オーバーラップ文庫4周年記念 弓弦イズル先生書き下ろしSS!IS<インフィニット・ストラトス>その歌声は恋のよう

「執事?」
 まだ夏の暑さが色濃く残るある日の金曜日。
 突然かかってきた電話の相手は、セシリアの専属メイドにしてオルコット家侍女長――チェルシー・ブランケットだった。
『はい。明日と明後日、セシリアお嬢様の付き人として、支えてほしいのです』
 チェルシーいわく、その日はかなり大事な仕事があるらしく、どうしてもセシリアにはサポートが必要とのことだった。
 しかし、本国でオルコット家の当主業務を代行しているチェルシーが、突然皇室に呼び出されたため、予定が狂ってしまったとのこと。
 日本に、現在セシリアを任せられるオルコット家のメイドがいないことから、一夏に白羽の矢が立ったのだった。
「いや、セシリアのサポートっていっても……俺、ただの学生ですし、何もできませんよ?」
『いいのです。お嬢様に必要なのは、心の支え……その点において、織斑一夏様をおいて適任者はいないと言えるでしょう』
「そうはいっても……」
 どうにも気が引けている一夏に対し、チェルシーは小さくためいきをつく。
『お嬢様のこと、織斑一夏様にとっては大切ではないのですね……』
 そう言われて、慌てて一夏は否定した。
「い、いや、そういうわけじゃないです! ただ、俺なんかで務まるのかなって、そういう心配があるだけで……」
『なるほど。自信がない、と?』
 挑発するチェルシー。
 そして、若さ故に一夏はあっさりとその流れに乗ってしまう。
「そんなことありませんよ! セシリアは大切な仲間ですし、俺がばっちりサポートします!」
 思わず立ち上がり、電話越しのチェルシーにそう断言する一夏。
『そうですか。それでは、スケジュールなどはメールで送りますので、お嬢様のことをよろしくお願いします』
「はい!」
『ご機嫌よう、一夏様』
「ご機嫌よう、チェルシーさん!」
 勢いのまま、別れの挨拶をして通話が終わる。
 その一〇分後、一夏は自らの青さに頭を抱え、チェルシーはくすりとほほえんでいるのだった。
「チョロいですね、織斑一夏様」
 夜は過ぎていく。

「さて、と」
 スマホを操作して、セシリアは本日のスケジュールを確認する。
 場所はIS学園正門前。もうすぐ、チェルシーが迎えにくるはずだ。
(まずは懇意にしている取引先への挨拶回り、それから昼食会に、旧華族同盟とのお茶会……)
 思わず、ため息が漏れる。
「退屈ですわ……」
 正直に言って、楽しい内容の仕事ではない。
 ただの顔合わせ、オルコット家の幅広い業務を潤滑に動かすための、儀礼的な付き合い。
 そんなことのために、せっかくの週末を使わなくてはいけないことに、嫌気がさしていた。
「一夏さんと過ごせる時間が全く作れませんわ……」
 ぼやいて、またため息をつく。
 そうこうしていると、オルコット家の紋章がついた、セシリアの日本での専用車がやってきた。
「お待たせしました、お嬢様」
 車から出てきたのはチェルシーではなく、執事服に身を包んだ一夏だった。
 突然のことに理解が追いつかず、セシリアはぱちくりと瞬きをする。
「い、一夏さん!? どうしてここに……というより、その格好は!?」
 驚き、慌てふためくセシリア。
 その反応を見て、一夏自身どうかと思っていた気持ちはより大きくなってしまう。
(やっぱ似合ってないよなあ、この格好……でもチェルシーさんと約束したし、はぁ……)
 一夏が妙に落胆の色を見せたので、セシリアは逆に平静さを取り戻す。
「ええと、一夏さん? ひとまず、状況のご説明をお願いできまして?」
 オルコット家当主としての威厳をとりあえず盾にして、セシリアは平静を装う。
 内心、目の前の一夏に心臓が早鐘を打っていたが、それは表には出さない。
 いつでも尊厳と平静を忘れず、あくまで優雅に華麗であれ――。
 オルコット家の家訓であった。
「ああ、実はな――」
 一夏から一通りの説明を受けたセシリアは、「なるほど」と静かにうなずいた。
(チェルシ〜〜〜〜〜! よ、よくもこんな不意打ちを!)
