を、ある程度見抜いていた。剣が得意だからこそ、というのもあった。
彼の腕は、シャーリーよりも二段も三段も上である、と。
努力は正しく、丁寧に、勤勉に。鍛錬は積んできた自負がある。その努力だけは、どこに出しても恥ずかしくない、シャーリーの自信の源の一つ。
それでも、グレイには敵わない、才能のレベルが違う、と、あの瞬間で理解した。
後で少し調べてみたら、スリヤは一級魔術師という文句なしの手練れ。グレイ・アクスターは二流冒険者だと言われているが、魔術的な才能に乏しいため、剣だけで今の地位にいるという。二流冒険者は、今のシャーリーにとって大きな目標だ。剣の腕一つを頼りにそこに辿り着くには、果たしてどれだけ冴えた剣が必要なのか。
以来一度も会っていないため、知り合いと呼べる間柄ですらない。
それでも、彼らのことは、尊敬という形でシャーリーの心に残っていた。
そんな尊敬する先達の冒険者の言葉を借りれば。
「高いけど、後悔しないよね」
きっと、シャーリーにとって、唯一無二の、最高の杖になるだろう。
何より、アルベルトと、ガストンが作る杖だし――
その言葉は、音としては出さず。
空を見上げて、足取りも軽く家路を進んだ。
すっかり日も落ち、宵闇が街を覆っている。
仕事を終え、家に直帰する者、その辺の屋台や酒場で一杯引っ掛けていく者などで賑わう雑踏を遠目に。
アルベルトとガストンは、抱えていた今日の分の仕事を過去最高速で片づけた後、シャーリーの杖作製に取り掛かっていた。
仕事を受けたことは、親方に報告してある。それについて、特に駄目出しされなかったのは、僥倖だった。
正直、半人前が生意気言ってんじゃねぇ! と拳骨が飛んでくることも覚悟していたのだ。
とはいえ、職人として一人前と呼ばれるようになっていくのだ。シャーリーの仕事に最大限の力をつぎ込みたい気持ちはあるが、アルベルトとガストンが知る一人前の職人は、仕事によって差をつけたりはしない。
そんな半端な仕事は親方が許さないというのもあるし、そんなことをしていては一人前になれない、という強い自戒もあった。
どんな杖がいいか、客の要望を、潜在的なニーズまで引き出して把握するところから、《魔導杖》職人の仕事は始まる。要望が固まったら、どのようにして客の希望を現実化するかのコンセプトを決め、そのコンセプトをもとに設計していく。
コンセプトさえ決まってしまえば、大変なのは、設計と、実際に杖を組み上げる際の、想定した効果と現実に現れる効果の齟齬を埋めていく作業だ。
だが、アルベルトとガストンにとって、実質の壁となる作業は、杖を組み上げる作業だけであった。
シャーリーに、自分が杖を贈るなら。
どんなコンセプトで、どんな思想で、シャーリーにどんなニーズがあって、どのように実現すればよいか。
それは、幾度となく、シミュレーションしてきたことだった。
まだまだ未熟だと思っていたが故に、試しでも実際に製作に至ることはなかったが、本人であるシャーリーから依頼されたならば、話は別である。
その日受けて、通常業務が終わってから作業を開始したとは思えない速度でコンセプト固めまで終え、設計作業も半ばまで辿り着いている。
もくもくと、己の作業台で、工程を進めていく二人。
工房内は、既に他の職人も従業員も帰宅しており、アルベルトとガストンが作業する音だけが響いている。
特に、会話などない。
これまでも馴れ合いの会話などしてこなかった。それは、これからもそうだろう。声をかけても片方が無視をすることも、別に珍しいことではなかった。
「おい、ガストン」
「……あんだよ」
だが、この時ばかりは、少し違った。
普段とはやや異なるアルベルトの声色に気付いたガストンは、ややあってからきちんと返事を返した。
「なあ……お前、知っているだろう?」
「ああ……あの飛空艇のヤローだろ? シャーリーに粉かけてんのは」
アルベルトの問いに納得したガストンは、主語がすっぽりと抜け落ちた会話から、彼が何を言いたいのかをしっかりと理解して返事した。
そう、それは、二人にとって、喫緊の話題だった。
最近、シャーリーが、とある男に言い寄られている話である。
シャーリーは、近所では有名な美少女で、狙っている男も多い。
