残った酒瓶

「……ったく。全員飲み過ぎだろ」
 アインズニールの目抜き通りにある酒場、その隅のテーブル席でゆっくりと蒸留酒を飲みながら、呆れた顔でゲオルグがそう言った。
 今日、この酒場は冒険者の一団がほぼ貸し切りに近い状態で占拠しているが、そのほぼ全員が酔い潰れている。
 しっかりとしているのはゲオルグと、その対面でジョッキを片手に静かに微笑む青年だけだった。
 甘く優しげな顔立ち、穏やかな表情の青年は、ザラストと言うC級冒険者である。
「確かにそうだけど、仕方ないさ。ニコールが初めて昇格したんだ。ゾルタンも娘のこととなっちゃ、形無しというか……そのお陰で僕たちもただ酒が飲めるわけだけど」
 ニコールとはこのアインズニールにおける冒険者組合(ギルド)の長である組合長(ギルドマスター)ゾルタンの一人娘であり、そして若いながらも頭角を現しつつある冒険者だ。
 ゲオルグも小さな頃から知っていて、たまに冒険者になりたいとは言っていたが、まさか本当になるとは思わなかった。
 というのは、冒険者という仕事が基本的に腕力が求められる仕事であるために、女性にはあまり向いていない、というのが一般的な見方だからだ。
 別になってはいけない、ということは全くないし、なれば完全に実力主義なので、ある意味男女差はないのだが、現実に、生物学的に女性の方が力が弱いものだ。
 なので大成するのは難しい。
 だからこそ、小さな頃は冒険者になりたい、と言っていても成長するにつれ諦めて他の道を目指すのが大半だ。
 ニコールはそんな大半から外れて、そのまま本当に冒険者になってしまった珍しい女性なのだった。
 そんな彼女が、今日、冒険者として初めての級の昇格を迎えた。
 そのことを喜んだ彼女の父であるゾルタンは、知り合いの冒険者に片っ端から声をかけて、酒場でどんちゃん騒ぎを初めてしまった、とこういうわけだ。
 ちなみに酒代はすべて、彼のおごりである。
 誰も遠慮することなく飲み続け、そして今や酒場の中は死屍累々、というわけだ。
「まぁ、そいつは俺にとってもありがたいがな。しかしザラスト、この有様、どうするよ。やっぱり俺たちが処理しなきゃならねぇのかねぇ……?」
 今、この店で正気なのは店員を除けばゲオルグとザラストのみだ。
 そして、酒の席の一番最後までそんな風にしていられる人間には、潰れている者たちを宿や家に放り込んでくる責任が課せられているものだ。
「流石にこの人数となると、家まではね……だけど冒険者組合ならすぐそこだし、そこに投げ込んでくれば問題ないだろう。じゃ、ゲオルグ、仕事に移ろうか」
 ザラストはそう言って立ち上がり、華奢な体からは信じられないほどの力を見せる。
 転がる冒険者を二人ずつ、肩に乗せて口笛を吹きながら店の外に歩き出したのだ。
「相変わらずどっからあんな力が出るんだか……ま、俺もやるか」
 ゲオルグはそう言って、自分も同様に二人ずつ肩に冒険者を持ち上げ、ザラストの後を追った。
 二人で何度か冒険者組合(ギルド)と酒場を往復して冒険者を放り込んできた後、ゾルタンだけは酒場の主に渡しておく。
「支払いはこのおっさんがするから」
 そう言って。
 主も分かったもので、
「あぁ、そう聞いてる。本当は俺たちがやるべきなんだろうが、流石に冒険者を何十人も運べねぇからな……手間かけさせて悪かった。こいつは手間賃だ」
 そう言って、珍しい古酒を渡してきた。
「おぉ、いいのかよ。これって中々手に入らねぇんじゃ……」
「別に構わんさ。二人で飲んでくれ」
 主がそう言ったので、ゲオルグはザラストと顔を見合わせ、うなずき合うと、
「じゃあ、ありがたく……」
 そう言って、受け取ったのだった。

