休日前日のその日、俺が教室に入ろうとすると中が奇妙にざわついている事に気が付いた。とは言え少なくとも俺は何もやっていないから、何かあったとしたらマゼルだろう、と記憶を確認しつつ入室する。
「おはよう」
「おっす、ヴェルナー」
「ツェアフェルト君、おはよう」
男女問わず軽く挨拶を交わす。俺は一応優等生だし、地味に自習ばかりしているとはいえ、乱暴とかを働いているわけでもないから挨拶ぐらいはする。貴族的な挨拶をしなくて済む分、
別にこの学園では席が決まっているわけではないが、それでも何となくあそこはあいつの席、というような不文律みたいなものができたりする。俺のいつもの席は大体前から三列目ぐらいまでの窓際だ。
「おはようヴェルナー」
「おう。なんかざわついているな」
誰よりも早く教室に来ているらしいマゼルに返答しつつ聞いてみる。するとマゼルは驚いた顔を浮かべた。
「ヴェルナーは知らないの?」
「何を」
「昨日、女子寮に強盗が入ったんだよ」
「はあ?」
おいおい、ここは王都の学園だぜ。そんなバカな。
◆
「で、そんなバカな話がまさかの実話でした」
「誰に何を言ってるんだお前は」
「いや、何となくな」
好奇心むき出しになっているクラスメイトのドレクスラーに誘われて、放課後に俺とマゼルは現場の外まで様子を見に来た。さすがに女子寮には入れない。
「お前は女の子にいい格好したいだけじゃないのか」
「まあまあ、そこはほら、チャンスを逃がさないという事で」
ドレクスラーの台詞にマゼルが笑い俺は肩を竦めた。このお調子者め。
女子寮の前には結構な人混みがあり、男子生徒も少なからずいるほか、王都の衛兵たちの姿もある。結構な大事になっているなあ。そう思っていたら衛兵たちと一緒にいた人の一人がこちらを振り向いて驚いた声を上げた。いや、俺も驚いたが。
「あれ、ヴェルナーじゃないかい」
「お久しぶりです、叔父さん」
姓名はヘニング・スヴェン・リューメリン。一応子爵家当主で母の弟にあたる。
あたるんだが、本当に母と血がつながっているんだろうかと思うぐらいこの叔父は気が弱い。前世で面倒な仕事を押し付けられる気の弱い中間管理職って感じだ。というか、今現在そうなのかもしれない。王都学園での傷害事件とか、面倒だし解決できなきゃ経歴に瑕がつくだろう。本当に面倒ごとを押し付けられているのかもしれないな。
ひとまずマゼルとドレクスラーを紹介すると、人畜無害の笑顔で二人と挨拶して「ヴェルナーと仲良くしてあげてね」とか頼んでいる。何歳だと思っているんだ、恥ずかしい。
「ところでヴェルナー、ちょっと学園の事を聞きたいんだけど」
「いいですよ。俺にも言える事だけでいいんで何があったのか教えてください」
叔父の提案に乗る。せっかくなんで軽く情報交換をさせてもらおう。
◆
この学園では男子寮と女子寮も塀の内側になる学園敷地内にあり、その気になれば数年間の学園生活、学園関係者以外とは一切顔を合わせることをせずに過ごすこともできる。
一方で中には苦学生、と言っても実は貴族としての面子を保たなきゃならない下級貴族の方が大変なんだが、ともかくも苦学生もいるんで時間がある時に働く学生も多い。そういった学生に配慮して、門限と言うものはなく、二十四時間いつでも学園敷地を行き来する事は可能で、門で学生証を見せれば学園に常駐している門番が通してくれる。
で、今回被害者の女子生徒はと言うと、れっきとした貴族家の出身。貴族の中には寮費を払い寮に一室保持しながら、実家に帰ったり寮に泊まったりという貴族学生もいる。
これは例えば実家の貴族家で家庭教師から学園カリキュラム以外のものを学んだりすることもあるので別に珍しくはない。そしてその部屋の学生は、当日に貴族のお友達数人と夕食後にワインで一杯としゃれこんでいたらしい。俺もたまにマゼルたちと飲んだりするから人の事は言えんか。別に飲んだからといって罪にはならないし。
その女子生徒は友人たちと話が弾んだのか夜遅くなってしまい、実家に帰るのは気が引けたのか、ほろ酔いで寮の方の自室に帰ってきた。そうしたら部屋の中に見知らぬ人影がいてタンスを物色中。驚いて思わず声を上げたのはしょうがないだろう。