そんな彼女を射止められたのならば、と思って声をかける男はあとを絶たない。
たいていの男は、人見知りのシャーリーが相手では会話を続けることも難しいのだが、それに懲りずに顔を見かければ話しかける、根性のある男がいるというのだ。
それだけならば、男として尊敬も出来よう。
けれども、素直にそれを認められる相手かと言えば、否だった。
相手は飛空艇乗りの男。顔の造形は優れ、飛空艇乗りとして身体も鍛えられているため、外見はとてもよい。また、見る限りでは気配りが出来て、女性に対して紳士である部分がよく目に映る。
が、それは、あくまでも外面の話だ。
知るのはごく少数ではあるが、彼の内面はとてもではないが、褒められたものではない。少なくとも、アルベルトとガストンにとっては。他にも、彼らと意見を同じくする者もいるだろう。その飛空艇乗りの男の評判が落ちないのは、外面の良さによって積み上げられた信頼があるからだ。
彼は、ギャンブルにはまっている。仕事で金を稼げばすぐさま賭博場に足を運ぶ。自身の評判を下げないため、表の賭博場ではなく、裏の賭博場に通っているようだ。どうやら分が悪い賭けによる一攫千金狙いが好みのようで、月々の必要な出費を時に借金で補てんする程だ。身を崩すまで秒読み、と言っても差し支えないのだが、幾度かはその分が悪い賭けで勝ち、それなりの大金を手に入れたこともあるため、味を占めてしまっているらしい。まあ、その大金も、豪遊することであっという間にすり減らしてしまうそうだが。
この時点で、既に甲斐性という点では不合格の烙印を押されても文句は言えまい。
その上、既に付き合っている恋人がいながら、シャーリーに声をかけてアプローチしているというよろしくない事実がある。
その恋人も、時には飛空艇乗りの男のために金を工面したりと、結構苦労しているようだ。
「基本的には、シャーリーが認めて一緒にいることを望んだ男なら、僕としては良いんだが……」
「仮にシャーリーが認めて望んだとしても、あの野郎だけはナシだな」
「ああ。僕も同意見だ」
幼馴染みとして、彼女を幸せにできないような男は、シャーリーの相手として論外だ。
その点は、数少ない、アルベルトとガストンが意見を一致し、会話が成り立つ事だった。
言葉数は少ないが、それで十分だった。意見の再確認が出来たと、再び工房内に沈黙が顔を出した。
「なんだ、まだ残ってやがったのか」
と、その沈黙を破る声。
この工房の主にして、アルベルトとガストンが、その仕事に向き合う姿勢、腕前、人柄について尊敬する親方だった。
「親方……」
二人は思わず手を止めて、一度姿勢を正す。
「おい、やりかけのところで手を止めるな。集中を切らしていい工程なんかねえぞ」
「うっす!」
「分かりました!」
親方に窘められ、二人は慌てて作業に戻った。
「勤勉なこったな。今日のもともとのノルマは終わってたな?」
「はい、終わってます」
「もちろん、終わらせてますぜ」
二人は当然、といった様子で親方に答えた。
親方は、その回答に素直に感心した。
頭の中は、彼らにとって大事な幼馴染みであるシャーリーの杖のことで一杯だったはず。
けれども、今日の二人の仕事を少し確認してみたが、どこにも問題はなかった。
目の前の作業から、集中を切らさなかった証であった。
「それで、親方は何をしに?」
アルベルトの疑問に、親方は鼻を鳴らした。
「ああ、お前らがまだ残ってるっていうから、様子見がてら……」
それだけではなさそうである。
「ちょいと、言いたいことがあってな」
アルベルトとガストンは、親方からのその言葉に、思わず身を固くした。
その様子を面白げに見ていた親方は、作業場にある休憩用の椅子にどっかと腰掛けた。
筋肉質で重い身体による負荷がかかり、椅子がみしりと悲鳴を上げる。
「な、なんでしょうか……?」
恐る恐る、続きを促したアルベルト。
親方はにやりと笑った。
「ああ。聞けば、お前らが喧嘩して、それを収めるためにシャーリーは杖を二本注文したそうじゃねぇか」
ぐっ、と呻いたのはガストン。
見ないようにしていた現実を突きつけられた。親方からの言葉だ、無視するわけにもいかない。
「あの子はまだまだこれからの冒険者。杖二本のオーダーメイドは結構な負担だ。無様だな? おい」
