『異世界魔法は遅れてる!』すぺしゃるえぴそーど

 放課後になった直後の教室で、それは当然のように勃発した。
 配付物の整理を終えた担任の教師が退室すると、あちらこちらにあった小さなささめきが一斉に起立の音へと変わる。
 そしてそのうちの数人の女子が、ビーチフラッグスばりのスタートダッシュを決めて、ある少年のもとへと詰めかけた。
「黎二くーん! 今日暇だよねー! 駅前でいいお店見つけたんだ。ね? 二人で行こ?」
「なに言ってるのかな。今日遮那は私とショッピングに行くんだよ」
「レイジ、今日、ワタシと、でーとする」
 元気いっぱいなツインテールに、勝気なショートカット、金髪カタコト留学生。机の上に鞄をのっけたばかりの黎二の前で思い思い(?)の誘い文句を投げかけて、身を乗り出している。
 黎二の視界さえ譲りたくはないと、押し合っている姿からはどことなく鬼気さえ感じられた。
「あの、みんな……ちょっと落ち着いて」
 火花を散らし始めた三人を見て、黎二があわあわとしていると、そこへもう一人、女子生徒が勢いよくやってくる。
「ちょっと待ったぁあああああ!」
 三人の中に割って入ってきたのは、黎二の中学時代からの親友である安濃瑞樹であった。
 黎二はちょうどよかったとばかりに瑞樹に助けを求める。
「瑞樹! 助けてくれないか! みんな興奮して落ち着いてくれないんだ!」
「うん。わかってる。……ねえみんな、黎二くんが困ってるでしょ!」
「ああ……ありがとう瑞樹……」
 感極まった声を出すが、しかし黎二が予想した通りにはならなかった。
「ちょっと瑞樹! 邪魔しないでよ!」
「安濃まさか君も……」
「強敵、ミズキ、来た」
「ふっふっふっ……そういうこと。みんなはケンカして黎二くんを困らせるから、ここは間をとって、今日は私が黎二くんと……」
「「「それは駄目」」」
「えー!?」
「…………」
 黎二は内心、「えー!?」じゃないよ……と思っているに違いなかった。これで女の戦いに、瑞樹も加わったことになる。
 黎二はがっくりと肩を落として、途方に暮れる。そして、ふと彼が周囲を見ると、「またやってるよ……」という少し呆れた視線や、一部男子たちの憎悪の視線が集中しているのに気が付いた。
 黎二は苦笑いしか返せない。こうなってしまうと、義妹との約束があるときを除いて黎二には止めることはできないのだから。
 一方、彼らから少し離れた教室の隅にも、黎二たちに視線を向ける者たちがいて――、
「……なぁキジぃ、あそこだけ局地的に爆発しねぇかな。こう、誰かがまかり間違ってバズーカ打ち込むとかさ」
「……奇遇だぜ水明。オレもいま、あそこにだけミサイル五十連発ぐらいブチ込まれればいいと思った。マジで思った」
「だよなぁ」
「だなぁ」
 黎二の席から離れたところから、水明は彼がキジと呼んだ男子生徒――藤井雉丸に同意を求めると、雉丸は水明と同じ死んだ魚のような目で、黎二爆発に同意する。
 今日も今日とて巻き起こった放課後の黎二争奪戦。週に三度は必ず起きる、黎二に惚れた女子による放課後の予定を懸けた戦いだ。
 他のクラスメイトも慣れたもので、この争奪戦を恒例行事として扱っている。声を掛けない、入り込まない、近づかないの三原則を守ればとばっちりは喰わないので、みんな遠巻きにして見守っている。
 黎二が助けを募ろうと辺りを見回すが、誰も視線を合わせない。お前の業はお前で片付けろとでも言うように、視線はおろか顔すら逸らし、四人の美少女に無残にもフラれた一部男子生徒に至っては、彼に恨みつらみの視線さえ向けている。
 すると雉丸が、理不尽さに憤ったかのように黎二に指を差す。
「なんで遮那ばっかりモテるんだ? おかしいだろ?」
「それはあれだ。あそこだけそういう類の神秘が働いてるんだろうな」
「女にモテる神秘ってどんな神秘だよ? 魔女の軟膏でも使ってるのか? それともハーブで特定の女子だけ近づいてくるように仕向けてるのか? 何にしてんだよ教えろよ水明!」
「俺が知るかよ」
「ああああああああああ! 許さねぇええええええええ!」
