ガーデンプロジェクト

  • アルカディア=ガーデン
  • セイヴァーズガーデン
  • ヒストリアガーデン

空のアタランテ

著:白米良

「だから、言ったじゃない! あの速度であんな角度つけたらぶっ壊れるって! あんた馬鹿なの? あ、ごめん、馬鹿だった」
「誰が馬鹿だっ。ギリ壊れてねぇだろ! 俺の読み通りだ!」
「空中分解寸前は十分壊れてるって言うのよ! この馬鹿っ」
「さっきから馬鹿馬鹿うるせぇっよ! このゴリラ女!」
「なんですってぇっ!? このトサカ頭のトリ頭!」
「んだっ、やんのかこら!?」
「やってやろうじゃない、この野郎っ」
 この《空の時代》、世界の中心ともいうべき巨大な浮遊島《アーケイン=ガーデン》の外縁部にある港の一角に、若い男女の怒声が響き渡っていた。
 少年の方は、年の頃十六、七歳といったところか。錆色の短髪をツンツンと立たせ、切れ長の目元と、髪と同じさび色の瞳をギンギンと輝かせている。細身だが、よく鍛えられた筋肉質な体であることが、着ている濃緑色のつなぎの上からでもよく分かる。
 野生の狼、というには少し足りない、やんちゃな狩猟犬を思わせる少年だ。
 少女の方は年齢的に少年の少し下といった印象だ。身長も少年が百七十半ばくらいなのに対し、百五十に足りないくらいだろう。少しくすんだ金髪を黒のリボンでポニーテールにしており、吊り目の奥には空色の瞳が輝いている。
 低めの身長と細身の体が一見すると幼い印象を与えるのだが、彼女の一部が凶悪なまでにそれを否定している。少女は、少年とお揃いの濃緑色のつなぎを着ているのだが、その胸元は閉じられていない。というか、閉じられないのだ。さらしを巻かれてなお、内着のタンクトップをこれでもかと押し上げている凄まじい双丘のせいで。
 そのせいか、パッと見は吊り目もあって野良猫っぽい印象なのだが、不機嫌さと胸元の迫力が合わさると、何となく野生のライオンを彷彿ほうふつとさせる。
「いい加減、兄に敵う妹なんていないってことを、教えてやる!」
「いい加減、姉に敵う弟なんていないってことを、教えてやるわ!」
 相当ヒートアップしているらしい二人は、似たような宣戦布告を行い、掴み合い、取っ組み合いの大喧嘩へと突入した。
 少年が少女へタックルをかまそうとする。対する少女は、腰に下げたポーチからスパナを取り出し、遠慮容赦なく少年の顎をぶん殴る。
 普通なら気絶しそうな一撃だが、少年は「ぶべっ!?」と悲鳴を上げてひっくり返っただけで大したダメージはないようだ。それが分かっていたのか、素早く飛びついた少女はマウントポジションを取り、「おらおらおらっ」と左右の拳で乱打を始める。
 少年は「舐めんなぁっ」と気合い一発。背筋と腹筋の力だけで少女を撥ね上げると「うひゃっ」と声を上げてひっくり返った少女の腕を取り、足で体を押さえつけて腕ひしぎ十字固めの体勢に入る。
 少女が「んぎぎぎっ、このっ、玉取ったらぁあああっ」と恐ろしい叫びを上げながら、少年のすねに再びスパナアタック。
 思わず技を解いてしまった少年の股間に向けて、少女は容赦ないスパナの一撃を見舞った。咄嗟に半歩ほどずり下がって回避する少年。その股間の数センチ先にスパナが打ち下ろされ、地面にぶつかってガキンッと強烈な衝撃音を撒き散らした。
「フ、フラン! てめぇ! 俺の男としての人生を終わらせる気か!?」
「ふんっ、アルが馬鹿なのがいけないのよ。バ〜カ、バ〜カ」
 アルと呼ばれた少年が額に青筋を立て、フランと呼ばれた少女も「なんだ、やんのかこの野郎」と応戦の構えを見せる。
 そんな二人を、港で仕事に励む周囲の人々は、止めるどころか「またか」と言いたげな呆れを含む目で見ていた。その慣れきった様子から、この二人の喧嘩が日常茶飯事であることが窺える。もっとも、一部の男達は、動く度に大迫力で揺れるフランの胸元ににやけているようだったが。
「せっかく、新しい《魔導杖》を取り付けようと思っていたのに! あれの修理費用で、明日からまた一週間は煮干し生活よ!」
「馬鹿野郎っ、それがどうしたってんだ! たった一週間煮干し生活するだけで、修理も新装備の取り付けもできるんだぞ! 何が問題なんだ!」
「……確かに!」
 そこ、納得するのか!? と、周囲の人達が心の中でツッコミを入れる。
「って、そうじゃなくて、もっと考えて操縦しろって言ってんの! そもそも今回は最大速度の検証でしょうがっ。それなのに無茶な機動しすぎなのよ!」
「俺の中では無茶じゃなかった。いいか、フラン。考えるな、感じろ! だっ」
「その結果があれだっ、このトリ頭!」
 ビシッと、フランが指を差した方へアル共々周囲の人達が視線を向ければ、そこには埠頭の一角に設けられた一時的な係留施設と、その中の船台に載せられて煙を噴いている飛空艇があった。
 後部に取り付けられた《魔導器》部分から煙が上がっており、更に機体のあちこちに小さな亀裂が走っている。正直、これで飛んでいたのかと思うと、誰もがゾッと背筋を震わせずにはいられなかった。
「……フラン」
「なによ」
「……お前の整備は完璧だ。いいスピードだったぜ☆」
 何かを誤魔化すように、パチンッとウインクしながらサムズアップするアル少年。
 フランはその称賛ににっこりと魅力的な笑みを浮かべて、
「ありがとう、アル。でも、てめぇは殺す」
 スパナの二刀流となってアルに飛びかかるフランちゃん。アルは、轟ッと風を唸らせて迫る殺意たっぷりのスパナアタックを必死の形相で回避する。
 再び上がる怒声と悲鳴、そして揺れる双丘――周囲の呆れと好色を含む微妙な注目など気にした様子もない二人は、互いにガルルルッと唸りながら喧嘩の決着をつけようとして……その前に、機先を制するように声がかけられた。
「あの、すみません。クーゲル超高速超飛空艇超造船所の方でしょうか?」
「あ?」
「おぉ?」
 丁寧な声音での問いかけに、アルとフランはヤクザのようにメンチを切りながら視線を転じる。その迫力に、思わず「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げて後退りしたのは、質のよさそうな服と装備を身につけ、大きな荷物を背負った冒険者風の美青年だった。
 一見すると、富裕層の青年がお遊び感覚で冒険者をしているようにも思えるが、よく見ると服も装備もかなり使い込まれていることが分かる。
「誰だ、あんた。俺は今、この生意気な妹分に兄の威厳を叩き込むのに忙しいんだ」
「誰よ、あんた。私は今、この生意気な弟分に姉の威厳を叩き込むのに忙しいんだけど」
 凄まじい喧嘩をしているのに、何故か先程から妙に息の合うアルとフランの、これまた揃って不機嫌さ全開の言動に、声をかけた青年はビクッと震える。
 が、普通なら「間違えました」ときびすを返すだろうこの状況で、青年はぐっと表情を引き締めると言葉を返した。
「クーゲル超高速超ひく――ごほんっ、クーゲル造船は、速度を重視した高速飛空艇を有していると耳にしました。また、造船や修理だけでなく、運送業も請け負っていると」
「あ? まぁ、そうだが……ん、ちょっと待て、まさか、あんた」
 アルがいぶかしそうに眉を寄せ、しかし、直後には青年の言いたいことを察したようで見る見る顔色を変える。それは隣のフランも同じだった。パッと表情を変えると、
「も、もしかして、あんた――じゃなくて、貴方様は、お客様?」
「え、あ、はい。そうです。お二人に依頼したいことが――」
「アルう!」
「合点承知!」
 青年が声をかけてきた理由を知った途端、アルとフランの態度が豹変した。アルは素早く周囲に散らばっている工具や荷物を片付け、フランは髪や服を整えて、先程までの《魔の眷属けんぞく》も裸足で逃げ出しそうな凶相をにこにこ笑顔に変える。
 心なしか、フランの顔からキラッキラッと星が散っているように見えなくもない。それくらい輝いた笑顔だった。
「大変失礼しました、お客様。私、クーゲル超高速超飛空艇超造船所のフラン=カーティスと言います。どのようなご依頼でしょうか? 造船? 修理? それとも運送? どのようなご依頼でも、安心確実完璧最速にて果たしてみせます!」
「……えっと、運送です。私をウラル島まで直ぐにでも連れて行って欲しいのですが」
 フランの輝く笑顔と、無意識なのか「ふんすっ」と鼻息荒く意気込んで少々前のめりになっているために強調された双丘の凶悪さに、思わず意識を持って行かれそうになった青年は、そんな場合じゃないだろと心の中で自分を殴りつける。
「お客さん。自分はアリオール=ストリークです。ウラル島までの運送の依頼なら、基本料金はこんな感じですが、どうでしょう? ある程度は勉強もさせてもらいますよ!」
 いつの間に取り出したのか、アリオール――愛称アルが、距離や運送物、拘束期間などで場合分けした料金表を広げて見せてくる。
 その表情もまた先程までの凶悪なものと異なり、お前誰だよレベルでにっこにっこと輝いていた。
 見やすいように広げられた料金表を指差して、フランが詳しい内容を伝えようとする。が、青年はそれを手で制して無用だと訴えた。視線も、料金表には一瞥いちべつもくれない。
「料金は一番高いもので構いません。なんなら、言い値で払いましょう。貴方達が、私を直ぐに、最低でも明日中に目的地――ウラル島へ連れて行ってくれるなら」
「……それはまた、随分と剛毅ごうきな上に無茶というか何というか」
 流石さすがに、いくらでも払うなどと言われた上に、普通なら丸三日かかる距離を明日中と制限を設けられたことに、フランは込み入った事情を嗅ぎ取って困惑の表情を見せた。
 最高レベルの高速艇で、高リスクの夜間飛行を含むかなり無茶なフライトプランを立てたとしても、明日中となるとギリギリだ。
 つまり、それだけ切羽詰まっているということなのだろうが……
 フランが助けを求めるようにアルへ視線をチラリと向ければ、アルもまた微妙な表情でフランを見た。その視線がフランに訴える。
(キナ臭ぇぞ)
(よね。でも、上客よ?)
(一週間煮干し生活と、リスク。どっち取る?)
