花火薪のおまじない

  「そういえば奥様、ご存じですか?」
 わたしが暖炉の炎を見つめていると、ニーナが言った。
「ダンピール領には、花火薪の灰を使ったおまじないがあるんですよ。会いたい人の名前を口にしながら花火薪の灰を撒くと、夢の中でその人に会えるんです」
「まあ、ほんと?」
「ダンピールの子どもなら、一度はやってるんじゃないですかね。わたしも小さい頃、亡くなったお祖母ちゃんに会いたくてやりました」
「そうなの……」
 素敵なおまじないだと思ったわたしは、寝る前にやってみることにした。
 火の落ちた暖炉から花火薪の灰をひと掴み手に取ると、それはまだほのかに暖かかった。
 ベランダに出て灰を撒こうとすると、
「リンダ? 何をしているのだ?」
「ルシアン様」
 後ろからかけられた言葉に驚き、わたしは思わず手を開いてしまった。さらさらと灰が落ち、風に飛ばされる。
「あ」
「それは……、灰か?」
 不思議そうなルシアン様に、わたしはニーナから聞いたおまじないについて説明した。
「ほう、そのようなまじないがあったのか」
 ルシアン様は知らなかったようだ。
「すまぬことをした。われが声をかけたせいで、まじないを失敗させてしまったな」
 真面目に謝るルシアン様に、わたしは笑って言った。
「いいえ、大丈夫ですわ。灰を撒いた時、わたしはルシアン様の名前を口にしました。……きっと今夜は、夢の中でルシアン様とお会いできますわ」
 そう言うと、ルシアン様は頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。

 するとその夜、わたしは本当にルシアン様の夢を見た。ただし、
「えっと……、あの、あなたはルシアン様……です、か……?」
 目の前にいるのは、少年のルシアン様だった。
「われを知っているのか?」
 少年のルシアン様は、不思議そうにわたしを見上げた。
 可愛い! とわたしは心の中で叫んだ。ああ、可愛い。わたしの胸にやっと届くくらいの身長に華奢な体つきをしていて、見ようによっては髪の短い少女のようにも見える。めちゃくちゃ可愛い!
 ルシアン様のあまりの可愛らしさに微笑むわたしを見て、ルシアン様はおずおずと言った。
「……そなたは、なぜわれに笑いかけてくれるのだ……? その、われのことを知っているのだろう……?」
 ルシアン様の言葉に、わたしはハッとした。
 そうだった。ルシアン様は子どもの頃から、『災いの血筋』という理由で周囲の人間から疎まれて育ったのだった。
 事実としては知っていたけれど、実際に幼いルシアン様から聞くと、ひどく胸が痛んだ。
 無条件に愛されるべき子ども時代に、他人から笑いかけられることを不思議に思うなんて。
 わたしは身を屈め、衝動的にルシアン様を抱きしめた。
「えっ? え!?」
 じたばたするルシアン様に、わたしは慌てて体を離した。
「ごめんなさい、いきなり」
 顔を覗き込むと、ルシアン様は真っ赤な顔でわたしを見返した。
「な、なぜそなたはわれを……。われは、われは……、災いの……」
「違います!」
 わたしは大声でルシアン様の言葉をさえぎった。びくっと飛び上がるルシアン様に、
「ごめんなさい、大きな声を出して。でも、ルシアン様は『災いの血筋』なんかじゃありません。……ルシアン様が大きくなったら、皆がそれをわかってくれます。ルシアン様は、『災いの血筋』なんかじゃないと。一生懸命、領民を守る素晴らしい竜騎士様であり、領主様であると」
「竜騎士……、領主……?」
 戸惑ったようなルシアン様の顔が、急速に遠ざかっていく。
「待て! そなたは……」
 忘れないで、と言った声は、口に出した瞬間に何かに消され、聞こえなくなった。
 ルシアン様、と呼ぼうとしたけれど、何もかも闇の中に飲み込まれてしまった。

 次の日の朝、わたしは半分、夢の中にいるような気分で目が覚めた。
 というか、あれは夢だったのだろうか。いや、夢には違いないんだけど……。
「リンダ」
 ニーナが来る前に、ルシアン様がわたしの部屋にやってきた。
「どうかなさいましたの? こんなに早く」
「いや……、その」
 ルシアン様は言い淀み、わたしを見た。
「昨夜、夢を見て思い出したのだ。……われは昔、花の乙女に会ったことがある。赤毛に空色の瞳の、それは美しい女性で……」
 そう言うと、ルシアン様は少し赤くなった。
「その花の乙女は、リンダ、そなたにそっくりだった」
「まあ」
 わたしは驚いてルシアン様を見返した。
「うむ、驚くのも無理はない」
 ルシアン様はわたしの反応を違う意味にとらえたようだ。
「われも昨夜まで、すっかり忘れていた。……いや、ひょっとしたらあれは夢だったのかもしれぬ。そうであってほしい、というわれの願望が見せた幻だったのやも」
「違います!」
 わたしは慌てて言った。
「夢じゃありません! ……いえ、夢ではあるんですけど、でも、現実です」
「……どういうことだ?」
 首をひねるルシアン様に、わたしはかいつまんで事情を説明した。
「ですからきっと、わたしとルシアン様は出会っていたのですわ。夢の中で、時を超えて」
「そのようなことが……」
 考え込んだルシアン様は、何かに気づいたようにパッと顔を輝かせた。
「よし、ならばわれも今夜、そのまじないを行う! 幼いリンダにわれも会うぞ!」
「えええ……、いや、子どものわたしに会っても、面白いことなんて何もないですよ」
「そんなことはない!」
 ルシアン様は力強く言った。
「幼いそなたはきっと、天使のように愛らしいに違いない!」
「いえ、ただのやせっぽちの子どもでした」
 わたしの言葉など耳にも入らぬようで、ルシアン様はウキウキしている。
 ルシアン様と違い、幼い頃のわたしは本当にどこにでもいる、普通の女の子にすぎなかったから、ルシアン様ががっかりされないか、少し心配だけど。
 でも、子どもの頃にルシアン様と出会った思い出が増えるのは、とても嬉しい。
 浮かれるルシアン様に、わたしは優しく微笑んだのだった。