 雉丸はそれらしい魔術について挙げるが、そんなもの水明の知ったことではない。女にモテる加護――というよりは呪いにでも掛かっているのだろうと、同じ魔術師である(・・・・・・)雉丸にテキトーに告げる。
 それにしてもこの男の狂乱っぷりも、もの凄いものだ。まあ、それも無理ないことなのだが。
 頭を抱えている雉丸当人はそれほど悪い男でもなく、明るい性格の男で、どちらかといえばメガネ男子系のイケメンに入るのだが、どういう因果かこの男、女運が全くない。
 いま黎二を取り合っている四人にもアプローチを掛けたそうだが、全て黎二イベントが発生したあとだったため、やんわり断られて終わったらしい。そのせいで、黎二に対する恨みは相当なものだ。
 雉丸は騒ぎ疲れたか、水明と共に再び死んだ魚のような目を黎二に向ける。
 すると、元気いっぱいなツインテールが押し合いへし合いでバランスを崩したらしく、立ち上がって仲裁に入ろうとしていた黎二に向かって倒れ込んだ。
「わたた、あ……」
 だが大事には至らず、黎二が持ち前の反射神経で受け止めた。
 腕の中に納まったツインテールに、黎二が優しく声を掛ける。
「大丈夫?」
「うん、へーきへーき。黎二くんごめんね……キャッ!?」
 だが、受け止めざま、黎二の手が彼女の胸のところに置かれたせいで、むにゅっとしてしまった。
 黎二は慌てて胸から手を離し、謝罪している。
 当然その現場は、水明たちも見ており、
「マジかっ……おいキジ見たか!? いま黎二の野郎さりげなく触りやがったぞ!」
「このリアルラッキースケベがぁあああああ!!」
 あまりにお約束過ぎる展開に、色めき立つ二人。
 だが、こちらで雉丸の憤りの声が上がる一方、あちらでは平和的に終わりそうだった。
 黎二に胸を触られたツインテールは、「黎二くんのばかぁ」と言って頬を染めつつぷりぷりしているが、まんざらでもない様子である。まさかビンタすら飛ばさない。あのツインテールの中では、そういうトラブルは嫌なことではないのか。
 そうであるなら、他の女子たちも黎二に気を付けろとは言っているが、内心穏やかではないはずだ。
「……見ろよ水明、あの恥じらいの中にある嬉しそうな感情、あれで殴られたり、怒られたりしないんだぜ。嘘みたいだろ……」
「……ああいうの、あまーい感じ、羨ましいなぁ」
 涙ぐむ雉丸と、甘いこととはあまり縁のない水明が羨ましそうに黎二たちの方を見ていると、話がまとまったか、騒ぎが一度収まった。
 ツインテールが倒れかかったこともあり、押し合いへし合いの状況が危ないと感じたのだろう。
 そんな中、不意に黎二が視線を水明たちの方に向けてくる。
「ね、ねぇ、水明たちも一緒にくる?」
 ここでまさかの誘いの言葉である。
 見ると、瑞樹以外の女子三人は、「お前らは邪魔だ」言わんばかりの視線を向けてきている。
 ついて行こうものなら、女子三人からの呪いの視線に堪えることが必須条件だろう。それに耐えられるほど厚かましいメンタルのない二人は、すぐさま黎二に拒否の意を示した。
 今度は女子たちが行き先を巡る争いを始めている。
「…………なぁ水明、一度はあんな風にいっぱい女の子に囲まれて、きゃあきゃあ言われてみたいよなあ」
「だなぁ。憧れるよな、ああいうの」
 それについては水明も同意だった。二人とも異性に興味の尽きぬお年頃。魔術師とはいえ、男の願望はそれなりに持っているのである。
 すると、雉丸が水明を肘でつつく。
「水明。お前瑞樹ちゃんとはどうなんだよ?」
「どうって、どうもなにも友達だが?」
「そうじゃなくて、お前意外と瑞樹ちゃんと仲イイだろ? なあ、実は黎二から瑞樹ちゃんをかっさらおうって計画とかないのかよ」
「なんだその不穏な計画は」
「えー期待。オレ超期待」
 雉丸はいやらしい笑みを浮かべている。
「おかしな期待するな。というか何を求めてるんだお前は」
「くくく、遮那の野郎が知らない間に瑞樹ちゃんを取られてて、気付いたら「ぐぬぬ……」ってなる展開に決まってるだろーが」
「趣味悪! つーか瑞樹に対してそんな感情ねぇよ」
「瑞樹ちゃん、性格いいし、可愛いぜ」
「まあそれは同意するな……」
 水明が素直に認めると、雉丸は怪訝な表情を作った。