(一ヶ月ぶりの仕事よ。ここで逃したら、場合によってはプラス一週間、塩と水になりかねないわ)
(逃しても生活難というリスクがあるわけか。逆に、報酬によっては夢にまた一歩近づく。なら、答えは決まってるようなもんだ)
 話し合いの結果、アルとフランの結論は出たようだ。
 ちなみに、ここまで二人は一言もしゃべっていない。数秒の間、見つめ合っただけだ。さっきまで殺し合いかと思うような喧嘩をしていた二人とは思えない。
「分かりました。それじゃあ、詳しい話を――」
「おい、兄ちゃん。止めといた方が良いぞ、そいつらに依頼なんて」
 フランがにこやかに依頼を受諾する方向で詳しい内容を聞こうとしたところ、不意に、近くにいたおっさんがそんなことを言った。
 せっかく現れた上客とこれから契約を交わそうという時に水を差してきたそのおっさんを、フランが般若もかくやという形相で睨み付ける。
 隣の小型の輸送艇から荷下ろしをしていたらしいおっさんは、フランの凄まじい眼光にビクッと体を震わせつつも、逆に意地になったのか更に口を開いた。
「誰に聞いて来たのか知らねぇけどよ、そいつらに頼んだってろくな事にならねぇよ」
「碌な事にならない、ですか?」
 おっさんの言葉にアルとフランが反論しようとする前に、青年が質問した。我が意を得たりと言った様子で、おっさんが言葉を重ねる。
「ああ、そいつら運送業なんて言ってるけどな、馬鹿みたいな形の飛空艇のせいで、小型の荷物をせいぜい十数個くらいしか運べないんだ。冒険者の運搬とあっちゃあ、誰も彼も、一度乗れば半死人状態になっちまって、二度とこいつ等に依頼なんてしない。というか、中には飛空艇がトラウマになって冒険者止めちまった奴もいるらしいぜ?」
「ちょっとっ、勝手な推測で適当なこと言わないでくれる!?」
「そうだっ、あいつら揃いも揃って冒険者のくせに柔なんだよ! つか、おっさんっ。業務妨害だぞ! 治安局に通報すんぞ、こら!」
 あんまりな内容に、今度こそフランとアルが揃って反論した。だが、二人ともおっさんの言葉を微妙に否定しきれていないところが何とも言えない。
 元々、ある程度注目が集まっていたせいか、喧噪によって他の者達まで口を出し始めた。彼等は、アルとフランが気に食わないというより、本心から青年を心配して忠告をしているようだ。
 ――曰く、スピードを重視しているんじゃない。スピードしか重視していない
 ――曰く、操縦も機体も頭がおかしいとしか思えない
 ――曰く、いつ墜落してもおかしくない
 当然、アルとフランは反論しようとするのだが、忠告していた初老の男がスッと指を差した先には、今も煙を噴いている二人の飛空艇があった。
 アルとフランは目を逸らした。小さく「落ちたことねぇし」とか、「時代の先を行ってるだけだし」などと言い訳じみたことを呟いている。
 確かに、その飛空艇は、埠頭に停泊している他の飛空艇に比べ、異様な姿をしていた。
 一言で言うなら、〝薄っぺらい〟だろうか。他の飛空艇が縦にも横にも厚みのある空飛ぶ魚のような形状をしているのに対し、中に入っても腰を折らないといけないのではないかと思うほど機体が薄い。
 そして、異様な点は他にも。全体が異様なまでに磨かれ、更に機体中央付近の左右に大きな翼が、機体後部左右と上方にも小さな翼が取り付けられていて、後部には大型の筒が二つ生えているのだ。よく見れば、滑らかな機体には微妙な溝が彫られていたり、翼の後ろ側には上下に角度の異なる小さな翼まであるようだ。
 なるほど、確かに見たこともない形状の飛空艇である。それが煙を噴いて、幾つもの亀裂をこさえているのだ。
 一度落ちれば助かる道理はなく、地上や海は《這い寄る闇》の影を感じさせる不吉な場所。飛行中に機体が爆発四散し、そんな最悪の場所を墓場にするなど想像もしたくない。
 周囲の人達が思わずお節介にも忠告してしまう理由が分かると言うものだ。
 青年は、周囲の人々の忠告を聞いて、一拍、瞑目めいもくしたあと、アルとフランへ真剣な眼差しを向けた。
「お二人は、明日中に私をウラル島へ連れて行くことが出来ますか?」
 周囲の人達がギョッとしたように青年を見た。無理もない。普通なら苦笑いか引きった表情でも見せて、来る場所を間違えたと踵を返すところだ。それだけの不穏で不吉な情報を伝えたのだから。
 にもかかわらず、青年の問いは、あくまで己の依頼を完遂できるか否かということのみ。
 アルとフランは互いに顔を見合わせ、ちょいとぶっ壊れ気味である自分達の飛空艇を振り返り、
「問題ねぇ。ですよ」
「余裕。ですよ」
 と、自信満々に答えた。自信満々すぎて、思わず敬語が崩れるほどに。
 そんな二人をジッと見つめた青年は、一拍おいて頭を下げた。
「お二人に依頼したいと思います。よろしくお願いします。取り敢えず、経費と前金に、これだけ用意してきました。足りなければ言ってください」
「お、おぉう!? ……お客さん、今日から貴方が神だ」
「ふわっ!? ……お客様は神様です」
 渡された丈夫そうな革袋の中にぎっしりと詰められた硬貨のお金。正直、先程提示した料金プランの一番高い額を超えている。もちろん、あれは基本料金で、そこに更に経費やらなんやらを加算するのだが、青年は今、これが経費と前金だと言ったのだ。
 ――お客様は、神様だった。
 年中金欠状態で、人間の限界に何度も挑戦していた二人からすれば特に。
 内心で狂喜乱舞している二人だったが、面白くないのは先程のおっさんを筆頭にした周囲の連中だ。親切心から忠告したのに、目の前でとんでもない金額(二人の喜びようから相当な額と判断)を支払ったのだ。ねたみも混じって心の不機嫌ゲージはレッドゾーンに突入である。
 それ故だろう。言わなくてもいいことを言ってしまったのは。
「チッ。流石、頭のおかしい爺の弟子共だな。寄ってくる客もどうかしてるぜ」
「まったくだ。あのいかれたジジィも相当だったが、こいつらも相当だよ」
「死にたがりは勝手にやってろってな。つーか、あの気持ち悪い飛空艇なんとかなんねぇのかよ」
 良い笑みを浮かべていたアルとフランの表情がスッと消えた。二人しておっさんの方へ視線を転じると「あ?」「なんですって?」と無表情に問う。
 先程までの血気盛んな様子とは異なる、不気味なくらい静かな怒り。知らず身を震わせ一歩後退ったおっさんは、しかし、二十歳も超えていない少年少女に意地になったようで、更に二人と一緒に〝ジジィ〟とやらに罵倒を浴びせる。
 次の瞬間、
「ぐへぇっ!?」
 おっさんの一人が吹っ飛んだ。おっさんがいた場所には、拳を振り抜いたアルの姿。
 アルは残心を解くと拳をボキボキと鳴らしながら額に青筋を立てる。
「俺等のことはよぉ、なに言ったってかまやしねぇさ。大体、事実だしな。でもよ、反論も喧嘩もできねぇ死んだ人間をなじるのは……違ぇだろ? そんなことされちゃあ、生きてる奴が代わりに黙らせてやんなきゃ、ダメだよなぁっ!!」
「てめぇっ、このクソガキ!」
 殴られたおっさんが、鼻から血を流しつつも、額に青筋を立てて反撃に出た。同時に、「てめぇら全員ぶっ飛ばす!」と言わんばかりのアルの態度に、おっさんの同僚や先程罵倒に加わった連中が「調子に乗んな!」と飛びかかる。
 一瞬にしてやってきた乱闘の空気。この港は、《アーケイン=ガーデン》でも端の方にあるさびれた場所で、主港に比べて元よりガラが悪い。基本的に明日もかつかつの零細企業や個人事業主、あまり稼げない冒険者が集うような場所だ。
 故に、喧嘩や乱闘もここでは割と日常茶飯事。アルVSおっさん数人の大喧嘩は、瞬く間に人々の野次馬根性で盛り上がっていく。
「あ、あの、私の依頼――」
「行けぇっ、アル! そこだ! よしっ、流石! そのままぶっ飛ばせ!」
「あの〜、フランさん? 私、結構切羽詰まって――」
「てめぇっ、私の相棒に何してくれてんのよ! 死ねっ」
 フランちゃんから無数のスパナ&レンチが投擲とうてきされる。見事としか言いようのない軌道を描いて、全ての凶器がアルを取り囲むおっさん達に命中した。
 おっさんの一人が怒り心頭! といった様子でフランへ迫る。
「果てろっ、エロおやじ! フラン見てニヤニヤしやがって!」
 実はフランの胸に釘付けだったおっさんの一人であるそいつに、アルが凄まじい跳び膝蹴りをかました。「ぎょべぇっ」と奇怪な悲鳴を上げて吹っ飛んでいくおっさん。危うく外縁部からフリーダイビングしそうになって冷や汗を吹き出している。
「……あと少しだけ待とう。うん、私は忍耐強い男だ」
 誰も自分の話を聞いてくれない。遂にはフランまで跳び蹴り参加し始めた乱闘騒ぎを端から見つめつつ、依頼人の青年は手元の《魔導杖》に手をかけるのだった。


 《クーゲル超高速超飛空艇超造船所》
 やたらと〝超〟アピールしてくるボロい看板がかかった、これまた廃墟と見紛いそうな建物の中から、甲高い金属音や、ガンガンッという激しい衝撃音が漏れ出していた。
「あの、明日中ですよ? もう数時間で日も完全に沈みますが、本当に大丈夫ですか?」
 耳をつんざくような騒音に負けじと、作業所の隅っこに設けられた椅子に座った青年が大声で問いかける。どのような高速船でも、目的地であるウラル島への中継島に行くには、もう今すぐにでも出発しなければ間に合わない。
 だが、肝心のアルとフランは、数時間前から始めて未だ、先程の壊れかけた異形の飛空艇を急ピッチで修理している。
 青年としては、二人が自信満々だったことから、予備機でもあるのだろうと思っていたのだが、いざ案内された造船所にはところ狭しと機材や工具が転がっているだけで予備機の影も形も存在しなかった。
 道中、わざわざ壊れかけの機体を運び出した時点で何となく予感はしていたのだが、まさか本当に修理を始めるとは……もしや、本当に依頼先を間違えたかと思わず頭を抱えてしまう。
「大丈夫、大丈夫! それより、話の続き! マークのお姉さんが《導書院》で依頼を受けて、それでどうしたんだっけ?」
 ゴーグルをつけて、火花を撒き散らしているフランが、青年――マーク=リッドルの方を見もせず依頼に至った事情説明の続きを促す。
 ちなみに、フランの話し方がフランクなのは、マーク自身が敬語は不要と言ったためだ。
「確か、ウラル島に何かの調査に行ったんだよな?」
 クレーンを操作しながら、何かを取り付けているアルの質問に、マークが頷く。
「はい。《導書院》の依頼で、ウラル島の調査依頼を受けたのです。……一ヶ月前の話です」
 埠頭からの帰り道に聞いた内容と合わせると、どうやらマークの姉――セリア=リッドルはそれなりに名の通った冒険者で、普段は弟であるマークと組んでいるのだが、今回はマークが所用により行けなかったため、友人の冒険者達とパーティーを組んで調査依頼を請け負ったらしい。
 ウラル島までは片道三日。調査期間を十日と設定していたらしく、予定通りなら十六日前後で帰ってくるはずだった。どんなに遅くなっても二十日より後になることはない。
 だが、結局、二十日を過ぎてもセリア達が帰ってくることはなく、今日でちょうど三十日目。
 居ても立ってもいられなくなったマークは、ウラル島までセリアの捜索に行くことを決意し、最短時間で飛行してくれる運送屋を探したのだという。
「姉達が用意していた食料は、念の為用意した予備分を含めても二十日分。節約しても、もうギリギリです。ウラル島はほとんど植物のない岩石の浮島ですから現地調達もできない。もし、姉達がまだウラル島にいて帰還できない事態に陥っているのなら……もう、本当に一刻の猶予もないのです」
 マークの言う通り、ウラル島は岩石地帯がそのまま浮遊したような場所だ。島の中央を何キロも蛇行する峡谷があるほど巨大な島ではあるが、それだけである。特に資源らしい資源もなく、人の住む場所としては不都合すぎるので中継島としてすら使われていない。
 つまり、セリア達が遭難しているとして、偶然に助けられるという可能性も著しく低いというわけだ。
 マークは本当に姉が大切なのだろう。あふれ出そうな焦燥感と絶望感を表に出さぬよう必死に堪えているらしく、彼の拳は出会った当初からずっと固く握り締められている。
「……ふ〜ん。なるほどね」
「また随分とヤバそうだなぁ」