幸いと言うかその女生徒は怪我をしなかったらしい。ただ、慌てて廊下に逃げ出したところ、犯人は逆にその部屋の扉に鍵をかけてしまい、管理人やら衛兵やらが駆けつけてきて、やっと合い鍵を使って扉を開けたら、室内はもぬけの殻。
「部屋は?」
「三階だそうだよ。窓は開いていたそうだけど」
そこまで聴いてマゼルやドレクスラーと顔を見合わせる。この脳筋世界、肉体的には前世より丈夫だ。特に鍛えている人間ならなおの事。
「三階ぐらいなら飛び降りても死なないよな」
「そのぐらいならな」
「僕も平気だね」
そう言えばゲームだとわざと落とし穴に落ちて下の階に行く
その状況で、騒ぎを聞いて駆けつけてきていた用務員の老人が女子寮の裏手で怪しい人影を発見。呼び止めたら何かの刃物で太腿を突き刺されてしまい、犯人が壁際に植わっている樹木を使って壁を乗り越えるところを見送る事しかできなかったらしい。となると、窓から出たのは確かだろう。
横で怪我人が出たと聞いたマゼルがなんかやる気出しているし、ドレクスラーは興味津々。ついでに言うと叔父さんはなんか助けを求める視線。これひょっとして。
「ヴェルナー、犯人探しをしないかい」
これだ。マゼルが正義感満載で発言し、叔父さんが心底から救われたように溜息をついている。何となくこの叔父は出世しない方が幸せなんじゃないかとさえ思えてきた。
「まあ、できる事なら……」
話を聞いてみようとか余計なことを考えなきゃよかった。どうしてこうなった。
◆
さすがに女子寮の中に入ることはできない。叔父に許可を貰い窓側に回る。女子寮は建物の方向がよくて室内から王都の夜景が見えるようになっているらしい。男子寮の自室からは学園の建物しか見えない、差別されている、とはドレクスラーの弁。
「あそこの部屋だね」
と叔父が指さした窓だけ開かれていて、センスのいいカーテンが風に揺れている。
「真下になる一階と二階の住人は何か言ってないんですかね?」
「一階は談話室で、その時間はもう人がいなかったらしいね。二階は空き部屋だよ」
「もう窓の下の地面は調べたんですか」
「衛兵が来る前に学園関係者が調べていたらしいよ」
ドレクスラーとマゼルがいろいろ質問をしている。叔父はああいう人畜無害な人柄だから警戒されないって利点はあるのかもしれない。
平らな壁面の女子寮を背にすると学園の外壁があり、内側には樹木が規則正しく距離を取って植栽されている。あの木を登って塀を超えたって事か。部屋から王都の景色が見えるという事は外壁近くにあるのはまあ当然。壁の向こうには石畳の道路があり、その向こうに高給品を売る店などの建築物が並ぶ。石畳の道路には足跡はないだろう。
「窓の外に足跡とかは残っていないだろうなあ」
「学園関係者に踏み荒らされているだろうな」
俺の憮然とした台詞にドレクスラーが応じる。俺たちは学園の授業で屋外の狩りをしていた経験があるんで、足跡などを追うという発想も当然ある。
「靴跡を見てみたいんですけど」
「木の下のあたりにまだあると思うよ」
叔父がそう言うので犯人が塀を乗り越えるために使った木の下に向かう。なるほど、むき出しになっている土の上にそれっぽい足跡がまだ結構な数が残っている。美術室になら石膏があるだろうな。
「叔父さん、学園にこのぐらいの箱と石膏を用意してくれるように言ってもらえませんか。箱は枠だけあればいいんで」
「どうするの」
「靴の型をとります」
◆
この世界、靴と言っても手作りだから癖がそれぞれ。もし靴跡に作る際の癖があれば、それだけでも証拠になる。安い木靴でもまったく同じ物はないから何らかの差があれば十分証拠にはなるはずだ。靴のサイズ以外を証拠に残すという発想に叔父は驚いていた。
足跡に石膏を流し込む作業を済ませ、固まるまでの時間を使い塀の外に回り込む。塀は登るのは難しいだろう。というか簡単に登られたら塀にならん。
「どうやって学内に入ったんだろうね」
「梯子で塀を登ったんだろうな」
マゼルの素朴な疑問に応じる。門を突破されたとは考えにくいんで塀を超えたとしか思えない。マゼルとドレクスラーが不思議そうな顔を浮かべる。
「何でそう思う」