「はー? それで、お前くらい仲良くて、付き合ってみよーとかならないのかよ?」
「……テメェご同業のクセによくそんなこと言えるな」
 水明は何を言っているんだという風に、雉丸に非難の視線を向ける。雉丸の言ったことを実行するということはつまり、一般人を魔術師の庭に引っ張り入れる可能性に繋がる。
 魔術師の何たるかを知る者ならば覚悟もあろうが、その相手が完全に普通の人間のパートナーとなると、掛けるその苦労は並大抵のものではない。それを考慮すれば、真っ当な魔術師ならばお付き合いというものには普通二の足を踏まざるを得ないはずだ。
 水明の真意は、雉丸もちゃんと理解しているようで、
「魔術師だから気が引けてんのか。ほー、じゃあ何か。瑞樹ちゃんも魔術師だったらいいわけか」
「う……え、それは、まあ、考えないこともないというか、な……」
 そこは水明もしどろもどろになってしまう。瑞樹はちょっと変わったところもあるが、基本的に優しくて、料理も上手くて、頑張り屋である。もしそうであったら、否定はできない。
「べっつにそんなの気にするようなことじゃないだろー? 勢いにせて寝取っちまえよー」
「……だからそれはだったらの話だろ?」
「ノリが悪いなー。つまんねー」
「…………」
 ぶー垂れる雉丸の子供っぽい煽りに無視を決め込む水明。
 確かに彼の言うように、そうだったら……ということも考えたことはあるが、いまはもうそんなことをしていいはずがないのだ。水明も、以前に瑞樹の気持ちを無下にしたことがある。たとえあれが一時の気の迷いを振り払ったものだったとしても、いま自分が手のひらを返すのは、魔術を使った身の上、天地がひっくり返っても許されることではない。
「それはそうと水明お前、最近道場に顔出してないだろ? いいのか?」
 道場。そう雉丸が言うのは、水明や雉丸が通っている剣術の道場のことだ。
「いいも悪いも、しゃーねーだろうが。悪いのはわかってるけど、出れねーんだよ」
「結社(そっち)の仕事が忙しいのはわかるけど、あまり長い期間道場に行ってないと、いくらお前が古参だからっていっても……ヤバいぞ」
「まぁ、な……」
 耳元でささやくように言われたその通り、確かにマズイ。最近顔を出す機会がめっきり減ったせいで、他の門弟たちから不真面目なのではないかと睨まれているのである。
「俺が出れないことについては、師範(せんせい)は了承済みだ。別に道場に行けなくなることはないから、大丈夫って言えば大丈夫ではある」
「……了承済み? ……おい、まさか朽葉(くちば)先生、お前が魔術師ってこと知ってるのか?」
「そりゃあな。あの人もともと父さんの知り合いだぞ?」
「おい、なんだそれ。初めて聞いたんだが?」
「言ってないからな」
 水明がそういうと、雉丸はぶすっとした表情になる。
「なんで」
「別組織のご同業にペラペラしゃべると思うか? というよりも、俺について調べてるお前なら、もう調べは済んでると思ってたが」
 水明はいつになく、言葉に少々嫌みを込める。雉丸はもともと、他の魔術組織が結社のこと、ひいては赤竜を倒したとまことしやかに噂される水明のことを探るために派遣された修験道系の魔術師だ。
 この地域に来る前から水明のことを調べているため、その程度のことはわかっていると思ったが、
「いや、それについては聞いてないわ。てか何? 朽葉鏡四朗が車椅子の魔術師の知り合いって、なんだどんな繋がりなんだよ。ライバルとかか?」
「ライバルとは聞いてないな。師範(せんせい)は父さんのこと、にいさんって言ってるし、前に相手してもらった時は、指一本触れられなかったって言ってたしな」
「まあ魔術師と剣士だからそりゃそうなるだろうが……あの先生が指一本も触れられないってのは……」
 雉丸は口をへの字に曲げて唸り出す。鏡四朗の実力は、門弟である彼も当然熟知している。日本の内外に名を馳せる剣豪であり、魔術師相手にも引けを取らない実力を持つその男が、指一本触れられないと聞くと、やはりそういう気持ちにもなるだろう。
 それはともかくとして。
「……というか道場が俺んちのほぼ隣にある時点で何か思うだろう普通」
