特別国会前夜

 内閣が総辞職した場合、又は内閣総理大臣が欠けた場合、日本国憲法の規定により国会において国会議員から内閣総理大臣を指名する。
 特に、解散総選挙後に開かれ、この首班指名選挙が行われる国会のことを特別国会という。
 2000年。この年に行われた解散総選挙は、与党内の派閥争いに世代交代と与野党の思惑が入り混じって、その特別国会前夜まで情勢がもつれ込んだのである。

「恋住幹事長! 何か一言!!」
「加東派と山口派は明日の首班指名選挙前に造反して野党と組むと言っていますが!?」
「党本部での話し合いは加東元幹事長と山口元政調会長への最後通告というのは本当ですか?」

 総選挙で散々映された笑顔と共に恋住幹事長は立憲政友党本部に入る。
 山口・加東・恋住の三人は立憲政友党の次世代のリーダー格として頭角を表しており、派閥は違えども立憲政友党長老政治に立ち向かった盟友でもあった。
 その三者が敵味方に分かれている。
 党本部応接室で待っていた盟友の加東一弘と山口卓巳に、恋住総一郎はこわばった顔で語りかけた。

「火遊びはここまでだ。まだ引き返せる」
「ふざけるな! 世論もネットを中心に我々を支持している! 野党がまとまり、我々が一致団結すれば政権は取れる!!」

 加東の激高に恋住は淡々と告げる。バーチャルの空気が現実に潰されたその瞬間を。

「その野党が割れた。大沢さんの所の日本自由同盟が分裂する。まもなく記者会見が開かれて日本自由同盟からの離党と新党結成がニュースに載るはずだ。既に我々との連立協議が密かに始まっている」

 恋住は無表情にリストを机に投げた。新党参加者は日本自由同盟所属議員の半分に達しており、加東と山口の両派が離党しても過半数に届くかどうか怪しくなっていた。リストを手にとって山口が睨む。

「これは……本当なのか?」
「ここで嘘を言ってもしょうがないだろう?」

 恋住は突き放す。彼は立憲政友党の幹事長であり、兄貴分であり己の政治生命を助けてくれた林新総裁に恩に報いるためにこの選挙の総司令官として立憲政友党の旗を立てて戦ったのだ。
 だからこそ、彼は盟友二人を敵に回してこの乱の鎮圧に走ったのだ。

「まだだ。まだ目が無い訳じゃない。野党に樺太の連中を足して党内の造反組を増やせば……」
「加東。それを許すと思うか?」

 恋住は背広の内ポケットから別のリストを出してテーブルに投げ、それを見た加東と山口の顔色から血の気が引いた。
 造反。つまり立憲政友党離党の血判状を交わしていた自派閥議員の離党撤回宣言のリスト名は加東派の半分を超えていた。

「ば、馬鹿な……」

 加東の額の汗がリストに落ちるが、加東の手は強く握られたリストから離れない。

「泉川政権で入閣待機組をだいぶ片付けた。そしてこの選挙後の組閣だ。待っていれば大臣の椅子に届く連中が本当に動くと思ったのか?」

 造反して大臣になれるのならば別だが、加東と山口の両派が離党して作られる野党連立政権の場合、大臣の椅子のかなりの部分を野党に渡すことを意味していた。
 大臣ポストは立憲政友党系列の政治家にとってステータスであり、地元の功労者という名誉の為それを欲しがる議員は多かったのだ。
 日本自由同盟からの離党と新党結成も、日本自由同盟所属議員の多くが元立憲政友党に所属していたという背景があり、そこをかつて同じ派閥だった乃奈賀次期幹事長に突かれて一本釣りされたのだ。
 恋住が党内を乃奈賀が野党を担当してこの乱の鎮圧に動き、この二人の連携を加東は読めなかった。それが敗因となる。

「もし、それでも離党するのならば止めないが、金はあるのか?」

 恋住の言葉には抑揚もなく淡々と二人を追い詰める。新党結成となると来年の参議院選挙と次の総選挙ぐらいまでの選挙資金が必要になる。利権は与党に与えられる訳で、ここで離党して野党暮らしをしても日本自由同盟の二の舞になると二人は否応なく悟った。

「……あてはある」

 呻くように絞り出した加東に恋住はとどめを刺す。既に彼はこの応接室に入った時点で勝負を決めていた。

「桂華グループなら動かないぞ。なんで泉川さんがつかなかったのか分からないのか?」

 加東の手から造反者リストがこぼれ落ちる。謀は少数で、は基本だが、彼らは勝った後に接触すればいいと思っていた。渕上元総理が病で倒れた時に密室批判の代名詞となった七家老に橘隆二が入っていた意味を軽視していた。
 事からハブられた桂華グループは勝ち馬には乗るだろうが、負け犬につくほど酔狂ではない。

「0時まで待つ」
「待て! 恋住! 長老支配の打破と立憲政友党を変えると誓ったのは嘘だったのか!?」

 部屋を出ようとする恋住に山口が叫ぶ。恋住は振り返ることも口を開くこともなく応接室を出ていった。

『加東先生は大将なんだから……!』

 0時前、都内ホテルでの記者会見で離党ではなく欠席という選択をした加東・山口の両派のテレビを、恋住は立憲政友党幹事長室から見ていた。
 そこに居た次期幹事長に声をかけて部屋を出ようとする。
「幹事長としての仕事は終わりました。後はお任せします」
「感謝する。我々は林総裁を見捨てない事を約束する」

 数時間前の加東と山口と同じように、乃奈賀の声にも返事をする事なく恋住は部屋を出ていった。