オーダーメイドの杖に新調すれば、確かにシャーリーの戦力はアップするだろう。
が、ただでさえ、オーダーメイドの杖は高い。それは、まだ一人前ではない職人相手に注文したとしても、同様だ。
ましてや今回は同時に二本。それによってかかる負担もまた、尋常ではない。その負担の原因は、自分らである。アルベルトもガストンも、返す言葉がなかった。
「お前らが喧嘩さえしなけりゃ、一本で済んだかもしれねぇ話だ。どうするんだ?」
くしくも、親方の言葉を、アルベルトとガストンは同じように聞きかえた。
即ち。
「……僕が作る杖は、半分は、僕が持ちます」
「俺の杖の代金も、半分俺が持ちます」
男気を見せろ、と。
親方は片方の眉を上げた。
「ほう? 分かってるだろうが、工房からは出さねえぞ?」
アルベルトとガストンは、今度は即座に頷いた。
「……いいだろう。お前らがそう決めてるってんならそれでいい。次の給金から差っ引いてやる」
頷く二人。
その顔は男であった。
それを見たかった親方は、満足気に頷くと。
「さて、じゃあ、今日は帰れ」
二人にそう告げた。
「え、いや、でも……」
「まだ設計が……」
「バカ野郎、休むときは休むんだよ! 明日もそれだけやってりゃいいわけじゃねぇ、きちんと仕事が出来るようにするのも職人の仕事だと言ったのを忘れたか!」
工房に響く怒号。
アルベルトもガストンも、反射的に首を竦めた。
頭など上がるわけがない。どれだけ、世話になったのか。どれだけ、畏れているのか。
「返事!」
「りょ、了解しました!」
「すぐに帰りやす!」
二人は勢いよくまっすぐに立ち上がった。
その顔には冷汗が浮かんでいる。
「よし、今日はもう締める」
親方は立ち上がると、懐から鍵を取り出した。
容赦なくアルベルトとガストンを叩き出すためでもあった。
アルベルトとガストンは、はじかれるように荷物をまとめはじめる。
帰るとなったら、すぐに済ませなければ。
自分たちが終わらなければ親方が帰れない。
「……明日、お前らのノルマが終わったら、今日まで進めた分を俺の部屋に持ってこい。久々に見てやる」
作業場を去り際、親方は背中を向けたまま、アルベルトとガストンにそう声をかけた。
ここ一年近く、アルベルトもガストンも、親方からの直接の指導は受けていない。
親方の補助なしでどこまで出来るのかを試されているのだと、先輩の職人からは教えてもらっていた。
だが、どういう風の吹き回しか、杖を見てくれるのだという。
出来れば自分たちだけでやりたかった。そういうプライドからくる想いは確かにある。
あるが、この杖が、シャーリーという大切な少女を守るためのものであるのもまた事実。
そして、自分たちが未熟なのは、言うまでもないこと。
断る理由は、なかった。
「ありがとうございます!」
と、頭を下げるアルベルトとガストンに視線をくれることなく、親方は片手を上げて作業場を出ていった。
二人は、しばらくの間、頭を下げたままだった。
一人前ではないとはいえ、親方から将来を有望視されているだけあって、杖は問題なく出来上がった。
アドバイスをくれた親方の長年の経験もあいまって、これ以上のものなど今の自分では作れない、と断言するほどの完成度だったのだ。
出発前に渡された二本の杖。幼馴染みたちの渾身の力作。想いもまた、伝わってくる。
スイープの依頼に出かけたシャーリーは、対象となる島までの定期便で到着後、目的地に向かって歩きながら、腰の杖たちに手を当てる。
しかも、支払ったお金は、一本分。
残りの代金は頑として受け取らなかった。
その詳細も、頑として話してはもらえなかった。
まあ、おそらくは、親方に絞られたのだろうと想像出来る。
「ふふ、ずっと変わらないんだから」
いつにもましてご機嫌なシャーリー。
これまでにはなかった、あの二人にいつも見守ってもらえているような感覚を覚える。安心感がこれまでとは段違いだ。
ふと周囲に目を向ければ、鬱蒼と茂る森が広がっている。
今歩いているこの獣道も、先達の冒険者たちが作ったもの。
ここは、アーケイン=ガーデンではない。
周辺の警戒は、一切怠っていない。
定期便が発着を行う場所は、切り開かれて小さい町が出来ているため安全だ。そこに住んでいる人もいるし、宿もあれば武器や《魔導杖》のメンテナンスをする工房、食事処もある。冒険者の活動も、この町に住むことも可能だ。