「まー偶然にしてはと思ってたんだが……家族ぐるみで仲イイもんなー」
 そう間延びした声を出したあと、打って変わって声に鋭さを込める雉丸。
「……おい星落とし。オレのことは言ってねぇよな?」
「言ってないが、勘付いてる可能性は高いな。先生だぞ?」
「だろーなー」
 雉丸は「あー」と言いながら肩を落とす。
 雰囲気はいつもの学生である彼のものに戻っていた。
 と、雉丸は何か思い当たったか。
「ということは初美さん、お前が魔術師ってこと知ってるのか?」
「初美が? いや初美は知らないぞ」
「先生は話してないのか?」
「師範(せんせい)もまだ言うつもりはないらしいな。タイミングは俺に任せるってよ」
「ならさっさと話しちまった方が良いんじゃないのか? あんまあとで知ったら怒ると思うぜ」
「俺もそう思う。でも今更話したら、しこたま投げられてから斬り殺されそう」
 初美とは、小さいころからの仲だ。自分が魔術師であるということ以外、ほとんど隠し事はしていない。そのうえでこんな重大なことを黙っていたと知れば、いつもは冷静沈着な彼女でも、烈火の如く怒り出すに違いない。
 そういうわけで、彼女には明かしにくいということがあるのだが――
 水明が難しい顔で額に汗していると、雉丸が恨めしそうな視線を向けてくる。
「……羨ましいヤツめ」
「は? 初美に殺されんのがか?」
「ちがうっての! ……お前もあれだよな。実は遮那といい勝負なんじゃねえのか?」
「何がだ?」
「いや、そんなわけねーか。お前もモテなそうな面してるもんなー」
「おい、なんだよそのお前もって。さりげなくモテない男にするんじゃねぇよ」
「なんだよ。じゃあ訊くがモテまくるくらいの女っ気がお前にあるのかよ?」
「お、おう。俺だって多少は……」
「ほうほうほうほう……?」
 雉丸の顔がどんどんと殴りたくなるようないやらしい笑みへと変わっていく。何を考え付いたのかと水明が訊ねようとした時、彼は急に、黎二たちの方に向かって手を挙げた。
「おーい。ちょっといいかー!」
「な、なんでアイツらを呼ぶんだよキジ」
「まーいーからいーから。うぷぷぷぷぷ……」
 黎二と女の子四人が水明たちの前まで来た。
「藤井くん、どうしたの?」
 瑞樹の訊ねに、雉丸はもったいぶった様子で含み笑いを見せる。
「ふふふ、ここにいらっしゃる美女たちにかしこまってお訊ねしますが――水明のことどう思うー?」
 四人の女子が顔を見合わせる。そして、一番初めに、瑞樹が答える。
「水明くん? 水明くんは水明くんだよ?」
「そりゃあそうだがな……そういう意味じゃなくて」
「……?」
「ほ、他の人ー!」
 雉丸が瑞樹から引き出すことを諦めると、今度はツインテールが可愛らしく小首を傾げる。
「えー、八鍵くん? うーん……地味?」
「う……」
 次いでショートカットがしたり顔で言う。
「目立たない。これと言って感銘を受けるものがない」
「うう……」
 そして最後に、金髪留学生が、首を横に振った。
「はちかぎ? よくわからないネ」
「ぐふぅ……」
 評価は芳しくないというよりも、最低クラス。しかも、留学生に至っては名前すらちゃんと覚えていない。水明は頭をだらりと下げて俯いた。
 瑞樹は「水明くん、がんば!」と声を掛けてくれているが、気休めにもならない。
「……き、キジテメェ」
「そうか。うんよくわかった。お前は黎二にはなれないってことだ」
 がっくりと落とされた水明の肩を、雉丸が元気出せよとポンポン叩くと、一緒になって聞いていた黎二が、苦しすぎる笑顔を作って見せた。
「状況はよくわからないけど、そんなことないよ。水明、大丈夫」
 よくわからないのにそんなことないとは、どういうことなのか黎二。そのグッジョブサインには欠片もほどの大丈夫さもない。フォローを入れるにしても持った何かこうあるだろう。そう言いたい、水明だった。
 すると、また女子たちが水明の評価を始める。
「なんていうか、八鍵くんって斜に構え過ぎっていうか……」
「うん。真摯さが足りないな。男に必要な物がことごとく欠けている」
「髪型が、ちょっと、ムリ」
「でも、他にいいところも……なんかあったかな?」