 ゴーグルを外したフランがチラリとマークを見た後、その視線をアルへと移した。アルもまた一通り作業が終わったようで、フランをチラリと見やる。
 二人はそれだけで分かり合ったように小さく頷き合うと、最終点検をしながらマークに口を開いた。
「食料とか、応急セットとか、その辺の準備はOK?」
「あ、はい。もちろん、問題なく。二週間分は用意してます。念の為、お二人の分も」
 フランの問いかけに、マークが脇に置いてある大きな背負い袋へ視線を投げた。一人分にしては大きな荷物だと思ったが、食糧難に喘いでいるであろう姉達と運送屋の分まで食料等を用意していたようだ。
「食事付きの依頼たぁ嬉しいね。それじゃあ直ぐに出られるな。フラン、どうよ?」
「オールオーケー! うん、我ながら美しい仕事だわ!」
 最終点検も終わったのだろう。壊れかけの飛空艇は、いつの間にか輝きを取り戻し、異形でありながらハッと息を呑むような美しさをたたえていた。
 飛空艇の上からぴょんと飛び降りたフランが、輝く笑顔でアルにサムズアップする。ついでに双丘がぷるるんっと自己主張した。マークが咄嗟に視線を逸らす中、《魔素燃料》の注入を終えたアルは特に気にした様子もなくサムズアップを返す。
「OK、お客さん。準備できたぜ? 早速出発だ。乗り込んでくれ!」
 アルの号令により、マークは逸らしていた視線を慌てて戻し、荷物を背負って、飛空艇より下げられたタラップから中へと乗り込んだ。
 機体の中は、案の定天井が低く、低身長のフランですら少し頭を下げる必要があるほど。当然、マークは中腰になりながら、「そこ座って。ベルトを忘れずに!」というフランの指示に従ってどうにか座席へと座り込む。
 座席は一番前に二席、その後ろに二席あるだけだった。座席の後ろには小型の荷物が十数個収められる程度のスペースと荷物を固定するベルトが無数にあるだけ。
 マークは、そんな機内を見てふと思う。
 ――機体の大きさと、機内のスペースが明らかに釣り合っていない、と。
 不意に襲ってくる不安感。「これ、本当に飛ぶ、よね?」と。
 コックピットに座りきっちりベルトを締めた後、パチパチと無数にあるスイッチをいじるアルが、緊張に顔を強ばらせているマークを見て、おもむろに口を開いた。
「さて、ご搭乗のお客様、おそようございます。本日は、飛空艇《アタランテ》をご利用いただき誠にありがとうございます。当機、操縦者のアリオールでございます」
 いきなり何を言い出すのかとマークが目を点にし、フランは笑いを堪えるように肩を揺らしている。
「お客様におかれましては、当機の姿形に不安を感じることもあるかと思いますが、どうぞご安心ください。当機を製造しました我々クーゲルの人間は、少し未来に生きているだけでございます」
 今度こそフランが笑い声をあげる。同時に、《魔導器》に火が入った。《魔素燃料》が飛空艇《アタランテ》の心臓を叩き起こし、《浮遊》の《論理魔術》が目を覚ます。キィィィッという小さな音が機体に拡散し、重力のくさびを振り払う。
 ここまでは普通の飛空艇と同じ。杞憂だったかとマークが小さな息を漏らす。
「そう言えばフライトプランについてですが――」
 あ、とマークが声を漏らした。本来、島間飛行には綿密なフライトプランが必要だ。焦燥感と、アルやフランの「さっさと出発するぞ」的な雰囲気で流されていたが、詳しい計画はなにもない。夕日が沈みかけているこの時間に出発すれば確実に夜間飛行となる。次の中継島についてもどこにするのか決めていない。
 が、マークが何かを言う前に――凄まじい轟音の旋律が響き渡った。
「なにがっ!?」
 ゴゴゴッと機体を揺らす激しい振動と鼓膜を叩く轟音。薄暗くなっていた作業所内の後方が、なにやらやたらと明るい。
 原因は、機体の後部から噴き出している凄まじい魔力の奔流。《論理魔術》:《浮遊》《飛翔》を用いて飛ぶ他の飛空艇にはない、圧縮した魔力の噴出を推進力とする物理機構。
 混乱するマークを尻目に、アルとフランは何故か恍惚こうこつの表情。それはまるで、世界一の楽団が奏でる至上の音楽を堪能しているかのよう。
「プランは不要です。当機は世界最速。中継島になど止まりません。流星より速く夜空を駆け抜け、日の出より先にゴールします」
「と、止まらない? 日の出? さ、さっきから一体何を!? というか、この振動と音は――」
 座席越しにアルとフランが小さく振り向いて、混乱するマークにニッと笑いかけた。
「安心しろよ。必ず、姉ちゃんのところまで届けてやる。この世界の誰よりも速く。とろくさい《導書院》なんざ、目じゃないぜ?」
「そうそう。お役所が準備に時間をかけなきゃならないほど危険でも、問題なんてないわよ。私達の《アタランテ》は、全てをぶっちぎって置き去りにするからね!」
「なっ……お二人とも、気がついて――」
 敢えて話さなかった依頼内容の一部。それに気がついているらしい二人に狼狽うろたえるマークを尻目に、不敵な笑みを浮かべるアルとフランはテンションマックスで叫んだ。
「さぁ、お客様。歯ぁ食いしばって、腹に力ぁ入れてください!」
「ついでに意識もしっかりね! 飛んじゃうわよ?」
 それは意識か、それも機体か。ゴウンッと音が鳴って、作業所の壁が左右に割れる。突き出した無数の桟橋と、帰港する数多の飛空艇。それを誘導する精霊族達。そして、燃え盛る夕日が視界を埋める。
 直後、轟ッと衝撃じみた音と凄まじい振動が発生。機体後部の魔力奔流が一層輝き、それを隠すように魔力奔流の出入口が収縮。小さな蛇口から大量の水が噴き出すかのように魔力の輝きが噴出する!
「超高速飛空艇《アタランテ》――出るぜぇっ!!」
「ひゃっは―――ッ!!」
「え、ちょ、な、んぎぃいいいいやぁああああああああああああッ〜〜〜〜〜」
 全身に襲いかかる強烈な圧力。流線と化した景色と、恐慌に陥る他船や精霊族達。
 それらを意識する暇もなく、マークは、乗船した超高速飛空艇《アタランテ》と共に、一筋の閃光となって湾港を飛び出した。
 凄まじい加速が、《アーケイン=ガーデン》の夕暮れに若い男の悲鳴を置き去りにした。
 十数分の後。ようやく巡航速度となって加速を止めた《アタランテ》。同時に、フランが手元のスイッチをポチッと押した。
 すると、マークの座っている席の足の間からアームが伸びて、その先端に取り付けられたエチケット袋がバサッと口を開ける。マークも口を開けた。
「オロロロロロロロロロロ〜〜〜〜〜〜ッ」
 船上のマーライオン――マーク=リッドル。エチケット袋には「魂の入れ物」と書かれている。確かに、マークライオンは魂を吐き出す勢いだ。
「マーク。到着時刻は明朝よ。それまで我が家のようにくつろいでね」
「オロ〜。ごの、惨状を見でっ、うぇっ、げほっ、くつろげってっ、鬼ですか!?」
「取り敢えず一度吐いちまえば大丈夫だって。もう巡航速度だし」
 適当なことを言って、アルとフランは先程の加速について楽しそうに議論を交わし始めた。フランなど未だ恍惚の表情で胸元を押さえており、ベルトで強調された双丘が更に大変なことになっている。ここが人の多い場所なら、その可愛らしい素顔と相まって、前屈みの男を量産すること請け合いだ。
 もっとも、相棒たるアルは全く気にしていないのか、加速率がどうだとか、燃料消費がどうだとかニヤニヤしながら上機嫌で会話を交わしている。
 マークとて男。正直、このような切迫した事態でなければフランをかなり意識していただろうという自覚はある。そんな彼女の前での醜態を、これ以上晒すのは勘弁だ。
「うっぷ。あの、今の加速は? 《論理魔術》、ですか?」
 取り敢えず、吐き気を紛らわすためにも気になったことを聞いてみる。
「あら? 気になる? 気になっちゃう? しょうがないわね。そんなにこの飛空艇の素晴らしさが知りたいなら教えてあげるわ!」
 ガバッと振り返ったフランが瞳をキラッキラッと輝かせながら饒舌じょうぜつに語り始めた。その笑顔にちょっとときめきつつ、マークはこの飛空艇が動力以外では極めて物理的な作用によって飛行していること、そのための異形であることを聞かされる。
 話が専門分野に入ったところでよく分からなくなった上に吐き気が増して来たので、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「お二人は、気がついているんですよね? 私が話していないことに」
 出発の直前でアルとフランが口にしたこと。それは、既に《導書院》が動いていること。その《導書院》が救助に間に合わないと分かっていて未だに出発できないほど入念に準備していることだ。
「そりゃあな。お前、金持ちだろ? たぶん、家からして。金持ちのボンボンの匂いがするし」
「そうそう。それで、そんな金持ちなら自前の高速飛空艇くらい持っているはずよね。なのに、それが出せなくて、しかも主港に常駐するような有名どころの運送屋じゃなくてうちに来た」
 取りも直さず、それは、リッドル家が高速艇を出してマークが捜索に行くことを止め、かつ、言い値を払う上客であるにもかかわらず主港に常駐するような名のある運送屋が軒並み拒否し、評判の悪い自分達のところへ流されるほど、依頼の内容が危険であるということ。
「言い値を払うなんて上客が拒否されるほどの危険――調査依頼としか言わなかったけど、大方、《魔の眷属》が関わるような事案なんでしょ? そんな事案で、その調査隊が行方不明になったっていうのに、《導書院》が放置するはずもないわよね」
「だけど、《導書院》はまだ動いていない。少なくとも、帰還予定からもう十日も過ぎているっていうのにな。……たぶんだけど、《導きの福音書》がより明確な予言でも出したんじゃね? 最初は不穏な気配あり、調査せよ。調査隊行方不明後は、《魔の眷属》出現! 討伐せよ! ただし、ヤバそうだから入念に準備して! みたいなさ」
「……すみません」
 ふざけていて、お金に目の眩みやすい若く貧困な運送屋かと思えば、ほぼ完璧に事態を推測されている。正確には、《魔の眷属》が出現したと確定したわけではないのだが、その可能性が高い何らかの《厄災》が生じたという予言が出されたのだ。
 マークは二人の洞察力に内心で舌を巻きつつ補足説明し、断られることを恐れて危険性を黙秘していたことを謝罪した。
 そして、どうか依頼の続行を、と願い出ようとして、振り返ったフランのウインクに言葉を止められる。
「そんな心配そうな顔しなくてもいいって。分かってて受けたんだし。受ける気がないなら、最初から飛ばないし。ね、アル」
「おうよ。言ったろ? 必ず、姉ちゃんのところまで届けてやるって。信じろよ」
 《導書院》が即時行動を躊躇ためらう程の危険を自覚してなお、あっけらかんと言うアルとフランに、マークは困惑の表情を隠せない。
「どうして、そこまで……」
 アルとフランは互いに顔を見合わせ、苦笑い気味に言う。
「家族は大事だ」
「家族は大事だもの」
「……ありがとうございます。本当に」
 沸き上がる想いに声が震えるのを自覚しながら、マークは感謝の言葉を口にした。
 直後、
「何より、金払いがいいからな! ありがとうございます!」
「マーク様ステキ! よっ、金持ち! ありがとうございます!」
「……いろいろ、台無しですよ」
 理由の九割は金に目が眩んだかららしい。
「私が言うのも何ですが、お金に釣られているといつか痛い目にあいますよ? 今回だってどうなるか分からないのに」
「俺達の夢には金がかかる。リスクを恐れて足踏みしている余裕はない!」
「危険上等! 夢のためなら命を賭ける! それでこそクーゲルの技師よ!」
 何故かハイテンションで拳をぶつけ合うアルとフラン。ようやく吐き気も収まってきたマークは《魂の入れ物》を処理しながら、興味本位に尋ねた。
「夢、というのは、この飛空艇ですか?」
「おうよ。この《アタランテ》を、文字通り、〝世界最速〟にする」
「お爺ちゃんから受け継いだ私達の夢よ。文句なく、異論なく、反論の余地もないほど圧倒的に、世界すら置き去りにするスピードを! てね」
「な、なぜそこまで速度にこだわるのですか?」
 先程の加速を思い出して少し青ざめながら問う。あるいは、そこには壮大で、何かのっぴきならない事情が……
「格好いいだろ?」
「ロマンがあるでしょ?」