ただし。町は高い城壁で囲まれており、そこから一歩でも外に踏み出せば、もはや文明の影響が及ぶ領域ではなかった。
いつどこから、魔の眷属が襲ってくるか分からない。
また、それ以外にも、危険な野生動物はいるし、毒を持った虫だってうろついているのだ。
油断など出来るはずがない。
今でこそ自然体でいられるが、最初の未熟な頃は目も当てられなかった。
現在は、視界外から音を立てずに襲ってくる毒虫も、遠くから臭いを嗅ぎつけて気配を発さずに捕食しにくる肉食獣も、問題なく撃退可能である。
「ん、異状なし、と」
少し開けた、冒険者御用達の休憩スペースで、保存食用の果実をかじり、水で喉を潤す。
慣れているとはいえ、森歩きは体力をだいぶ削られる。
一般人では及びもつかない剣の腕と、魔術。
しかし、身体は人間のものだ。
鍛えても鍛えても、限界はある。
こうしたこまめな休憩は、いざという時に持ちうるポテンシャルをきちんと発揮するために、必要なことだった。
「さって、行こっか」
少し身体を休めたシャーリーは、再び目的地に向かって歩き出す。
今回の依頼は、リザード型の魔の眷属を討伐することだ。
普段は森の奥に陣取り、つつかなければ出てくるはずはないのだが、つい先日、物見やぐらから目視出来る距離まで、リザードが来ていたというのだ。
それが何を意味するのかは分からない。
もしかしたらリザードの気まぐれなのかもしれない。
しかし、森の奥に陣取るリザードが、人の近くまでやってきたことは気になる。
数が増えた結果追いやられたのだとしたら、かなりの脅威だ。よって、リザードを討伐して間引きする依頼が発せられたのだ。
今回の依頼は、シャーリー以外にも三組の冒険者が参加している。それぞれ別方向から行動して、最低でも一匹、最高で十匹ほど討伐すれば依頼完了である。
討伐数の幅が大きいのは、大量発生ではなかった場合、そもそも討伐対象がいないため、数が達成できない可能性が考慮されたからだ。
「うん、と……」
シャーリーは、やおら気配を薄くすると、するすると手近な木に登り始める。
いる。
視線の先には、地面に空いた大きめの穴。
その近くで、緑色の鱗をしたリザードが一匹、日向ぼっこをしている。
「ここは、巣かな……」
穴の大きさに比べて、リザードの方が小さめだが、まあ、余裕を持った巣作りでもしているのだろう。たまたまあの場所で日向ぼっこをしただけで巣でもなんでもない、という可能性もあるが、リスク回避のために、あの穴を巣穴として想定しておいた方が、いざという時の心構えが違う。
さて、日向ぼっこをしているあのリザードを仕留めれば、最低数は達成のため依頼は問題なく完了出来る。
もちろん、討伐したらしただけマージンが上乗せされるが、数を倒そうとすれば倒そうとするほど、当然戦闘の機会が増える。となれば、命の危険も増えていく。
いつもいつでも、奇襲が成功するわけではない。
ある程度のリスクは承知の上でどんどんと挑戦していく冒険者もいれば、安全マージンを大きく取り、無理無茶無謀を出来るだけ控える冒険者もいる。
どちらが正しくどちらが間違っている、という話ではない。
そして、どちらかといえば、シャーリーは後者だ。
ミスをすれば自分で自分をフォローしなくてはならないソロ冒険者にとって、安全を重視するのは当然と言える。
「どうしようかな……」
問題は、巣の中に何匹いるか、だ。
一匹や二匹ならいいが、三匹以上となると、同時に相手をするにはリスクが高い。
最善手は、全てのリザードを一撃で一網打尽にすることだ。が、それは全ての敵が目視、あるいは察知できている場合。今回は当てはまらない。
となると、あの一匹を気取られないように仕留めること。巣の中にいなければ問題ない。周囲の安全は確認できている。
が、巣の中にいる場合は分からない。巣の中までは、状況が分からないからだ。
「でも、このままじゃ埒が明かないか……」
このまま待っていても、時間ばかりが過ぎていく。
それではもったいない。
「ええい、なるようになるか!」
シャーリーはするすると木から降りると、茂みの中を隠れ蓑に再度リザードを見やる。
幸運だ、まだ見つかってはいない!