「まず、あの木の下の足跡だ。逃げるためにあそこから登ったにしては足跡の数が多い。あの木のあたりから敷地に侵入している」
「でもこの辺りには登るための道具もないか」
そう言ったマゼルに頷きつつ、向かいの店々を眺める。高級店が多いが貴族学生向けのそういう店は意外と早く閉まる。夜間に買い物に来ることの方が珍しいから当然だ。
「つまり、この辺は夜の人通りがそんなに多くない。そして犯人はそれを知っている」
ついでに言うと万一見つかった時の言い訳も考えておく必要があるだろう。塀の外側に張り出している枝を見ながら言葉を継ぐ。
「通行人相手なら枝の伐採をするための予備調査とでも言えばその場は逃げきれる」
「確かに」
「警備員さんとかは?」
「外を見回りする時間を把握していればどうにでもなるだろう」
「なるほど」
そもそも兵の内側ならまだしも、外側を巡回するってあんまりないしな。ドレクスラーやマゼルにそんなことを説明しながら向かいの高級店の綺麗な屋根を確認しつつ、一度学園内に戻ることにする。
石膏が固まっているのを確認して取り外す。綺麗にとは言わんが足のサイズを確認したりはできるし、それ以外の情報も十分だ。
「革靴だね」
マゼルが石膏で採った靴の跡をしげしげと見ながらそう口にする。木靴だと板を押し付けたような格好になるから、足のどこに力を入れたかとかそういう皺のような跡は残らない。革靴だとそういうのが残るんで、これは解りやすいな。
「そう言えば凶器は何だったんですか」
「厚みのある物で突き刺されたようだよ。具体的には何かわかっていないんだが」
「傷口から解る幅や厚みは親指ぐらいですか」
「そうだけど……」
なぜそんなことまで、という表情をされたが、俺から見れば靴跡から読み取れた相手が持っているものを想像すればいいんで、だいたい予想通りだ。
「叔父さん、ちょっと調べておいて欲しい事があるんですが。それと準備のお願いも」
◆
翌日は休日なんで学園はお休み。俺はともかくこいつらまで付き合う義理はないはずだが、準備の整った叔父や衛兵と一緒に、なぜかマゼルとドレクスラーまで同行して建築ギルドに足を運ぶと、そのまま郊外にある新築ではなく増改築専門に作業を行う店舗に向かう。立派な建物だが仕事自体は前世で言う所の工務店みたいなもんだろうか。
「こ、これは何のご用件でしょうか」
ガタイのいい頭領らしい人物が動揺しながら叔父たちを出迎えて来る。この五〇歳ぐらいのおっさんが店主でもあるのかね。まあ衛兵も十人近く来ているし、動揺するのも無理はないか。
「傷害事件の調査にご協力いただきたい。まず全員の道具、特に
衛兵の一人が有無を言わせぬ口調で指示を出し、顔を見合わせた職人たち頭領らしい人が頷くとおとなしく並べていく。数人の衛兵が凶器と同じぐらいのサイズの物だけを選び選り分けた。
一見するとよく似ているが細かく見ると細部が一本一本異なっている。この手の道具は大体が自分専用にカスタマイズされている。職人としてそのあたりは洋の東西どころか異世界さえ問わないらしい。
「これでよろしいですか」
「ええ、じゃあ始めましょうか。扉を閉めてください」
そう言って衛兵に用意してきてもらった袋の口を開ける。中から無数のハエが飛び出した。屋外に出ていけないため、しばらく周辺を飛び回っていたが、やがて
「これの持ち主は」
「わ、私です」
職人らしい人物の一人が前に出て来る。きょときょとと周囲を見回し、見た目からして挙動不審だ。
「靴の大きさを確認させていただきます」
「え、あの……」
問答無用で男を衛兵が捕まえ、足の大きさを調べ始める。
「一致しました」
「よし、中を探せ」
衛兵たちが建物の中を調べ始める。捜査令状とかないからなあ、この世界。荒っぽいと言えば荒っぽい。
「あ、あの、何がなんだか……」
頭領らしい男性が困惑しながらも抵抗するようなそぶりを見せる。それに対しての反応はと言うと。
「ヴェルナー君、説明してくれるかな」
叔父さん、俺に丸投げかよ。いいけどさ。マゼルとドレクスラーに目で合図して、出口の方を塞がせる。
「ハエはその
「血……だって?」