「あ、はい。そうですね」
 特に大した事情はなかった。流石に呆れたような表情を隠せないマークに、むっとなったアルとフランが言葉に熱を込めて語り始める。
「マークも分かるだろ? さっきの加速感。全身にかかる圧力。それがもたらす鳥肌ものの快感が!」
「いえ、分かりません。普通に死ぬかと思いました」
「マークにも分かるでしょ?《魔導器》の唸り声。機体を揺らす振動。魂を震わせる多幸感が!」
「だから分かりませんって。普通に恐怖でした。この機体壊れるんじゃないかと」
「マーク、想像しろ!〝高速〟と謳っていながらあっという間に追い抜かれ置き去りにされる他の飛空艇を! そのコックピットからチラリと覗く、唖然とした操縦士達の表情を! 心が躍るだろ!?」
「いえ、むしろ驚かせてすみませんと頭をさげたい――」
「マーク、想像して! 音速の壁を突破した瞬間の衝撃を! 雲海を吹き飛ばし、際限なく上がっていくスピードメーターをっ! 絶頂すら覚えるわ!」
「お、女の子が絶頂とか言っちゃダメでしょ! 自重してください!」
 おかしな表情で「ふへ、ふへへっ」と笑うアルと、両頬を真っ赤に染めていやんいやんと身悶えるフラン。マークには想像すらできない〝変態の世界〟がそこにはあった。もっとも、フランを見て真っ赤になっているマークは別のことを想像したようだが。
「そ、そう言えば、お二人はご兄妹なんですか?」
 最初に会ったとき、互いに〝兄〟〝姉〟と自称していたことを思い出し、マークは変態達の正気を戻す意味も含めて話題を逸らす。
「ん? ああ、見ての通り、血の繋がりはないけどな。全く、いつまで経っても落ち着かない困った妹分なんだ」
「はぁ? 誰が誰の妹よ。全く、いつまで経っても聞き分けのない困った弟分ね」
 一拍。「あ?」「お?」とメンチを切り合う二人。先程までの仲の良さはどこに行ったのか。
 仲裁するようにマークが聞いてみれば、どうやら、クーゲル造船の創設者であるバン=クーゲルへの、二人の弟子入りの時期が問題となっているらしい。
 アルもフランも両親を幼い頃に亡くしており、それなりに厳しい幼少期を過ごしたようだ。そんな中、当初から飛空艇の速度にこだわり技師の中でも異端児扱いされていたバンと出会った二人は紆余うよ曲折の末、彼の弟子となった。
 最初に弟子入りしたのがフランで、その二年後に弟子入りしたのがアルだ。年齢はアルが二つ上なのだが、フランからすれば弟弟子である。
 つまり、フランはアルを弟弟子として姉貴風を吹かせたく、アルもまた年齢が上ということでフランに兄貴風を吹かせたいというわけだ。
(なるほど、それで互いを弟妹と……。しかし、何というか……)
 一応納得するマークだったが、今なおメンチを切り合うガラの悪い二人を見つつ、内心では首を捻った。本当に、互いに弟妹という認識だけなのだろうか、と。
 問い質してみたい衝動に駆られるマークであったが、深入りすると余り望まない返答がきそうなので堪えておく。今は、それどころではないわけであるし。
 ちなみに、二人の変態思考――もとい、スピード狂の気は、養父代わりであったバン爺さんから受け継いだものらしい。毎日のように迸っていたバン爺さんのパッションに、二人はすっかり洗脳されていたようだ。
 なお、そのバン爺さんは、齢百を迎えた年に、作業所にてスパナを握り締めたまま前のめりに倒れて老衰による大往生を遂げていたりする。
 そんな話を聞きつつ、またマークの家が数代前に一攫いっかく千金を果たした冒険者の家系でアル達の推測通り超金持ちである話など互いの話をしている内に、時間はあっという間に過ぎていった。
 結局、計画通り一度も中継島によることなく、危険な夜間飛行を続けたアル達が、コックピットの風防越しに白み始めた空を確認した頃、遂に目的の島が見え始めた。
「遠目には異常は見当たらないな……」
 巨大な岩石島は、まるで天然の要塞の如く大空に浮かんでいる。巨大な上に突き出した山の如き無数の岩石が視界を妨げるので、一目では異常の有無は判断できない。
「魔力濃度は今のところ異常なし。救難信号も……感知できないわね」
 フランが計器を見ながら唸る。
「しょうがねぇ。警戒しつつ、上空を旋回して目視で捜索するか」
「それしか、ありませんね……」
 アルの言葉にマークは苦い表情で頷いた。セリア達も飛空艇で来たはずなのだ。ならば、飛空艇搭載の救難信号が発せられているはず。それがないということは、飛空艇がその機能すら失った状態である可能性が高いということだ。自然、嫌な想像が脳裏を過ぎる。
 無言の時間が過ぎた。
 《導書院》が即時派遣を躊躇う危険は、まだこの地にあるのか。
 セリア達は無事なのか。
 緊張と集中による張り詰めた空気が機内に漂う。
 下方に峡谷が見えた。島が負った傷のような、蛇行する深い谷だ。全長数十キロにおよび、最深点は九百メートル。幅は平均で百数十メートルといったところ。
 じりじりと時間だけが過ぎる中、遂にアルが声を上げた。
「んん? おい、あれ、飛空艇の残骸じゃねぇか?」
「どこですか!?」
 既に通り過ぎたのか、アルが急旋回して幅が極端に狭くなっている峡谷の上空で滞空した。機体の位置を調整し、目を凝らしてみると、なるほど、確かに飛空艇の一部と思しき金属塊が谷底にチラリと見える。
 よく見つけたものだと思いつつ、マークは残骸を凝視する。
「一部ですから確かなことは言えませんが、姉の飛空艇とカラーは同じです。おそらく船首付近の一部かと。アルさん」
「OK。着陸するぞ」
 そう言って峡谷の中へと高度を落としていくアル。残骸の付近は特に幅が狭く、《アタランテ》の大きさでもギリギリだ。
 思わず、「もう少し広いところに」と提案しかけたマークだったが、心配は杞憂だと直ぐに分かった。
 《アタランテ》は全く危なげなく降下していき、せり出した岩もふらりふらりと機体をゆらして通り抜けていく。一見すると風にあおられているようにさえ見えるのに、その下降の軌跡はまさに最適。アルの手足が操縦かんやフットペダルを小刻みに動かしていることからしても、確実に狙って極小幅の峡谷着陸を難なくやってのけているのだ。
 思わずその技術にマークが唸っている間に、大した振動もなく着陸が成功する。
「マーク。先陣は任せるぜ。俺達も一応護身用に《魔導杖》は持ってっけど、本職の冒険者じゃないからな」
「流石に、スパナで《魔の眷属》は倒せないでしょうし」
「ええ。任せてください」
 腰に下げた剣型の《魔導杖》の柄に手をかけつつ、マークは力強く頷いた。荷物持ちをアルが受け持ち、《魔導盤》などの感知器はフランが担当する。
 タラップを開けて峡谷の地面に足をつけた。水など流れておらず、乾いた岩肌が硬い感触を靴裏に伝えてくる。生物の気配は一切しなかった。
 慎重に、周囲を警戒しながら残骸の方へ視線を向ける。
「こいつはひでぇ」
「どっかにぶつかってへし折れたにしては、妙な壊れ方ね」
 上からでは分からなかったが、機体の一部の他に真っ二つになった機体の船首部分が転がっていた。
 飛空艇の惨状にアルは表情を歪め、フランは機体の断面に訝しむ表情となる。マークは顔面蒼白のまま断面部分から機内へと入った。
「誰も、いませんね」
 最悪の光景を覚悟したものの、機内にはセリアどころか仲間の冒険者達もおらず、マークはホッと胸を撫で下ろす。
「この機体、動力関係が全部後部に搭載されてたのね。それを丸ごと失ったから、救難信号も出せなかったんだわ」
「非常食とか、サバイバルキットがねぇな。後部に積まれてたなら別だけどよ、そうでないなら、ちょいと希望が見えてきたんじゃねぇか?」
 言外に、墜落時に生存者がいたと告げるアルに、マークの顔色も少し血色を取り戻す。
「何かがあって飛空艇は墜落した。姉達は墜落死せず、装備を持ち出してどこかへ行った。考えられる行動は、島の外縁に向かい偶然通りかかる飛空艇を待つか、安全確保のためどこかに隠れるか、ですね」
「でしょうね。私は後者だと思うわよ?」
 言い切るフランにマークは視線で根拠を問うた。フランは機体の断面を指差す。
「見て。この断面、微妙に溶けているでしょ。まるで溶断でもしたみたいに。墜落の衝撃で損壊したんじゃないわ。飛行中に機体を真っ二つにできるような超高熱を浴びたのよ」
「これが《導書院》が警戒する《厄災》の一端か。飛行中の飛空艇を撃墜――十中八九、《魔の眷属》だな。それもとんでもないやつ」
「……なるほど。それほどの存在がいるのなら、まずは少しでも安全な場所に避難するでしょうね」
 機体の断面に険しい眼差しを向けるマーク。三人はそれ以上、機体には手がかりがないと判断し一旦外へ出た。アルがマークに推測を口にする。
「《魔の眷属》から逃げたんだとしたら、おそらく峡谷からは出てないんじゃないか?」
「でしょうね。その余力があったか疑問ですし、隠れ場所は峡谷内の方が多そうです」
「それじゃあ、峡谷内の捜索に絞るってことでOKね」
 方針を立てたアル達は一度《アタランテ》に戻り、セリアの飛空艇が飛んできたであろう方角に向けて捜索を再開した。
「あ〜、くそ。やっぱ魔術で飛ぶのは性に合わねぇな」
「文句言わないの。今は捜索優先!」
 流石に、物理的な飛翔で超低速を維持するのは無理があるので、《論理魔術》による《浮遊》と《飛翔》により峡谷内の飛行をする。
 ジェット噴射のない飛行に不満を垂れるアルだったが、それでも地面すれすれの低空を、突き出した岩などを避けながら飛び続ける技量は感嘆の一言だ。
 そうして、どれくらいの間、捜索を続けたのか。太陽の光が中天に差し掛かる頃、またもやアルが何かを発見する。
 見れば、峡谷の岸壁にある岩石と岩石の間に、極々小さい隙間があった。這っていけばどうにか潜り込めそうな隙間だ。
 普通なら素通りしそうな場所だが、アルの目は千切れた小さな布の切れ端を捉えていた。
 急いで着陸し、穴の傍へ駆け寄った三人。そこには確かに小さな布の切れ端と、僅かながら血痕があった。
「姉さん! いるんですか! 姉さん!」
 穴に頭を突っ込み、声を張り上げるマーク。ずりずりと穴の中へ身を潜らせる。アルとフランも続いた。ランタンの光が洞穴の中を照らす。多少開けてはいるが、アルやマークでは頭を擦りそうな小さな洞穴だ。
 その奥にぐったりと横たわっている人影があった。
「っ。姉さん!」
 慌てて駆け寄るマーク。ランタンの光の中浮かび上がった人影は、やつれてはいるがマークと姉弟なのだと言われれば納得できる美しい顔立ちの女性だった。どうやら間違いなくセリア=リッドルらしい。
「んん……うぅ……マーク?」
「はい、姉さん。私ですよ。もう大丈夫です。助けに来ました」
 ところどころ傷を負っているものの意識を取り戻したセリアを、マークは涙目になりながら抱き起こす。
「マーク……」
「はい、姉さん」
 姉弟の感動の再会。アルとフランも空気を読んで静かに待機だ。セリアは、これが夢幻でないことを確かめるようにマークをジッと見つめると、その水分を失い乾いた唇をそっと動かし……
「焼き肉、食べたいわぁ」
「……取り敢えず、水飲んでください」
 一瞬で冷めた表情になったマークは、手元の水筒をがぼっとセリアの口に突き刺した。目を白黒させながらごきゅごきゅと喉を鳴らすセリア。
 それから後、案の定、食料が尽きて四日近くまともに食べていないセリアに、あらかじめ用意しておいた胃に優しい携帯食を食わせまくると、元々大きな怪我はしていなかったこともあって、セリアは驚くほどの回復を見せた。
「ふぅ……落ち着いたわぁ。ありがとう、マーク。持つべきはシスコンな弟ねぇ」
「誰がシスコンですか。さりげなく誤解を招くようなことを言わないでください」
 どこか間延びした口調が素なのだろうか。何となく緊迫感を削がれたアルとフランが顔を見合わせる。
 空腹が満たされて、ようやく周囲に注意を向けることができるようになったのだろう。セリアがアルとフランに気がついた。
「まぁ、好みの男の子と、巨乳の女の子がいるわぁ。女の子はマークの彼女さんかしら?」
「姉さん。いい加減にしないと、はっ倒しますよ?」
 どうやらこの姉、相当な天然キャラらしい。九死に一生を得たはずなのに、まとう空気が実にゆったりである。本当に死にかけていたのだろうか? 