「ふっ!」
シャーリーは腰の剣を引き抜き、鋭く息を吐くとともに大地を蹴った。
周囲の風景が高速で後ろに流れていく。
茂みから飛び出したことで、ようやくリザードはシャーリーの存在に気が付いたようである。
「遅い!」
だが、今更反応したところで、もう逃れることは出来ない。
あっという間にリザードを間合いに捉え、そのまま剣を鋭く一閃。リザードの首をはね飛ばした。
「ふう」
残心をしながら、仕留めたリザードを見下ろす。
間違いなく死んでいることを確認すると、剣の血を払って鞘に戻し、素早く魔石を取り出した。
「やった」
まずは、これで一匹。
最低限のノルマは達成である。
このまま戻ったとしても、誰からも文句を言われはしない。
だが、この巣を放置しておくのも、何となく気にはなる。
「……少し、様子を見てみるべきか」
この巣に何匹いるのかは分からないが、出来うる範囲でもう少し間引いておこうと思ったのだ。
巣の中に入るのは論外だ。
本当ならば確認すべきなのだろう。だが、危険だ。探索をしている間にリザードが戻ってくれば、袋小路で相手にしなければならなくなる。そのような高いリスクは取れない。
信頼できる者とチームを組んでいれば、数名を外に待機させて退路の確保をさせつつ……という方法も採れるが、あいにくシャーリーはソロ。出来ることは限られている。
「うん、外で監視、が一番かな」
そこまで考えてから結論を出す。
シャーリーは再び適当な木に登り、リザードの巣穴が見える枝の上で待機した。
戻ってきて、仕留められるなら仕留める。仕留められなさそうならば様子をきっちりと観察して報告。
今日の討伐は、日没前までと決められている。状況如何だが、どんなに遅くなってもその時間には一度町に帰還するのだ。そう長い時間ではない。
今のうちに、と保存食で小腹を満たし、一口水を飲んでから、息をひそめて観察を開始する。
刻一刻と時間は過ぎていき。
もうすぐ夕方になるか、という頃。
変化があったのは、そろそろ、町に向けて帰還を始める時間であった。
(……来た!)
シャーリーからは、穴を挟んで反対側の茂みから。
合計で四匹の、リザード。
(……)
彼らは、巣穴の前で冷たくなっている同族を見てギャギャギャと鳴いていた。
いや、それはどうでもいい。問題は、四匹のうち一匹。鱗の色が違うリザードがいたのだ。他三匹は、最初に仕留めたリザードと同じく緑色なのだが、一匹だけ色が違う。
(赤い……どういうこと?)
リザードの色が違うことは、まあ、あることだ。
種族でもそうだし、住んでいる場所によっても変わったりする。
例えば森の中なら、カモフラージュのために体色は緑色だし、それが砂漠だった場合、体色は砂色をしている。サンドリザード、などと、同じリザードでも名前まで違ったりするのだ。
そして、ほとんどの場合において、色違いのリザードが群れに混ざることはほとんどない。
それに。
その赤いリザードは、心なしか身体も他のリザードよりも大きいような。
(…………!?)
気のせいか。
そう思えたら、どんなに良いか。
赤いリザードは、間違いなくこちらを、シャーリーを見ていた。
その瞬間、シャーリーは緊張を最大に高めていた。
いつでも、動けるように。
気のせいではないことが、証明される。
赤いリザードが周囲のリザードにギャアギャアと鳴くと、全てのリザードがこちらに向きを変えたのだ。
「……っ!!」
シャーリーは木から飛び降り、脱兎のごとく駆け出した。
まずい、まずいまずい。
三匹以上となれば、勝てないことはないがリスクは高い。
だが、あの場には四匹いるのだ。しかも、うち一匹は、他のリザードに比べて明らかに知能が高い。
相対するのは良くない。
理屈ではない、直観である。危機感、ともいえる。
逃げ出したシャーリーを、リザードが追いかけてくる。
まずは、三匹の緑色のリザードが並んで。その後ろから、赤いリザードが。
(……このまま町に行くのはまずい! トレインになっちゃう!)
すぐにでも町に戻りたいが、どうしても引き離せない。大体、走る速度は同じくらいのようなのだ。これでは、スイープにやってきた冒険者が町まで魔物を引き連れていく、という本末転倒な事態になってしまう。
この方向は町へ向かう道で間違いない。
であれば、少しずつそれて、町からは引き離す必要があった。
どうする。どうやって気を引く。方向を変えていることを、気取られないだろうか。
「……やるしかない!」
シャーリーは、杖を抜いた。
アルベルトが作ってくれた杖だ。
追いかけられている状態で、正確に術を発動する自信はない。
咄嗟にきちんと術が使えたなら、今ごろはもっと上の実績を残せている。剣はともかく魔術が今一つだからこそ、現状の評価なのだ。