   ◆◇◆◇◆

「……もう半分は、取っておこうか」
 ゲオルグの家で、ザラストがそう言った。
 あれから二人で飲み直すことに決め、ここに来たのだ。
 そして実際に、酒場の主からもらった古酒を静かに飲んでいた。
 それから概ね半分ほどを飲んだところで、ザラストがお開きにしようと言ったのだ。
「まだ酔いは回ってないだろ?」
 ゲオルグがそう尋ねると、ザラストは言う。
「いや、明日は依頼があるからね……ミトス村で魔物討伐さ。流石に二日酔いじゃ行けないだろ?」
「なんだ、そういうことか……じゃあ、帰ってきたときに改めて飲み直そうぜ。あぁ、そのときはレインズも呼んでいいか? あいつ、これ飲みたがってたからな」
「もちろん構わないよ。レインズ、今日は完全に潰れてたからね……これがあると知ったら、きっと悔しがると思うし、彼のためにも残しておいた方が良いだろうね」
 主からもらった古酒は、それだけの一品だった。
 半分残すと言い出したのも、レインズへの配慮だったのかもしれない。
 そして、ザラストは軽い足取りで自らの家へと帰っていく。
 酒場で、そしてゲオルグの家で、かなりの量の酒を消費したはずなのにまるでふらついていない。
「……化け物だな」
 ゲオルグはそう言いながら見送ったが、彼は彼で、相当飲んでいて、にもかかわらず顔には一切表れていないことから、レインズが見たら同じく「化け物」と言っただろう。
 そのレインズもまたゲオルグと同じくらい飲めるのだが、彼の方がお調子者で、数倍のペースで飲み続けたが故の今日の醜態だった。

   ◆◇◆◇◆

「……そんなことが、な……」
 レインズが悲痛な面持ちでゲオルグにそう言った。
「あぁ。あいつ、お前と飲める日を楽しみにしてたぜ。それなのに、なぁ……」
 無念そうなゲオルグの声が森に響く。
 地面に今にも倒れ込みそうな形で座る二人が寄りかかっているのは、巨大な魔物だ。
 多くの切り傷が刻まれ、手足も数本切り取られているそれは、大蜘蛛(グランスパイダー)と呼ばれる魔物の変異種であり、通常のものよりも五倍は大きい。
 それを二人で倒しきったのだ。
 周囲には他にもその大蜘蛛の子供と思しき小さな個体が大量に転がっている。
 いずれも強敵で、今二人が生きているのは奇跡のようなものだった。
 この二人が来なければ、ミトス村はこの蜘蛛の狩り場となり、村ごと飲み込まれていただろう。
 そう、ミトス村だ。
 ザラストが依頼を受けた村。
 そこに彼が旅立ったのは、ほんの数日前。
 そして、永遠にアインズニールには帰らなかった。
 この大蜘蛛に、殺されたのだ。
 ゲオルグとレインズは、彼の弔い合戦に、ここにやってきたのだ。
 そして成し遂げた。
 喜ばしい勝利ではない。
 虚しい勝利だ。
 だが、それでも敵討ちは成った。
 ミトス村も守れた。
 ただ、それでもザラストが帰ってくることはもう、ない……。
 ゲオルグは拡張袋から酒瓶を取り出す。
 そして乱暴に口をつけて、その中身を半分飲んだ。
 それから、レインズの顔の前に差し出す。
「……ほらよ」
「……あぁ」
 レインズは残り半分を飲み干し……それから、声を上げて泣いた。
 大の男が、大声を上げて。
「なぁ……ゲオルグ……お前は、死ぬなよ……」
「それはお前もだ。レインズ。誰よりも長生きしてやろうぜ……」
 ゲオルグの頬に、一筋の涙が流れた。