 何やらチラチラとフランを見ながら姉に青筋を立てるマークを尻目に、アルとフランはリッドル姉弟の言葉をスルーして自己紹介と事情を説明する。
 一通り経緯を聞き終えたセリアは、居住まいを正すとぺこりと頭を下げた。
「危険を承知で請け負ってくれたのねぇ。本当にありがとう。おかげで命拾いしたわぁ。無事に帰れたら、お礼は弾むから期待してねぇ」
「おう、そいつは嬉しいな。貰える礼ならいくらでも貰うぜ。ところで、セリアさん。そろそろ何があったのか聞かせてくれないか?」
「そうね。他のお仲間も捜さなきゃだし、すんなり帰れればいいけど、そうでないなら原因を知っておかないと二の舞になりかねないし」
 個人的追加報酬に瞳を爛々らんらんと輝かせた金の亡者なアルとフランだったが、そこは仮にもプロの運送屋だ。無事に送り届けるための情報を確認する。
 セリアは一瞬言葉に詰まった後、何か恐ろしいものを思い出したのか身震いした。そして、間延びした口調はそのままだが、声音やゆる〜い雰囲気を一変させると、悲痛な表情で口を開いた。
「キャスパー達――仲間の捜索は……不要だわぁ」
「姉さん、それって……」
 言外に告げられた仲間の全滅。マークの言葉に、セリアはぐっと唇を噛み締めて頷いた。
「翼竜の群れだったわぁ。《魔の眷属》、それも、群れの頭は……《黒の破片》持ちだった」
「っ……《黒の破片》」
「マジか……」
「道理で《導書院》が準備に時間をかけるはずだわ。とんだ《厄災》ね」
 マークの表情が引き攣り、アルは天を仰ぎ、フランは溜息を吐いた。
 セリアが遭遇した事態の詳細を語り始める。
 それによると、事が起きたのはこの島に到着して直ぐのことだったらしい。一応設けられている発着場へ向かうため島の上空を飛んでいた際、それは現れた。
 その日は曇天だったらしいのだが、その曇天を突き破るようにして無数の《魔の眷属》である翼竜が襲いかかってきたのだという。
 翼竜は、灰色の鱗を持った体長二メートルから大きいもので五メートルほどの空飛ぶ《魔の眷属》だ。トカゲに翼が生えたような外見をしており、強靱きょうじんな爪牙と鱗を持っている。
 もっとも、ずんぐりした肉体であるから飛ぶ速度はそれほど速くはなく、不意でも打たれない限りは振り切ることが可能であるから、飛空艇にとってはそれほど脅威の存在ではない。大変なのは地面の上で戦う冒険者だ。空を飛べるというのは、それだけで厄介なのである。
 その翼竜が、本来ではありえないことに群れとなって一斉に強襲を仕掛けてきたのだが、本当の脅威は別にあった。
 彼等の上空に王が睥睨へいげいするが如く滞空していた存在。体長十メートルを軽く超える巨体と、黒い瘴気しょうきを撒き散らす漆黒の翼竜だ。
 一目見て、あれはヤバい、早くも調査依頼の目的を達してしまったと直感したセリア達は、即座に反転し逃走に入った。
 が、驚いたことに翼竜達の速度が信じられないほど上がっており、進路上に回り込まれては逃走を妨害され、中々逃げ出すことができなかった。
 セリア曰く、それはまるで、狩りの練習でもしているかのようだったという。
 逃走は不可能と悟ったセリア達は、一か八か峡谷に降りることで逃げ延びようとしたらしい。
 それが起きたのはその時だ。
 セリア達も、正確には何をされたのかは分からない。ただ、まばゆい光が外を照らしたかと思った次の瞬間、凄まじい衝撃が飛空艇を襲い、気がつけば機体は後部を消失。その際に仲間の二人も一緒に消し飛ばされたのだという。
 墜落しながら、セリアと残り二人の仲間は、地面に衝突する寸前で飛び降りつつ風系統の魔術を発動。衝撃の緩和を試みた。結果、セリアともう一人の仲間は辛うじて成功したが、三人目は墜落死。その後、どうにか機内から食料などを持ち出すことには成功したものの、直後には翼竜達に追撃され、セリアを逃がすためにもう一人が囮となった。
「キャスパーの悲鳴を聞いたわぁ。私は運良くこの岩場を見つけて潜り込んだけれど……」
 常にパーティーを組むような間柄というわけではなかった。しかし、必要な時は真っ先に臨時パーティーを組む候補に挙がる程度には信頼関係があった。今までも、度々背中を預け合った戦友であり、友達と言える関係だった。
 それは当然、マークも同じだ。冒険者が危険と隣り合わせの仕事だということは理解も覚悟もしているが、それでも、いざその非情な現実を突きつけられると心が軋む。
 自然、重くなる空気。沈痛な雰囲気が充満する。
「じゃあ、何が何でも生き残らなきゃな。というか、俺達がいるから生き残れるけどな。不幸中の幸いってやつだ」
 重い雰囲気を吹き飛ばすような明るい声音と言葉に、マークとセリアはハッと顔を上げる。
「ほら、帰ろうぜ。生きて帰って、悔やんだり、しのんだりしてやらねぇと。他の友達もいるだろうしさ、集めて、そいつらのこと語らってやろうぜ。生き残った奴の、それが役目ってもんだろ?」
「アルさん……」
「アルくん……」
 まっすぐに自分達を見つめるアルに、マークとセリアは息を呑む。その傍らでは、フランが肩を竦めつつも、同じような力強い眼差しを二人に注いでいた。
 その通りだ。友の死を想うためにも、こんな場所で立ち止まっているわけにはいかない。
 マークとセリアは互いに頷き合った。そして、マークが肩を貸しつつセリアを立ち上がらせる。活力は戻っても、栄養不足による身体能力の低下は直ぐに回復できない。
 それでも、セリアの瞳には生きる者の輝きが宿っていた。
「行きましょう。アルくん、フランちゃん。私達を連れ帰って」
「合点承知」
「お任せあれ!」
 自信満々に請け合う年下の少年少女に、マークとセリアもまた、何となく大丈夫だという思いが湧き上がって微笑んだ。
 洞穴を抜け出したアルは何気なく空を見上げる。太陽は中天に輝き、曇天の欠片すら見えない快晴だ。
「この分だと、やっぱ《破片持ち》の翼竜はどっか行ったみたいだな」
「油断して《アタランテ》に傷でもついたら、あんた放り出すからね」
「誰が操縦すんだよ」
 たしなめるフランの言葉が恐ろしい。もっとも、そう言うフランも晴れ晴れとした空を見上げて少し安心したような表情を見せている。
 軽口、喧嘩、罵り合いは、二人の自然なコミュニケーション。そう理解しつつあるマークは何とも言えない表情を二人に向ける。セリアは、自分を支える弟の表情をチラリと見やり、ついでアルとフランの様子を見やり、おもむろに口を開いた。
「アルくんとフランちゃんは、恋人同士なのかしらぁ?」
 マークがギョッとした表情を姉に向ける。この状況で、あんた一体何を聞いてんの!? と言いたげな表情だ。
 対して、質問を受けた当の本人達は、肩越しに振り返ってキョトンとした表情でセリアを見やった後、互いに顔を見合わせる。そして、互いに指を差しながら再度セリアに視線を向けると、
「まさか。手のかかる妹分だって」
「まさか。世話の焼ける弟分よ」
 と、見事なシンクロを見せて言い合った。そして、いつもの如く「あ?」「お?」と至近距離でメンチを切り合う。
「……ふ〜ん。なるほど。そんな感じなのねぇ」
「姉さん。今、そんな場合じゃないですから。緊張感持ってください」
「失礼ねぇ。これでもすっごく緊張してるわよぉ。さっきまで絶望してたんだからぁ」
 大変、疑わしい。そんな表情を隠しもせず、半眼のまま、マークは姉を引きずりつつ、アルやフランに続いて機内へと戻るのだった。
 異形の飛空艇に、セリアはキョロキョロと機内を見回している。マークは、無理もないと姉の様子に少し笑みを浮かべながら、まさか帰りもあの加速感を味わうことになるのだろうかと少し絶望しつつ、そのことを姉に伝えるべきか悩んだ。
 アルとフランがテキパキと離陸準備をする。《魔導器》が術式《浮遊》を発動させて機体をふわりと浮かせた。
「大丈夫だと思うが、こんなとこに長居も無用だ。峡谷を出たら一気に加速して、ウラル島空域から離脱するぞ」
 アルの言葉にマークは絶望した。
「あぁ、やっぱりあれをやるんですね。姉さん、お覚悟を。帰ったらもう一回、きちんと食べさせてあげますから」
「え? マーク? 一体、何が始まるのぉ」
「とっても気持ちいいことよ」
 困惑するセリアに、フランは輝く笑顔でそう言った。
 降下したときと同じく、ふわりふわりと木の葉が風に舞うが如き絶妙な機体操縦で峡谷を抜け出していくアル。その顔には、「加速するぜぇ、超加速するぜぇ」という興奮が見て取れる。
 やがて難なく峡谷を抜け出した《アタランテ》は、その研磨されたボディを太陽の光で更に輝かせながら上昇し、帰路を滑るように進み出す。
 機体性能故に、あのジェット噴射による加速がなくとも、既にかなり速度が出ている。その速度も利用する気なのだろう。アルとフランの表情がにんまりしていく。
「フラン。ブースター準備」
「圧縮率OK。ノズル異常なし。いつでもいけるわよ」
 フランのサムズアップにアルもサムズアップで返した。マークが神に祈り出した。セリアがもの凄く不安そうにオロオロと視線を泳がせる。
 そうして、遂に、あの超加速が再び行われようとしたそのとき、
 ――ビッ――ビッ――ビッ――
 突如、警報音が鳴り響き、赤の警告灯が輝いて機内を染め上げた。 
「九時方向、熱源! アル!」
「ッ!? んのやろうっ!」
 悲鳴じみたフランの警告が響くのと、アルが機体をほぼ九十度まで立てたのは同時だった。直立した《アタランテ》は凄まじい空気抵抗を受けて一気に減速。あるいは失速するのではと思われた瞬間、アルの操縦により捻り込むようにして機首を下げ、先程の軌道からすると数メートルは下方へと一瞬で高度を下げた。
 人間でいうなら、疾走中に急ブレーキをかけて、しゃがみ込んだようなものか。
 およそ飛空艇ではありえないような妙技。
 それが、結果的にアル達の命を救った。
 次の瞬間、太陽の光とは別の輝きで空が染め上げられた。赫灼かくしゃくたる輝きを放つ真紅の閃光が《アタランテ》の頭上をかすめるようにして通り過ぎ、その衝撃が地震の如く機体を揺さぶる。
「あ、あぁ、そんな、また……」
 怯えと絶望を宿した震える声がアル達の耳に届く。
 それだけで察した。曇天など関係なかったのだ。そいつはずっと、このウラル島に潜んでいたのだ。あるいは、逃がした獲物が這い出てくるのを待っていたのか。
「……でけぇ」
「感知系統の魔術を誤魔化す能力まであるみたいね……」
 コックピット越しに、九時方向へ視線を向ければ、そこには一際大きな岩石がある。大きさはちょっとした山ほどだ。その岩山の向こう側からわらわらと翼竜が飛び出してきた。更に、巨体を誇り瘴気を纏う漆黒の翼竜が、山頂に王の如く佇んでいる。
 緋色の竜眼が《アタランテ》を捉えていた。悪意や敵意といった負の感情を煮詰めたようなおぞましい眼。
 訳もなく理解する。あれは人類にとって不倶戴天の敵であると。
「まぁ、付き合ってやる義理はねぇな」
「こっちはただの運送屋だからね。ぶっちぎるわよ!」
 ノズル収縮。圧縮された魔力が爆発的な輝きをみせる!