追い付かれてはいけない。逃げる方向を誘導していることに気付かれてはいけない。走りながら攻撃し、ヘイトを稼がないといけない。
これまでの杖だったら、出来なかっただろう。
けれども。
(どんな状況でも、いつも通りの力を発揮できるというのが一番だと思う。どんなに逼迫しても、ガタが来ない杖がいつも通りの自分の力を引き出してくれる。その安心感から得られる精神への作用は、事態をいい方向に進めてくれるはずだ)
思い出される、アルベルトの言葉。
「アルベルトの杖なら!」
アルベルトの杖は、このような状況のために作られたものだった。
魔術の準備をする。
意図した結果を生み出すために構築し、放つ準備が出来たところで。
「投射!」
振り返り様、杖の先をリザードたちに向け、魔術を撃った。
それは、風の刃。
この森の中で火の魔術は使えないがゆえの選択。
二枚の風の刃は、一枚がリザードの間の地面を切り裂き、もう一枚が右端の個体の表面を掠め、血しぶきがわずかに舞った。
「グギャギャア!!」
リザードたちは敵意も露に、シャーリーを追うのに夢中になった。
「……出来た!」
これまでの杖ではかなわなかった、咄嗟の状況での、狙い通りの攻撃。
後は、これでリザードたちを撒ければ問題なしだ。
ただし、走って引き離すのは不可能。足の速さは、シャーリーとリザードたちでほぼ同等。
ならば、選べる手は一つ。
隠れて、やり過ごすことだ。
シャーリーは今残っている力を必要以上に引き出して加速する。
アルベルトの杖を一旦しまい、木々が濃い部分に飛び込む。
右へ、そして斜めに、更に左に、と攪乱するように進んで、最後は鬱蒼と茂った巨木の一つ、その中でも緑が濃い枝に身を潜めた。
身体が酸素を求め、荒い呼吸を求めている。それを意志の力でねじ伏せて、沈黙を保った。
さて、リザードは、どうやって獲物を探知しているのだろうか。
視覚か、聴覚か、嗅覚か。
先ほどは、目視だったので考える必要はなかった。だが、今は違う。こうして隠れている以上、必要ならばカモフラージュの手段を採らなければならない。
だが、何かが引っ掛かる。
それが、なんだかは、思い出せない。
木々の枝の間からは、リザードがこちらの方角にやってきている。右に左に首を振りながら歩いているところを見ると、まだ居場所はばれていないようだ。
(よしよし……このまま、やり過ごせれば……)
シャーリーは、右手にアルベルトの杖を、左手にガストンの杖を握った。
無意識の動作。
何となく、こうしていたかったのだ。
リザードたちは、非常にゆっくりながらも、徐々にこちらに近づいてくる。
(……?)
覚えた違和感。
見当もつかない状態で探しているのなら、あっちこっちにうろうろするのではないだろうか。
(何かが、ある?)
そういえば、先ほど引っ掛かった疑問に答えは出ていない。
視覚か、聴覚か、嗅覚か。
……本当に、そうだったか?
(……! もしも、それ以外なら……!)
例えば、気配を読むような能力を、持っているとすればどうだ。魔の眷属は、姿かたちが野生動物に似ていても、野生動物では持ちえない能力を持っていることだって多々あるのだ。
そうだ、あの赤いリザードは、隠れていたシャーリーを、どうやって見つけたのか。
目が、合った。
隠れているシャーリーと。
こちらを探す赤いリザードの、目が。
遊んでいる。間違いなく。
あの赤いリザードは、見つけられない振りをして、こちらが安心したところを襲うつもりなのだろう。そして何より、見つけられない振りをしていることが、シャーリーにばれても構わないと、考えているのだ。
「くっ……!」
悔しさに、歯噛みする。
遊ばれている自分に。
遊ばれていながら、どうにも出来ない自分に。
(大事なのはよ、ここぞって時に、限界を超えた力を出せるような奥の手だ。状況が悪くなるのは、自分の力が及んでねえからだろ。だのに、いつも通りの自分の力じゃ打開なんか出来ねえ。ここぞって時に最高の一手を打てる杖がいいぜ)
思い出される、ガストンの言葉。
もはや、このまま座していても状況の改善は見込めない。
あわよくば他のパーティが乱入してきてくれるかもしれないが、運を天に任せていても仕方がない。
「ガストンの杖に賭ける……!」
出来ることを全てやろう。
ガストンの杖は、このような状況のために作られたものだった。
狙うは、最大威力の衝撃。
自分の力を全て持っていけ、そんな想いで魔術を構築する。
異変に気付いたのか、リザードたちが、シャーリーが隠れる巨木に突進してきていた。
が、遅い。悪あがきをする時間を与えてしまった。リザードたちは、赤いリザードは、遊び過ぎたのである。
「投射!」
ドオン!!