木製の柄と金属部分の隙間などに入った血は簡単には落とせない。また、いくら拭き取ったつもりになっていたとしても、刃などの金属部分には、顕微鏡で見ないとわからないぐらい金属の細かい凹みなどに血の成分が張り付いていたりする。そしてハエの感覚はそれを敏感に感じ取ることができるんだ。
「普通、木材加工に使う
「だ、だとしても、なぜうちの」
「靴跡ですよ」
梯子や足場を多く使う仕事の場合、踵が減らず土踏まずの部分が磨り減る。底まで革でできている靴の場合、土踏まずの部分が梯子の木で擦られてつるつるになっているから特にわかりやすいぐらいだ。日本だと
「女子寮の二階が空き部屋なのも、向かいにある商店の屋根から確認できたから知っていたのでしょう」
女子寮が見える道路越しの商店で、最近屋根の改修工事や雨漏りの確認とかやった店がないかを確認し、もしそういう店があればどこに依頼したのかを調べるだけだ。
「三階まで壁を登れるのもお宅ならでは、ですかね。何でも以前大物貴族の館を改築した際に、
「そ、それは確かにうけとり……」
「ありました!」
血糊のついた衣服を衛兵の一人が掲げている。服も高価だから、焼き捨てるのではなく人の目のないときに洗濯でもして返り血を隠そうとでも思ったんだろう。残念ながら証拠隠滅の時間はなかったわけだな。
「三階の窓から侵入するにしても、魔法鞄で梯子を持ち込めれば難しくないですからね」
あの平坦な外壁で三階の窓までどうやって侵入したのかも謎だったが、飛び降りたにしては、窓の下にその跡がないのは不自然だとは思った。そんな跡があれば踏み荒らしたりはしないだろうし。となると、魔法のあるこの世界なら梯子か何かを誰にも見られずに持ち込んだ可能性の方がよほど高い。
「『不可能を消していくと、最後に残ったものがどれほど奇妙なことであってもそれが真実となる』というわけだ。平民が
前半はシャーロック・ホームズの台詞だな。まあこの世界にはコナン・ドイルはいないから盗作にはならんだろう。
「ヨドーク! 貴様まさか俺の部屋にも勝手に……」
「ひぃっ」
親方らしい人物が怒りの表情を浮かべると、疑われていた男が衛兵を振り切って走り出した。ただそっちは逆にやばいような気がするなあ。俺は知らんぞ。
「ドレクスラー」
「おうよ」
「どけぇ!」
喧嘩慣れはしていないようだ。マゼルの呼びかけに答え、振り回すような拳をドレクスラーが軽く躱してその脚に足払いをかける。態勢を崩した相手の腕をマゼルがつかんだ。
「ふっ!」
綺麗な一本背負いだ。この世界に一本背負いって表現はないと思うけど。ヨドークとか言う男は受け身も取れずに背中から地面にたたきつけられた。
「がふっ……」
蛙が踏みつぶされたような声を上げて男が目を回している。それを見下ろしたマゼルが、何かに気が付いたように手を伸ばす。
「何か持ってますよ」
「あー」
制止しようとした俺の声より早く、マゼルがヨドークが履いているズボンのポケットから顔をのぞかせているそれを引っ張り出した。
女性物の高級下着がひらっと広がった。
「え……ええええぇっ!?」
おお、マゼルのこんな声はものすごく貴重だな。というか、女生徒の部屋に忍び込んでタンスを漁るとか、他に狙うものはないだろうに。
「え、あの、これっ」
「落ち着けマゼル」
真っ赤になってパニック起こしているマゼルがレアリティ高すぎる。しばらく見物したくなったが、他人の目が気になり、とりあえずマゼルの手からそれを取り上げる。しかし、この世界の貴族が使う女性用下着は前世の品物並みに手が込んでいるんだなあ。
「これも証拠品だ。被害者に返してやってください」
叔父さんに押し付けて
◆
結局、あの店にあった
犯人の男は法務部門で裁かれて重犯罪扱い。王都の学園に侵入したんだから当然か。
そしてマゼルはしばらくその件を口に出すと心底嫌な表情をするようになった。マゼルにとって数少ない黒歴史になりそうだな。
ゲーム世界に生きているという事を時々忘れそうになるのは、こういう時に相手が妙に人間臭い行動をとるからだろう。だがこういうのも悪くない、と思ってしまう俺がいる。
「何事もなきゃよかったんだけどなあ」
「本当にね」
外で軽食をつまみながら呟いた俺の意図とは少し違う理由でマゼルが応じ、俺たち二人の声が青空に吸い込まれた。