「魔術式《圧縮噴射ブースター》――起動!」
 フランのかけ声と同時に《魔導器》が咆哮ほうこうを上げた。
 体が丸ごと後方へと引っ張られるような感覚。座席に押しつけられたマークは「んぎぃいいいいいいいっ」と奇声を上げ、セリアは「くぇええええええええええっ」と怪鳥のような絶叫を上げる。
 ぐんぐんと加速し、下の岩石地帯がただの線のように一瞬で後方へ流れていく。
「熱源反応! 八時方向!」
「当たるかよ!」
 再び放たれた熱線。極太の丸太ほどの太さもある超高熱のレーザーは、漆黒の翼竜が吐き出したもの。本来の翼竜に、物語にあるような《息吹ブレス》を放つ能力はない。流石は《黒の破片》を有する《変異体》といったところか。
 急迫する死の閃光を、アルの操縦を受けた《アタランテ》は機体を傾けると、まるで横滑りでもしているかのように軌道をずらした。直後、船首を掠めるようにして閃光が通り過ぎる。
 速度は僅かにも落とされていない。速度は既に並の高速飛空艇の最高速度に並び、なお上昇中。飛行速度に難のある翼竜が、いくら速くなっているとはいえ、今の《アタランテ》の速度に追いつける道理はない。
 逃げ切れる。そう、思われた。
「ちょっ、おい!? いつから翼竜ってのは高速飛行までできるようになった!?」
「冗談でしょ!? 結構距離もあったのに!?」
 アルは右を、フランは左を見て、それぞれ絶叫した。
 無理もない話だ。何せ、通常の大きさの翼竜達が、高速飛行に入っているはずの《アタランテ》に併走していたのだ。親玉と同じ緋色の竜眼が左右から《アタランテ》を射貫いている。
「まさか、全部《変異体》なのですか!?」
「冗談きつすぎるぞ!」
 翼竜の《変異体》であろう漆黒の翼竜――《破片持ち》のみならず、その子分のような通常サイズの翼竜達まで《破片》はなくとも《変異体》という事態に、アルの表情が引き攣る。
 おそらく、《破片持ち》が何らかの影響を及ぼしたのだろうと推測されるが、それにしても悪夢のような話だ。
「言ってる場合!? 左右、来るわよ!」
 フランの警告と同時に、アルが操縦桿を引いた。機首を上げて空気抵抗により減速し、左右より放たれた小規模な《息吹ブレス》を回避する。
「やられっぱなしは性に合わないわねぇ!」
「遠慮はいらねぇ! やっちまえ、フラン!」
 急激な失速により、挟撃していた翼竜達の背後に回った《アタランテ》の機体下部より、棒状の物体が突出する。正体は飛空艇搭載型の大型《魔導杖》。フランお手製の空対空兵器だ。
 きっと、他の技師がここにいたなら、「一体、何と戦うつもりだったんだ!?」と、そんなものが搭載されていること自体にツッコミを入れたことだろう。
 もちろん、フランはこう答える。
「喰らえ、ロマン砲!」
 十全に機能した《魔導杖》――改め、《ロマン砲》。刻まれた術式は《火炎弾》のみ。ただし、その《火炎弾》には、更に《圧縮》《熱源感知》《加速》《近接反応》《爆裂》など無数の術式が重ね掛けされている。
 その威力、性能は推して知るべし。フランちゃんの頭のぶっ飛び具合も推して知るべし!
 直径三十センチほどの燃え盛る《火炎弾》が、前方を飛ぶ翼竜の一体に直撃した。
「ガァアアアアッ!?」
 炎に包まれながら断末魔の悲鳴を上げて墜ちていく翼竜。
「ヒャッハー! 見た!? 一撃よ! 気持ちいい!」
「ナイスショット!」
 ハイタッチを決めながらゲラゲラと笑うアルとフラン。
「な、なんなのぉ。この飛空艇、一体なんなのよぉ!?」
「姉さん、落ち着いて! 考えちゃダメです! 呑み込まれますよ!」
 変態の世界に。とは流石に言えないマークさん。
 《息吹ブレス》を放ち、高速飛行する翼竜も翼竜だが、そんな《変異体》の翼竜を一撃で仕留めるような空対空兵器を搭載し、信じられないような機動力を見せる飛空艇も飛空艇だ。
 セリアは涙目になりながら座席にしがみつき、半ばパニック状態である。それを必死になだめるマークだったが、次の瞬間には姉弟揃って「うげぇ!?」と声を詰まらせた。
 急速旋回の圧力が意識に強襲をかけてくる。と思った直後には、天地がひっくり返った。《アタランテ》が三百六十度横回転ロールしたのだ。途端、コックピットを掠めるようにして後方から幾条もの閃光が通り過ぎた。
「チッ。仲間がやられたってのに冷静なこった」
「……進路妨害を優先してるわ。逃がす気はないってことね」
 再び放たれた《火炎弾》の術式が、また一体、翼竜を爆炎に包み込み吹き飛ばした。
 しかし、翼竜達の動きに乱れはない。《アタランテ》が空域を脱しないよう、常に進路を妨害できる位置に回り込んでいる。
 そのせいで限界速度に達することができず振り切ることができない。襲い来る閃光に回避を余儀なくされ、速度が殺される。
 セリアが言っていた、〝まるで狩りの練習のようだった〟という意見は、現状からすると実に的を射ていた。
 通常サイズの翼竜はざっと二十体といったところ。《ロマン砲》とてまだ余裕はあれど無限に撃てるわけではない。
「じり貧になる前に、〝あれ〟使うか?」
「振り切れるのは一時よ。追撃されたら終わりじゃない。いくらアルでも、ガタの来た機体で戦闘機動なんて無理でしょ?」
「だよなぁ」
 急旋回、急上昇、急下降。ループ機動、ロール機動。後部座席の姉弟が上げる悲鳴をBGM代わりに、どうにか脱出の方法を探るアルとフラン。
 と、そのとき、アルとフランの状況にそぐわない余裕を見て取ったのか、あるいは一向に撃墜できないことに業を煮やしたのか、気に食わないと言わんばかりに《破片持ち》が動き出した。
 翼を広げ、瘴気を撒き散らしながらはばたき、飛び上がる。そして、胸元から更に瘴気を噴き出すと、それを体に纏い、次の瞬間、凄まじい速度で迫ってきた。
「やべぇ!?」
 アルが目を見開く。迫る《破片持ち》が、纏う瘴気の中に輝きを創り出したからだ。それはどう見ても《火炎弾》に酷似した攻撃性魔術の輝き。それが夜空に輝く星の如く、次々と出現する。
 アルが操縦桿を捻った。機体を傾け一気に下降する。重力加速を加えて速度を更に上げる。迫る岩石地帯にリッドル姉弟が声にならない悲鳴を上げた。
 直後、無数の流星が降り注いだ。
 それを巧みな操作により右に左にと回避しながら、岩石地帯に突入するアル。機体を掠めるようにして、大きな岩と岩の間を通り抜ける。
 迫った《破片持ち》の炎弾が左右の岩を粉砕し、崩壊する大質量の岩が後続の炎弾を呑み込む。
「フランっ、《デコイ》!」
「了解!」
 《デコイ》とは、術式《防壁》と《浮遊》が刻まれた使い捨ての《魔導器》のことだ。これを機体下部より投下することで空中に障害物を撒くことができる。
 狙い通り、アルが避けきれないと判断した分の炎弾は、《デコイ》に衝突して爆発してしまった。
 そびえる岩と岩の間を信じられないような速度でくぐり抜けながら炎弾をしのぎきったアルに、フランから警告が飛ぶ。
 大きく旋回した直後、《アタランテ》の軌跡を追うようにして極大の《息吹ブレス》が襲いかかった。
 邪魔するように立ちふさがった翼竜数体を、速度を落とさず横滑りや機体の傾きだけで回避しつつ、回避しきれないものは絶妙な見極めと阿吽あうんの呼吸でフランが撃墜する。 
 そうして、前方にあった大きな岩山の背後へ回り込めば、それが盾となって《破片持ち》の《息吹ブレス》を防いだ。
 この《息吹ブレス》でアル達を仕留めるつもりだったのか、進路妨害に躍り出ていた翼竜達を気にした様子もなく放たれた熱波により包囲網に穴ができた。
「チャンスだっ」
「《閃光》、いくわよ!」
 一気に加速すると同時に、フランが、強烈な光を撒き散らす術式《閃光》を起動する。もう一つの太陽が生まれたのかと思うほど強烈な光が世界を満たし、一時的に視界の全てが白で塗り潰された。
 その光の中を、帰路に向けて一目散に駆け抜ける。
 閃光が収まったとき、《アタランテ》の隣に併走する影はなく、コックピットに取り付けられている術式《屈折》による背後の映像にも、翼竜達が小さい点となって映っているだけだった。
 どうやら、無事に包囲網を抜け出し、空域の離脱ができたようだ。
 フランは手元のスイッチをポチッとする。《魂の入れ物》が出てくる音がして、直後、後部座席からオロロロロロロ〜〜というあまり聞きたくない音が響いた。
「はぁ、危うく死ぬかと思ったぜ。なんだよあの化け物」
「これは、《導書院》も手こずるかもね。というか、《神剣の騎士》様が出るべき案件よ」
 アルもフランも《黒の破片》を有する《魔の眷属》に遭遇したのは始めてだ。その異常さ、脅威というものを骨の髄まで叩き込まれた気分である。あのような存在、一介の冒険者程度にどうにかできるわけがない。まして、ただの運送屋など論外だ。
「……うぇっぷ。その化け物相手に立ち回った挙句、振り切ったお二人は一体何なんだと言いたいんですが。おぇ」