轟音が響き渡り。
リザードたちの目の前で、シャーリーの最大威力の衝撃が放たれた。
「くっ!」
爆風に吹き飛ばされ、木から落ちないように、必死に枝にしがみつく。
自分の想像を超えた破壊力。
やがて爆風が収まり、地面に降りると。
狭いながらも広場が出来ており、爆心地の周辺には、息絶えた緑色のリザードと、息絶え絶えの赤いリザードがいた。
「はあっ!」
赤いリザードが生きていることを確認した瞬間。シャーリーは大威力の魔術を放った疲れを呑み込んで、剣を引き抜き突進。その喉元に剣を上から突き刺した。
びくびくと身体を痙攣させ、やがて動かなくなる赤いリザード。
完全に死んだことを確認し、シャーリーはゆっくりと剣を引き抜いた。
危機を脱した。
その実感が徐々に湧いてきて、シャーリーは手近な木の幹に背中を預けた。
「……やった! 助かった!!」
生きている。その喜びが、声となって飛び出した。無意識の、歓喜だった。
さすがにこれほどの威力だから、ガストンの杖に組み込まれた、動力となる魔石が内包するエネルギーは、ほとんど消費されてしまった。
けれども、安い買い物だ。
買い取ったのは、己の命なのだから。
ガストンの杖が無ければ生き残れなかったし、アルベルトの杖が無ければ、ガストンの杖を使うところまで辿り着けなかった。
(……ありがとう、アルベルト、ガストン)
今度は、心の中で礼を言う。
二人が心を込めて作ってくれた杖のおかげで、シャーリーは命拾いした。
喜びを噛みしめ、多少の疲労が回復したところで、シャーリーは戦利品の魔石を手に入れるためにナイフを取り出し、リザードの死骸に近づいて行った。
「ただいま! 遅くにごめんね!」
スイープの依頼から帰ってきたシャーリーが、工房で残業をしていたアルベルトとガストンのもとにやってきた。
無事な姿を見て、二人はほっとする。
「お帰り、シャーリー。無事戻ってきてよかったよ」
「おう、シャーリー。戻ったか」
作業の手を止めて、二人は幼馴染みの少女を出迎えた。
冒険者は生と死が隣り合わせ。
昨日元気に酒を酌み交わした相手が、翌日からは帰ってこないことなど、よくある話である。
その分、普通の仕事をするよりは実入りもいいのだが、冒険者は経費もかかる仕事のため、一般人よりもある程度裕福、程度でしかない。
本音としては、アルベルトもガストンも、冒険者から足を洗って欲しいと思っている。が、シャーリーがやると決めた仕事なのだ。辞めて欲しいなどと、言うつもりはなかった。
「すごかったよ! アルベルトとガストンの杖! これが無かったら、戻ってこれなかったかもしれない!」
と、嬉しそうに語るシャーリー。
一方、気が気でなかったのはアルベルトとガストンだった。
シャーリーは、この近辺ではもっとも腕が立つ冒険者である。そんな彼女が戻ってこれないなど、よほどのことだったに違いない。
「も、戻ってこれなかったかもって、何があったんだい?」
「そ、そうだぜ。タチのわりぃ冗談はよしてくれ」
「冗談なんかじゃないよ。本当に大変だったんだから!」
シャーリーは語る。
リザードのスイープ依頼だったこと。
三体のリザードと、一体の色違いのリザードに追われたこと。
必死に逃げている状況で、町へ行かせないために気を引こうと、アルベルトの杖で魔術を使ってヘイトを稼いだこと。
隠れてやり過ごそうとしたが、隠れ場所がばれてしまい、最後の悪あがきとしてガストンの杖に賭け、魔術を使って倒したこと。
必死に逃げているという極限状況で平常通りの魔術が撃てたのも、限界まで追い詰められたここ一番を乗り切る魔術が撃てたのも、全てアルベルトの杖とガストンの杖のおかげだ、とシャーリーは断言した。
アルベルトとガストンは顔を見合わせた。
どちらも、自分の杖だけでは脱出できなかった危機があったのだ。それはつまり、片方が欠けていたら、シャーリーがここに戻ってこなかったことを意味する。
「……ガストン。お前の主張も、どうやら間違ってはいなかったらしい。お前の杖のお陰で、こうしてシャーリーが戻ってこれたからな」
「アルベルト。どうやら、てめぇの主義ってのも、間違いじゃあねぇらしいな。俺の杖だけじゃダメだったってことがよぅく分かったぜ」
二人が喧嘩をせずに、相手の主張を認めるなど初めてのことだった。
そんな二人に、シャーリーは笑いかけた。
「私にはどっちの杖も必要だな。今後も二人に頼みたいんだけど、いいかな?」
その整った顔に浮かぶ満面の笑みに、さすがのアルベルトとガストンもぐっと言葉を詰まらせた。
だからこそ、守りたいと思った。この笑顔を曇らせてはいけない。
言いにくいことではあったが、ためらっていては手遅れになるかもしれない。
「……シャーリー。言っておきたいことがある」