 忠臣に寝首をかかれたような気分になりながらも、表情はあくまで平静を崩さない。
(でもこれは! もしや……いいえ、もしやしなくとも! チャンスなのではありませんこと!?)
 一日中、一夏が付き添ってくれる。それなら退屈な仕事も楽しくこなせることだろう。
 しかも、移動中はロールス・ロイスの後部席でふたりきりの密室空間。これで燃えあがらない恋心があるだろうか。いや、ない。
「セシリア?」
 一夏がきょとんとした顔で声をかけてくる。どうも、フリーズしたかと思ったら、十八面相を浮かべるセシリアを心配したらしい。
「え、ええ。なんでもありません。もちろん、なんでもありません。だってわたくしはセシリア・オルコット、イギリス代表候補生にして、オルコット家当主! なにか問題があろうはずもありませんわ!」
 なるべく凜々しくみえるよう、意識してそう振る舞う。
 しかし、肝心の一夏はそんなセシリアの決めポーズを見てふきだした。
「ぷっ、ははっ! セシリアのそういうところ、久しぶりに見た気がするな!」
「な、なんですの? い、一夏さん、レディに対して失礼ですわよ!」
「そうそう、その感じ。初めてセシリアが声をかけてきたときも、そんな風に怒ってたよな」
「あ、あれは! その、なんといいますか……もう! 昔のことはよろしいではありませんの!」
 そう言って顔を赤くするセシリア。ついつい一夏に詰め寄ってしまい、その距離の近さを自覚して、より頬の朱色を濃くしてしまう。
「ともかく、チェルシーさんのかわり……とまではいかないにしても、俺がセシリアをサポートする。何があってもそばにいるから、心配するな」
 そう言って自信ありげな笑顔を向けられると、セシリアはもう何も言えなくなってしまう。
 胸がいっぱいで、喜びがいっぱいで、ともかく何か一言でも口にすればぼろが出てしまう。そんな風に思ってしまい、セシリアは無言で車に乗り込んだ。
「って、あれ? セシリア? もう仕事に向かうのか?」
「時は金なり。無駄にする時間は、このわたくしにとっては損失そのもの。一夏さんも急いでくださいな」
 ついつい緩んでしまう顔を見られないようにと、窓の外にぷいっと顔を向けて告げるセシリア。
 しかし、特殊防弾ガラスに映るその表情は、にやけてしまうのをどうにかこらえているという、なんともみっともないものだった。
(こ、この顔を見られるわけにはいきませんわ! 絶対、絶対に!!)
 そんなセシリアの堅い態度に、一夏も気を引き締めて車に乗り込んだ。
 ドアが閉まり、ゆっくりと加速をはじめるリムジン。
 最高級車の後部座席はわずかな振動も騒音もなく、完全なる密室。
 そしてそこにいるのは一夏とセシリア。
 出発してもまだそっぽを向いているセシリアに、一夏はチェルシーに教えられたもてなし術を披露する。
「お嬢様。何か飲まれますか? 喉が渇いていざというときに声が出なくては、当主の名折れ……どうかここは、使用人めの願いを聞き入れてはいただけないでしょうか」
 その紳士然とした言葉遣いと振る舞い、いつもの明るいだけの声とは違う、どこか落ち着きを感じさせる一夏の口調。
 それらにまたしても心臓が跳ねるのを意識しながら、セシリアはこくんとうなずくのがやっとだった。
「それでは、飲み物を見繕わせていただきます」
 何を飲みますかと聞くのはタブー。従者はあくまで訊ねることなく、主人の心情を察して動くもの。
 それはチェルシーにきつく言われた部分でもあった。
『なんといいますか、織斑様は女性の喜ばせかたは心得ていてもいささか無粋……というよりも、デリカシーに欠けるときがございますので、そこは別段注意して振る舞うようにしてくださいませ』
 鉄血のメイド長から言われては、返す言葉もない。
 ひとまず一夏は、後部座席にある冷蔵庫を開けた。
 中には、ミネラルウォーターとノンアルコールカクテル、それから高級炭酸水に天然果汁一〇〇パーセントのジュースとなんでもござれの品揃えだった。
 しかし、一夏は冷蔵庫を閉じた。
 あるものの中から選ぶのではなく、向き合う相手を想像して決断すること。
 それこそが肝要なのだと、一夏は悟ったのだ。
(一夏さんは、いったい何をされているのかしら……飲み物を勧めておきながら、なかなかお出しになりませんけど――)