 《破片持ち》に襲われた以外の理由で青くなっているマークからツッコミが入った。セリアは元の疲労もあってか半分魂が抜けているっぽい。
 そんな後部座席の二人に、苦笑いするアルが口を開きかける。
「大丈夫か? 一応リクライニングシートだからよ、キツかったら倒して――」
「ちょっと、アル」
 言葉をかぶせてアルの袖を引いたフランに、アルの視線が向く。目に入ったのはフランの盛大な引き攣り顔。彼女の視線の先にあるのは、術式《屈折》による機体背後の映像だ。徐々に、徐々に大きくなっていく黒い点。
 咄嗟に、アルは計器を確認した。スピードメーターは限界速度には達しておらずとも、限界値の八割近い速度を確保している。他の高速艇を置き去りにする速度だ。先程併走されたときの三倍近い速度が出ている。
 にもかかわらず、徐々に差を詰めてくる――《破片持ち》。
「……マジで、冗談きついぞ」
「は、ははっ。神に祈る気持ちが、ちょっと分かったかも……」
 乾いた笑い声がやたらと大きく機内に木霊する。一体どうしたのかとコックピットを覗き込んだマークとセリアは、投影される映像を見て「ひっ」と悲鳴を上げた。
「くそったれ! 最大速度!」
「《機雷》、ありったけばらまくわよ!」
 スピードメーターがレッドゾーンに突入する。更に速度を上げ、限界速度に近くなるにつれ機体が悲鳴を上げるように振動を増していく。
 同時に、フランが新たな搭載《魔導器》を使用した。先程の《デコイ》のように宙へばらまかれた使い捨てのそれは、術式《爆裂》が刻まれた空中用機雷だ。《浮遊》の術式と《熱源感知》の術式により、数メートル以内に熱源を感知すれば起爆する。
 全ての《機雷》を放出して数秒。背後から連続した轟音が響き渡った。
「どうだ!?」
「待って! ……効果、ないみたいね」
 威力だけなら《ロマン砲》を上回る爆炎の中を、何事もなかったように突き抜けた《破片持ち》が咆哮を上げた。ビリビリと魂に響くような衝撃がアル達を襲う。
 既にほぼ限界速度。しかし、《破片持ち》は更に距離を詰めてくる。
 それをジッと見つめたあと、おもむろに、アルが落ち着いた声音でフランに語りかけた。
「……よぉ、フラン。技師としては二流の俺が言うのもなんだけどよ、お前は天才だ。《アタランテ》は最高傑作だぜ」
「……なによ、いきなり」
「いや、なんとなく、言っときたくてな。お前が相棒でよかった」
 アルの心情は、手に取るように分かった。覚悟したのだ。逃げ切れない、ということを。
 それはフランも一緒だったのか、横目にジッとアルを見つめると、ポツリと零すように言葉を紡いだ。
「私も、なんとなく言っとくけど。アルは天才よ。操縦に関してはね。《アタランテ》は、あんたがいるから最高になれるの。私達の・・・《アタランテ》よ。……アルが相棒で、よかった」
 フランの言葉に小さく笑みを浮かべ、肩を竦めるアル。そっと拳を突き出せば、同じように微笑んだフランがコツンと当てて応える。
「すまねぇな、マーク、セリアさん。生還を保証してやりたかったんだが、ちょいと厳しいようだ」
「できる限りのことはするけどね。大言吐いたのに、ごめん」
 二人のやり取りと謝罪に、呆然としていたマークは、自分の中で何か呑み込んだように苦笑いを見せると、姉に視線を向けた。セリアも、どこか困ったような笑みを浮かべつつ、マークを見やる。そして、
「いえ、謝らないでください。《神剣の騎士》にも負けないだろう勇敢な戦いを見せてもらいました。お二人とも、最高でしたよ」
「えぇ。こんな経験、きっと他の誰もしたことないわぁ。ありがとう〜」
 取り乱すこともなく、穏やかにそう言ったマークとセリア。アル達と同じく、覚悟は決まったようだ。
 迫る《破片持ち》は、もう直ぐそこまで来ていた。緋色の竜眼がはっきりと見える。確実に射程圏内だ。
 放たれるのは流星の如き炎弾か?
 それとも、極大の《息吹ブレス》か?
 あるいは、まだ見せていない凶悪な何かか。
 結果は……
 いずれでもなかった。
「あ?」
「え?」
 アルとフランが間抜けな声を漏らしながら左側を見た。《破片持ち》が併走していた。緋色の竜眼が、ジッと二人を見ている。
 何故、有利な背後を抜けてわざわざ併走するのか。困惑する二人を横目に、《破片持ち》は更に加速。徐々に前に出ると、遂に尻と竜尾をさらけ出す。
 そして、完全に《アタランテ》の前に出た状態で、ついっと肩越しに振り返った。その目元が不意に細められる。
「……」
「……」
 目は口ほどに物を言う。なるほど、確かにその通りだ。
 アルとフランには、言葉はなくとも《破片持ち》の意思が明確に伝わった。
 すなわち、
 ――己こそ空の王である。
 アル&フラン的意訳。
 ――おっそ〜〜〜い。それで最速とか笑えるぅ。
 その時、マークとセリアは確かに聞いた。ぷちんっという、何かが切れる音を。
「く、くくっ、くははははははははっ!!」
「あはっ、あはは、あははははははははっ!!」
「ア、アルさん? フランさん?」
 突然、タガが外れたように笑い出したアルとフランに、マークが恐る恐る声をかけた。だが、二人はまるで聞こえていないようで、悠然と前を飛ぶ《破片持ち》を血走った目で凝視しながら笑い続けている! 
 普通に怖い! と思ったリッドル姉弟は間違っていない!
 ケタケタと笑っていたアルとフランの眼差しが、据わったものに変わっていく。
「おいおいおいおい、なんだよ。なんなんだよ。てめぇ一体、なんだってんだ、アァ!? たかが羽の生えたトカゲの分際で調子に乗ってんじゃねぇぞ、ゴラァ!?」
「笑えるわぁ、超笑えるわぁ! 勘違いしちゃったトカゲちゃん、マジ笑えるわぁ。っていうか、さっきから誰の前飛んでんだ、アァ!? この畜生風情がっ!!」
 後部座席から「ひぃっ」という悲鳴が上がった気がするが、矜持きようじを傷つけられた二人の耳には届かない。
「フラ〜〜ンッ」
「アイアイサ〜ッ。《超音速飛行専用魔導器》試作一号《カッ飛びくん》、起動!」
 今、〝試作〟っていう不吉な言葉が聞こえたのですが……というマークのツッコミも、やはり二人の耳には届かない。
 フランが何やら操作した直後、《アタランテ》の後部にある二つのノズルの間に、カションカションと機械を鳴らしながらもう一つのノズルが出現した。
 同時に、フランの座席の横からアームが出てくる。天辺てつぺんにボタンの付いたアームだ。何だか押しちゃダメな雰囲気がそこはかとなく漂っている赤いボタンには、〝カッ飛ぶぜ!〟という言葉が印字されている。
 アルとフランの口元が、凶悪に歪められた。同時に、言葉が紡がれる。
「よぉく覚えとけ、クソトカゲ」
「勘違いを正してあげるわ、トカゲちゃん」
 一拍。不意にマークの脳裏に、出発前に見た亀裂だらけの《アタランテ》が蘇った。
 と同時に、空の王たる漆黒の翼竜へ、宣戦布告が叫ばれる。
「世界最速は、俺達だっ」
「世界最速は、私達よっ」
 ドンッと衝撃が迸った。そして、襲い来たのは凄絶な圧力と加速感。出発時の加速など比ではない。まさに爆風に吹き飛ばされるが如き、圧倒的な超加速!
 マークとセリアは悲鳴すら上げられず、意識を保つので精一杯。内臓が潰されると本気で危機感が沸き上がる。アルとフランですら「んぎぎぎぎっ」と苦悶の声を漏らしている。機体に発生している軋む音や振動は、きっと《アタランテ》の悲鳴。
 だが、代償に見合う結果は約束されている。
 一瞬だ。
 並び、そして、追い抜く。
 刹那、目を見開く《破片持ち》と、アル・フランコンビの視線が絡み合った。時間の流れが遅くなったかのような不思議な空間で、アルとフランは、
 ――ドヤァ〜
「ッ!?」
 これ以上ないほどのドヤ顔を見せつける! 心なしか、《破片持ち》が愕然としているように見えた。
 更に、ドンッと衝撃音。《アタランテ》の周囲に白い膜が出現し、それすら突き抜ける。
 全てを置き去りにする――超音速の世界。
 機体の大きさに比べて異常なほど機内が狭かったのは、火器を搭載していたからだけではない。超音速飛行を実現する試作段階の大型《魔導器》に大きく場所を取られていたからなのだ。
 その出力は二機の《魔導器》の数倍。使用すればものの数秒で超音速世界へいざなってくれる。まさに、アルとフランの夢の欠片。
 いくら《黒の破片》を持っていても、生物が出せる速度ではない。
「グルァアアアアアアアアッ!!」
 追いつけない。そう理解した、否、理解させられた《破片持ち》が、まるで受け入れがたい現実に癇癪かんしゃくでも起こしたように咆哮を上げ、顎門あぎとを開いた。
 集束される莫大な熱量。それは《破片持ち》の怒りの具現か。
「クケケケッ。底が知れた、ゼェ! クソトカゲぇ!」
「格がぁ、違うのよぉ! 格がねぇ! ふへっへっへっ」
 加速の圧力に言葉を詰まらせながらも、恍惚の表情を浮かべているアルとフラン。スピード勝負を投げて暴力に走った《破片持ち》を嘲笑し、これでもかと見下す!