切り出したのは、アルベルト。その表情は真面目そのものだった。シャーリーも、ここは茶化すところではないと感じ取ったのだろう。しかし空気が深刻になりすぎないようにわずかな笑みを浮かべたまま、小首を傾げた。
「あの、飛空艇乗りの男は、やめとけ。確かに、顔はいいがな……」
引き継いだのは、ガストン。
アルベルトとガストンは語る。
彼がギャンブルにはまっていること。自身の評判を下げないため、目立つ表の賭博場ではなく、裏の賭博場に通っていること。月々の必要な出費を時に借金で補てんしていること。その上、既に付き合っている恋人がいながら、シャーリーに声をかけてアプローチしていること。
確かに、アルベルトとガストンがやり玉にあげている男はろくでもない。それは、別にアルベルトとガストンだけの意見ではない。かの飛空艇乗りの男の事情を知っていれば、誰しもがろくでもないやつ、というほどだ。
けれども、これは陰口だ。いくら相手がろくでもないからといって、だから陰口を叩いてもいいのか。答えはNoだ。せめて面と向かって言うならまだしも、相手に聞かれないのを、顔を見られないのをいいことに言いたい放題言うなど、とても褒められたことではない。
方向が違うだけで、今のアルベルトもガストンも、ろくでもないことをしている自覚はあった。
ある種の、覚悟を持った行為だ。
陰口など最低と、シャーリーに嫌われる覚悟だ。
それでも、少しでも気付いてくれればいい。気付くきっかけになってくれればいい。
シャーリーの笑顔が曇らないならば、それでもいい。
そういう想いがあった。
果たして、シャーリーの反応は。
シャーリーはきょとんとした顔をしていた。
直後、何がおかしいのか、シャーリーが思い切り噴き出す。
アルベルトとガストンも予想外。
ひとしきり笑った後、目尻の涙を人差し指で拭って、シャーリーは話し始める。
「あの人には悪いけど、そもそも眼中にないんだよね」
シャーリーは腰に手を当てて憤慨した。
「あの人さ、私が依頼から帰って来た時に港の外にいたんだけど、恋人らしい女の人に痛烈なビンタを浴びて吹っ飛んでたよ。女性のビンタで吹っ飛ぶこと自体がまず軟弱だし、恋人さんが借金を返さずに浪費したことを叱っててさ、だらしないところまで知っちゃった。なのに、私を見つけたら嬉しそうに近寄ってきてナンパしてきたんだよ、信じられる!?」
話しているうちにヒートアップしてきたのか、声が大きくなるシャーリー。
アルベルトもガストンも、圧倒されていた。
「恋人がいる前でナンパなんて最低、二度と近づくな、って、思わずビンタしちゃった」
瞬間、男の恋人と目があったが、二人ともいい笑顔でサムズアップを交わしたという。直接会話をしていなくても、女同士思いが通じ合ったのだ。
「と、いうわけで、あんな男願い下げだよ。お金貰ったってイヤ」
だから大丈夫、心配してくれてありがとう、と、シャーリーは笑った。
そして、ふとうつむき。
「それに……」
と口にして、言い淀む。
シャーリーが何を言いたいのかが分からずに頭の上にクエスチョンマークを浮かべるアルベルトとガストン。
やがて意を決したのか、顔を上げるシャーリー。
その目は、二人から逸らされていたが。
直後。
「二人には、私を振り向かせる気はないの?」
そう告げるや否や、シャーリーは高速で身体の向きを変え、あっという間に工房を出ていった。
さすがにソロ冒険者として鍛えられた足。すさまじい速さであった。
アルベルトもガストンも、見えてしまった。踵を返す際、シャーリーの頬が紅く染まっていたのを。
夜道を走るシャーリーは、聞こえないと分かっていながら心の中で呟く。
(アルベルト、ガストン。私、知ってるんだよ。二人がなんで職人やってるか。私の夢についてくるために人生を決めてくれて、嬉しくないわけ、ないじゃん)
一方、工房に残された二人は。
「……アルベルト。俺ぁ認めるぜ。てめぇの信念が正しくて、杖が必要で、腕がいいってことをな」
「……ガストン。僕も、お前の杖が有用なこと、考え方が正しいことも認める。お前の腕がいいのも認める」
静かに、抑揚のこもっていない声で、そう告げ合う。
もはや、杖のことで争うつもりはない。どちらの杖も必要なのは、事実で現実なのだ。それを認めないと言い張っても無意味なのは、二人とも分かっていた。
「けどな」
「でもな」
二人はお互いの顔を見やる。
交わる視線。そのちょうど真ん中で、火花が散った。
「こればっかりは、譲ってやる気はない。僕が勝ち取って、見事に散らせてやる」
「上等。勝負はそうでなくちゃ張り合いねぇ。俺が勝ってほえ面かかせてやるぜ」
工房で、譲れぬ想いを抱いた二人の男の背中は、これまでよりも少し広く見えた。
ヒストリア=ガーデントップへ