 そう思ってチラリと視線を向けると、ちょうど一夏の準備が整っていた。
「お嬢様、今日最初の仕事です。まずはあたたかな紅茶で喉の状態を整えましょう」
 そう言って出されたティーカップを受け取り、セシリアはまたうつむいてしまう。
 紅茶の表面には、もうニヤニヤなんだかデレデレなんだかわからないセシリアの顔が映り込んでいる。
(い、い、いったいこれは何事ですの!? あの、一夏さんが! その男心たるや動かざるごと山のごとしと名高い唐変木の極みに座する、あの一夏さんが!? このような完璧な振る舞いともてなし……いくらチェルシーの入れ知恵があったとしても、あまりにも不自然――はっ!? も、もしや、これはわたくしの夢の中、あるいはこの一夏さんは偽物――)
 そんな思いが頭の中をグルグルと巡っていると、また一夏が不思議そうな顔をしてセシリアに接近した。
「お嬢様、ちょっと失礼をお許しください」
 ぴと……と、一夏の額がセシリアの額に触れる。
 その完全密着の状態に、乙女心はショートした。
「熱はないようですが、体調が優れないようですね。それでしたら、午前の仕事はキャンセルしても――」
「い、いえっ! だ、いじょう、ぶっ! ですわっ!? だいじょう、ぶ! 大丈夫ですわ!」
 ティーカップを持つ手が震える。顔はもうごまかしがきかないくらいに真っ赤に染まり、混乱も極まって涙目になってしまっていた。
 とりあえず熱はないことを確認した一夏は、セシリアから離れる。
 その遠ざかりに、セシリアは安心半分残念半分な顔で一夏をじっと見つめた。
(と、とにかく、落ち着きませんと。このままでは業務に差し支えますわ)
 そう思って口をつけた紅茶は、味などまったくわからなかった。

 まずは日本での取引先の挨拶回り。今オルコット家が注目しているのは、日本での伝統文化である着物や和傘の仕入れだ。
 祖国イギリスでも日本文化への注目が高まっている。
 行動力のある人間は日本へと旅行をしているが、そうでない人をターゲットにした本格的な日本文化に触れる機会を作るのが新しい試みである。
 この発想に至ったのは、セシリア自身の心境の変化が大きい。
 最初こそ、極東の島国と侮っていたが、今ではその独自に発展した文化に非常に大きな関心を示している。
 京都に修学旅行で訪れたのも大きいといえる。
 ともかく、一夏への想いはそのまま日本への意識へとつながって、今ではビジネスにまで通じていた。
 この柔軟な心のあり方、そして文化への敬意、なにより商機へとつなげる発想。それらはすべてオルコット家当主としてふさわしい才覚であった。
「……これらのことから、我がオルコット家では、イギリスでの日本文化の紹介とそれを実際に身につけることでの衝撃を伝え、よりよい両国の関係へと結びつけたいと思っております」
 商談相手は、江戸時代から続く老舗の着物問屋である。
 最初はなにか難しい顔をしていた男社長だったが、セシリアの礼節を持った振る舞いに次第に態度を軟化させ、今では新しい市場の開拓に通じる商談を真剣に聞き入っていた。
「なるほど。よくわかりました」
 年は初老でありながら、今なお精力を失わない男社長は何度もうなずいた。
「それでは?」
 セシリアは期待をこめた問いかけをする。
「はい。この商談、まとめる方向で進めさせていただきます。社内の調整などもありますので、のちほど詳しい資料をいただけますでしょうか」
「ええ、是非とも!」
 こうしてつつがなく仕事を取り付けたセシリアは、固い握手をかわして商談相手の会社をあとにする。
 その華麗でありながらも質実剛健な振る舞いに、一夏は感心していた。
(すごいな、セシリア。こういう顔って見たことがなかったけど、やっぱりオルコット家の当主なんだな)
 そう思うと、付き添いが自分ではまずいのではないだろうかという考えが浮き上がってきてしまう。
 どうやらその感情は、微妙な表情の変化として出てしまっていたらしい。
 次の目的地へと向かう車内で、セシリアが声をかけてきた。
「一夏さんがそばにいてくれたおかげで、とても心強かったですわ」
 セシリアがそんな言葉を口にする。
「え? いや、俺、何もしてないけど……」