 直後、《息吹ブレス》が空を切り裂いた。超音速に突入している《アタランテ》を攻撃できるというのも尋常ではないが、その熱量も先程までとは比べものにならない。
 どうやら《破片持ち》は、相当頭に来ているようだ。
「当たるかぁっ」
 機体が右へ旋回する。途端、《アタランテ》の悲鳴軋みが大きくなった。ついでに搭乗者達も半分白目を剥く。
 根性で意識をつなぐアルは、機体の角度を戻さず、大きく迂回するように進路を変えていく。襲いかかる圧力にセリアは既に意識を手放しており、辛うじて踏ん張っているマークは胸中を疑問で溢れさせる。
 何故、これほど加速できる手がありながら今まで使わなかったのか。
 何故、このまま逃げないのか。
 何故、この状況で二人は恍惚の表情を浮かべているのか……
 フランさん。その表情は女の子としてダメだと思います。風防に反射して見えちゃってますよ……
 マークの疑問の答えは単純だ。この《超音速飛行専用魔導器》――《カッ飛びくん》はあくまで試作であり、技術的問題点がまだクリアできていないのだ。
「フラン! 残りは!?」
「んぐっ、に、二十秒!」
 その一つがこれ。加速時間の問題だ。《カッ飛びくん》は、三十秒程度しか連続起動できないのである。それ以上の時間起動しようにも、あまりの圧力に《魔導器》が自壊してしまう。
 また、機体の強度が追いついておらず、今この瞬間に機体が砕けて空中分解してもおかしくないのだ。
 更に、《魔素燃料》の消費も著しく、一度の使用で深刻な燃料不足を招く。使ってしまえば、もう通常のブースターも使用できないだろう。
 そうすれば、いくら超音速で距離を稼いだとしても、三十秒程度での距離では直ぐに追いつかれ、まともな戦闘機動もできずに墜とされるのがオチだ。
 それ故に、今まで使わなかったわけだが……
 スピード狂を、スピードで挑発してはいけない。変態達は、矜持を傷つけられると後先考えず理性を飛ばして突っ走るのだ。
「ガァアアアアアアッ!!」
 大きな円を描くように旋回していく《アタランテ》を見て、《破片持ち》は滞空状態から《息吹ブレス》を薙ぎ払った。後を追うより当てやすいと思ったのだろう。
 しかし、圧倒的な速度を有する上に、上下にゆらりゆらりと揺れるので、まるで当たらない。炎弾も合わせて放つのだが、まるで風そのものを相手にしているかのように、《アタランテ》はするりするりとかわしてしまう。
 空気抵抗や機体の性能といったものを完璧に把握した上での操縦。
 機体が壊れないよう、急旋回など急激な機動を抑えての飛行術。
 まさに絶技。
 死の光をかいくぐりながら、遂に、アルは狙い通り《アタランテ》の機首を《破片持ち》に向けることに成功した。
「生きてっ、帰るにはっ、これしかねぇ! 頼むぞ、相棒!」
「まか、せなさいっ、相棒!」
 《カッ飛びくん》――起動可能時間、残り五秒。
 ランスを手に対峙する騎兵の如く、大空の下、相対した《アタランテ》と《破片持ち》。
 《破片持ち》が翼を一打ち。咆哮を上げて飛び出した。
 相対距離は瞬く間に消失し、両者は怯むことなく突撃する。
 《ロマン砲》より威力だけなら上の《機雷》を受けても平然としていた《破片持ち》だ。《ロマン砲》を最大出力で撃ったところで大したダメージはないだろう。
 逆に、この状況では《破片持ち》の《息吹ブレス》が外れることは、きっとない。仮に外れても、すれ違い様にどこかに掠っただけで、《アタランテ》は空中分解するだろう。
 だが、アルとフラン。二人のスピード狂の目に絶望の色は皆無!
 それどころか、獣が牙を剥くような、獰猛どうもうで不敵な笑みすら浮かべている!
「「スピードは――」」
 同時に紡がれた言葉。《カッ飛びくん》停止まで残り一秒。
 放たれた灼熱の閃光が視界を埋め尽くす。
「「パワーだッ!!」」
 アルが操縦桿を引く。同時に、フランの手がはしった。
 《アタランテ》が急上昇すると同時に、機体下部から何かが射出された。
 間一髪。《アタランテ》の下方を《息吹ブレス》が通り過ぎる。
 その瞬間、
「ッッ―――!?」
 《破片持ち》が声にならない絶叫を上げた。《息吹ブレス》が虚空に溶けるようにして消えていく。
 上昇から水平飛行へ移行した《アタランテ》に追撃はない。
 互いに背を向けたまま、《アタランテ》は煙を噴き上げながら速度を落とし、《破片持ち》は滞空したまま微動だにしない。否、微動だにできないのだ。
 《破片持ち》の胸部に大穴が空いているが故に。
 その原因は、遥か地上へと落下していく巨大な金属杭と、《黒の破片》だ。
「おぉ。まさか、《黒の破片》を射貫くたぁ、すげぇなフラン」
「いや、偶然なんだけど……。それにしても、私自慢の《魔導杖》より、あんなネタ兵器が決め手になるなんて複雑」
 最後の攻撃。フランは〝兵器〟などと言っているが、やったことはただ巨大な金属の杭を射出しただけである。
 魔術が効かないなら、物理でぶっ飛ばす。超音速状態で飛ばされた金属の杭は、それだけで凶悪極まりない兵器になり得るというわけだ。
「まぁ、なんにせよ」
 未だ、何が起こったのか分からず呆然としているマークと、白目を剥いて魂が抜けかかっているセリアを余所に、アルは片手を掲げた。
 フランがにんまり笑い、同じく手を掲げる。
「俺達の勝ちだ」
「私達の勝ちね」
 パンッと打ち鳴らされた二人の手。
 背後で、ようやく己の死を悟ったかのように、《破片持ち》だった漆黒の翼竜が地へと墜ちていく中、そのハイタッチの音は祝砲のように大空へと響き渡るのだった。


 一ヶ月後。
 《クーゲル超高速超飛空艇超造船所》の前に、不気味な笑い声が響いていた。
「ふへ、ふへへっ」
「くふっ、くふふふっ」
 アルとフランである。おなじみの濃緑色のつなぎを着て、二人並んで自宅兼造船所を外から眺めている。実に嬉しそうだ。喜びが不気味な笑い声になってあらわれるほどに。
 二人の視線の先には、少し前までの今にも倒壊しそうなボロい造船所は存在していなかった。あるのは真新しい看板に、幾分か広さを増した作業所。そして、各種新調した造船設備だ。
 あの事件のあと、《破片持ち》の《変異体》を討伐したとして、二人はリッドル家からの報酬以外にも、《導書院》から報酬を受け取った。その額がまた凄かったのである。
 思い切った二人は、その資金を元に自分達の造船所を改築することにしたのだ。本日、その改築作業が終わり、こうして新生《クーゲル超高速超飛空艇超造船所》を見てにやにやしていたというわけである。
「お二人とも、お久しぶりです」
「嬉しそうねぇ」
 周囲の人達までどん引きして遠巻きにする中、親しげに声をかけてきたのはマークとセリアだった。
 ハッと我に返ったアルとフランは、気軽に挨拶を返す。
「よっ、二人とも」
「久しぶり。今日はどうしたの? 依頼?」
 首を傾げて問うフランに、マークが答える。
「いえ、あの事件が一応の決着を見たのでその報告と――」
「改築中、ずっと休業してたでしょう? 今日から再開って聞いたから、新生クーゲル造船の開業祝いに来たのよぉ」
 そう言って、マークとセリアは食料や飲み物が詰め込まれた袋を掲げて見せた。
 歓喜の声を上げるアルとフラン。
 改築できる程度に懐が温かいのかと思いきや、《アタランテ》の改良費用などにもつぎ込んでいるので、実は既に金欠状態だったりする。このままだと三日後くらいには煮干し生活だったので、嬉しさもひとしおだ。
 相変わらずだなぁ、と苦笑いするマークとセリアを招き、アル達はしばらくの間、ちょっとしたパーティーを楽しんだ。
 お腹も落ち着いた頃、マークが事件のその後を話し始めた。
 それによると、結局、アルとフランが吹き飛ばした《黒の破片》は見つからなかったらしい。また、《変異体》の翼竜達も、散り散りになっていたのを見つけ出し、アル達が報告した数と同数をつい数日前に討伐し終わったらしく、今回の事件は一応の終息を迎えたとのことだった。
「ふ〜ん。まぁ、俺等ただの技師と操縦士だし、討伐関係についてはどうでもいいや」
「その〝ただの技師と操縦士〟が、《神剣の騎士》が出るべき事案を片付けてしまったわけで……。《導書院》からはいろいろ言われたんじゃないですか?」
 興味なさげなアルに苦笑いしつつ、マークが尋ねる。
「そうねぇ。専属技師と操縦士にならないか、とか。いろいろ勧誘されたわね」
「受けなかったのぉ? 《導書院》専属なんてお金もいいと思うんだけどぉ」
 やはり興味なさげなフランに、今度はセリアが問う。
「まぁ、確かに。びっくりするような金額を提示されたわね」
「ああ、すごかったな。ヨダレが出るかと思ったぜ」
 話の流れから、どうやら断ったのだと察し、いつも金欠に喘いでいる二人であるからマーク達は不思議そうな表情をする。
 《破片持ち》で、かつ飛行型の《魔の眷属》を討ち取ったのだ。アルとフランの技量は本物であり、《導書院》もその有用性には目をつけたはず。だとすれば、勧誘もそれなりに本気だったはずだ。
 実際のところ、《導書院》はかなり粘ったと言える。それを、アルとフランは必要時に技術提供するなどの譲歩をしてでも、突っぱねたのだ。
 その理由は、
「お役所の監督下で、なんてやりにくいったらありゃしない。それなら、困った妹分の面倒みながらっていう方がずっとマシだ」
「いちいち指図とかされるの嫌だし。それなら、困った弟分の世話を焼いてやる方が、まだマシよ」
 一拍。いつもの「あぁ?」「んん?」というメンチの切り合いが始まった。
 しかし、出会った当初のように、マークやセリアが呆れたり心配したり、ということはない。むしろ、二人の眼差しはどこまでも生暖かい(マークは少し複雑そうである)。
 それもそうだろう。あの事件の中、二人が最期を覚悟して交わし合った言葉と感情。それを知るマークとセリアからすれば、今のアルとフランの言葉はつまり、
 ――夢を追うならフランと二人で
 ――夢を追うならアルと二人で
 と、言っているようにしか聞こえないのだから。
 まさに〝犬も食わぬ〟である。
「そんなことより、実はこのあと、改良した《アタランテ》のテスト飛行を予定してたんだけどさ。良かったら、二人も乗るか?」
「「え!?」」
 突然のアルの提案に、リッドル姉弟の表情が引き攣る。ついでに青ざめる。
「きゅ、休業していたのではないのぉ?」
「別に仕事はしてなくてもお金はあるんだし、ライフワークに費やしてもいいでしょう? 場所は、公共の船台を占拠――ごほんっ。ちょっと長めに借りればいいだけだし」
 なんというダメ発言。金があればあるだけ趣味につぎ込み、公共施設をしれっと占拠する。何故かドヤ顔しているフランに、マーク達はもう何も言えない。
「えっと、う、嬉しいお誘いですけど、今回は遠慮しておきます。まだ死にたく――ごほんっ。この後、ちょっと用事がありまして。ですよね? 姉さん」
「え、ええ! そうなのよぉ。残念だけど、もう二度と乗りたく――ごほんっ、今回は止めておくわぁ」
 明らかにリッドル姉弟のトラウマになっていた。
 パーティーをお開きにして、そそくさと帰って行くリッドル姉弟。
 二人の辞退に気分を害した様子もなく、アルとフランはウキウキ顔で新生《アタランテ》に乗り込んでいく。
 《魔導器》が唸りを上げていく。二人の夢が、二人を乗せて飛び立とうとしている。
「よし、行くぜ、フラン」
「ええ、行くわよ、アル」
 拳と拳を突き合わせる。不敵な笑みを浮かべ合う。
 轟音と共に、《アタランテ》が飛び出した。
 どんどん加速していく。
 速く速く。何よりも、どんな存在よりも速く。人類未到の領域へ。
 文句なく、異論なく、反論の余地もないほど圧倒的に、世界すら置き去りにするスピードを! 
 〝世界最速〟の称号を! 

ヒストリア=ガーデントップへ