「そんなことはありません。一夏さんがそばにいるという事実、それだけでわたくしはどのような相手にも堂々と向き合えますもの」
 そういって微笑むセシリア。
 その淑女たる姿に、一夏はついドキッとしてしまった。
「そ、そっか。それならよかった」
 あまりに照れくさくて、一夏はついついチェルシーから送られてきた『執事の振るまいマニュアル』を忘れて素に戻ってしまった。
 けれど、その反応こそがセシリアにとってはうれしくて、同じように年相応の表情になってしまう。
「ふふ。やっといつもの一夏さんですわね」
「えっ、あれ!? 俺、やっぱり変だったか?」
「はい、とても。まるでどこかのメイド長に仕込まれたかのような振る舞いでしたもの」
 すべてお見通しといわんばかりのセシリアの笑み。
 どうやら、最初の仕事を終えたことでセシリアも心の平穏を取り戻したようだった。
「まいったなあ……結構ちゃんとできてるつもりだったんだけど」
「先刻までの一夏さんも素敵でしたけど、やはり一夏さんは一夏さん……いつものお姿こそ、わたくしが――」
 つい饒舌になってしまったセシリアが、うっかりと「好きな一夏さん」という言葉を漏らしてしまいそうになる。
 それをすんでのところで食い止めて、セシリアは咳払いをした。
「んんっ! そ、それでは一夏さん? 次の仕事へと気持ちを切り替えましょう」
「おう!」
 もうすっかり『織斑一夏』にもどった『執事』一夏。
 その変化にちょっぴりもったいない気がしたセシリアだったが、その顔には自然な喜びが浮かんでいた。

「これで、今日の業務はすべておわりです。おつかれさまでした、お嬢様」
 いちおう、締めの言葉は『執事』一夏としてしっかりと行う。
 それから改めてセシリアを見ると、さすがに疲れた様子だった。
「はぁ……これほどのスケジュールを組まれているとは思いませんでしたわ」
 チェルシーの敏腕ぶりは遺憾なく発揮されていた。
 これこそが企みのうちだとは知らず、セシリアも一夏もやっとお務めから解放されたことに脱力してしまう。
「それにしても、本当にゆっくりと食事もできなかったなあ。セシリアはおなかとか空いてないか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
 まるっきりウソだったが、あくまでそこは英国貴族。自身の空腹など表に出さず、優雅な振る舞いを忘れない。
「そっか。それならよかった」
 一夏がうなずいて、新しい紅茶をいれる。
 それを受け取ってから、セシリアはちらりと目の前のお菓子に視線をむける。
(うう、さすがに空腹に紅茶ばかりでは堪えますわね……)
 けれども、気軽にお菓子に手を伸ばしては英国貴族としての威厳にヒビが入る。
 そのお菓子はどれも一流職人が作ったものだったが、今日は鋼の意思で食べたい衝動を抑え込んでいた。
(ガマンガマン……わたくしはセシリア・オルコット。はしたない姿は一夏さんにお見せできません)
 手つかずのお菓子はきっと鈴の胃袋に入るだろうということで、無駄にはならない。
 そして、IS学園に戻るはずの車はまったく見当違いの場所で止まった。
「あれ? ここって――」
 ドアが開き、降車を運転手に促される。
 一夏もセシリアも状況がわからないまま車を出ると、あろうことかそのリムジンはふたりを置いて走り去ってしまった。
「ええ!? ちょっ、ちょっと貴方! いったいどこへゆこうといいますの!」
 セシリアの言葉もむなしく、車はあっという間に見えなくなった。
 その運転席では、初老の男性の変装マスクを脱ぎ捨てたチェルシーがほくそ笑んでいた。
「今日のお務めごくろうさまでした、お嬢様。これはわたくしからのささやなプレゼント……存分にお楽しみください」
 そんな陰謀をセシリアも一夏も知るはずがなく、ふたりともリムジンが走り去った方向をぽかんと眺めるばかりだった。
「…………」
 とくにセシリアは、住宅街の真ん中において行かれるとは思ってもいなかったので茫然自失の状態だ。
 そんな姿の『お嬢様』を放っておけるはずもなく、とりあえず一夏はあるひとつの提案をした。
「とりあえず、寄ってくか?」
「えっ?」
 一夏は後ろを指さす。
 そこにあったのは、夏にも訪れた織斑家の表札。
「セシリア、本当はおなかすいてるんだろ? なんか作るよ」
「えっ、えっ」
「ほら、あがっていけって」
 困惑するセシリアの手を取り、一夏は家の中へとエスコートする。
 またしてもセシリアは夢の可能性を思慮してしまう。
(これは夢ではありませんの? あるいは何かの陰謀……やはりあの一夏さんは偽物!? それならばまずは現状の確認を――)
 そんなことを思っていると、執事服の上にエプロンをした一夏がやってきた。
「セシリア」
「はっ、はい!」
 その姿があまりにも新鮮で、セシリアはつい背筋を伸ばしておかしな返事をしてしまう。
「このまえ、千冬姉が食材の買い足ししてくれてたみたいでさ。ある程度なんでも作れるけど、何が食べたい?」
 一夏は姿こそ執事のままだったが、その上のエプロンによって文字通り上書きされたようで、いつもどおりの立ち居振る舞いに戻っていた。
「そ、そうですわね! そこまで一夏さんがおっしゃるなら、なにかご馳走になりたいですわね」
 一夏の手料理。それを味わうには最高の条件がそろっている。
 空腹。一夏の実家。ふたりきり。
 あまりにもできすぎた状況になにかしらの陰謀を疑う……余地はあったが、それを突き飛ばしたのはセシリアの乙女心だった。
(た、確か日本では『据え膳くわぬばサムライの恥』という言葉がありますし、ここは状況に甘んじておきましょう!)
 こうして『オルコット家当主』セシリアは退場し、『恋する乙女』セシリアが舞台に立った。
 それなら、と。
 ながらくの願望であったことを口にするのも許されるだろうとセシリアは意を決する。
「お、オムレツ……」
「ん?」
「わたくし、一夏さんの作ったオムレツが食べたいですわ!」
 ついつい力強く言ってしまう。
 その言葉にはっとして、隠すように口元に手を当てるセシリア。
 しかし、一夏は笑顔で「了解した」とうなずくと、キッチンへと向かっていった。
(ああ……まるで夢のよう)
 幼い頃からの夢、意中の相手にオムレツを作ってもらいたいという望みが叶ってしまった。
 それはかつてのセシリアがおきにいりだった絵本の一ページ。
 まだ『おねえちゃん』だったチェルシーがよく読んでくれた思い出が鮮明によみがえる。
(ま、まさかこんな風になってしまうだなんて……ああ、夢ならさめないで……)
 それから、料理の音を聴きながら、セシリアは夢見心地で時を過ごした。
 そして、テーブルに並べられるオムレツとサラダ、それにトーストとトマトスープ。それなりに時間はかかったはずだったがそれを待っているのも至福の時で、セシリアはまったく苦にならなかった。
 それどころか、目の前に広がる一夏の手料理の数々に、思わず小さくつばを飲んだ。
「それじゃあ、食べようか」
「え、ええ! でも、あの……」
 ここまで来たなら、もうひとつの夢も叶えたい。
 それは夏の臨海学校のやり直し。
 そう。一夏の「はい、あーん」をして欲しいのである。
(ああ、でも……さすがに欲張りがすぎるかしら……はしたない女だと思われたら嫌ですし……ああでも!)
 千載一遇のこのチャンス、逃してしまうにはあまりにも大きすぎる。
 それならば、賭けにでるのがオルコット流。勝負があるなら打って出るのも一興。そして、打つならば最大火力で一心不乱に全力突撃。御大将が先陣切らねばあとが続かぬ。
 そう、これは戦争。恋は戦争なのだ。
「い、いい、一夏さん!」
「おう」
 勢いよく切り出したものの、言葉があとに続かない。
 後ろがつっかえて、大渋滞の最前線だった。
「た……」
「た?」
「たべさせてくださいまし!」
 ついに言ってしまった。
 セシリアは顔を真っ赤にしながらうつむいてしまう。
 それは恥ずかしさと不安から。
 けれども、一夏の返答に一気に喜びへと変わる。
「なんだ、そんなことか。それならそうと言ってくれれば」
 疲れているであろうセシリアをねぎらうつもりで、一夏はオムレツをスプーンで一口分すくってよこす。
 もちろん、左手を皿にして、万全の体勢で。
「セシリア。はい、あーん」
「あ、あーん」
 耳にかかる髪をかきわけながら、セシリアがオムレツを口にする。
 それはまるで、天国の味がするオムレツだった。

おしまい

©Izuru Yumizuru, OVERLAP/Project IS