「考えなければ出て来ないような時点で、ないだろう」
「変なモーソーとか、してそう。コワイ」
「……みんなもうそのくらいにしてあげなよ。水明くんのHPはゼロだよ。ほら……」
 瑞樹が止めるも時すでに遅し。水明は隅っこで膝を抱えて蹲っていた。
「…………キジ、俺、貝になりたい」
「あー、うん、まー、いいことあるって……」
 なだめすかすような笑顔でそういう雉丸は、多少悪びれてはいるのだろうか。エクトプラズムを口から吐き出す水明は、ほとんど死に掛けの状態だった。
 そんな中、廊下から呼び声がかかる。
「おーい、八鍵いるか」
 誰かは知らぬが、水明はいま精神的に死んでいる。
「……俺のことはほっといてくれ」
「おーい藤井ぃー。八鍵のやつどうしたんだ?」
「あー、まーいろいろあって貝になりたいってさー」
「何があったんだよ……」
「それはまあ言うも涙、語るも涙なお話がな……それはそうと、どうしたんだ?」
「ああ、そうそう。おい八鍵、失われた心を取り戻せ。校門ですっげー可愛い子がお前を待ってるぞ」
 その言葉にいの一番に反応したのは雉丸だった。
「なんだと?」
「で、その子がもし教室にいたら呼んできてくれって。どこで引っ掛けたんだよあんな美人、羨ましいな」
 すると、ツインテールが驚きながら、
「へー何? 水明くんカノジョいるんだ。意っ外ー!」
 同意するように頷く他の女子二名。それは黎二の方も同じだったようで、
「そうなんだ。瑞樹知ってた?」
「ううん。初耳だよ。水明くんそんなこと言ってないし」
「だよね」
 雉丸が改めて訊ねる。
「して、その子どんな子?」
「萱女(カヤジョ)のカッコしてたぜ」
「もしや髪長い?」
「おう。長くてサラッサラ。しかもこう……胸もな」
 男子生徒は胸を持ち上げる動作をして、女子に引かれている。一方、雉丸はその女子学生が何者かわかったらしく。
「おいそれ初美さんじゃねぇか!」
「なんだ。雉丸も知ってるのか」
「ああ。まあな…………というかお出迎えだと! ん? でも今日は道場(あっち)は休みだし……」
「なんか食材入った買い物袋両手に持ってたぜ?」
 そこで、いままで死んでいた水明が、思い出したように復活する。
「あー忘れてた! 今日の晩メシ作ってくれるんだった!」
「は?」
「ふ?」
「ぬぁんだとぉおおおおおおおお!?」
 雉丸が絶叫する横で、瑞樹が手を叩く。
「あ! そういえば水明くん幼馴染の女の子が時々ごはん作ってくれるって言ってたよね!」
 水明に掴みかかる雉丸。
「おい水明お前! 初美さんの手料理食ってるのか! 今日も食うのか!」
「あいつ昔っから料理すんの好きだから、その実験台でな。いまもちょくちょく。それで、今日も作ってくれるって」
 とは、まあ表向きの話。本当は父親が亡くなってから水明の食生活が心配だからと言って、作りにきてくれるのだ。
「貴様ぁー!」
「なんでお前泣いてんだよ……」
 と、水明が呆れていると、どういうわけかまた、廊下から声が掛かった。
「おーい、水明いるかー」
「なんだ今度は……」
 水明がぼやくと、ひょうきんそうな男子生徒が引き戸の裏から顔を出した。
「おい水明、正面玄関でお客さまがお待ちだぜぃ」
 雉丸は落ち着いたか、水明の襟から手を離す。
「くっ、今日はお前に千客万来だな」
「二人しかきてないだろ」
「学校に二人もくりゃあ充分だろ。で、お客様って?」
「聞いて驚け! なんと女の子だぜ。しかも外人だ。外人。金髪碧眼、くぅ〜!」
「くぅ〜! じゃねえよ。……てか、外人?」
 そう訊ねながら雉丸が水明の方を向くと、水明は小首を傾げる。
「まあ外人の知り合いはそこそこいるが……誰だ……?」
「ちょっとギャルっぽい感じで、可愛いかったぜ」
「あん?」
「そんで猫連れてた」
「猫って……」
 結社の本拠がドイツにあるため外国人の知り合いはそこそこいる水明だが、猫を連れていると聞けばそれは一人しか考えられない。しかし、まさか彼女がこんな日本くんだりまで来たのか。一体どうしたのだろうと頭を悩ませるが、彼女が赴く用事は思い当たらない。
 ふと横を向くと、雉丸の眼が射殺すようなものへと変わってきていた。
 ひょうきんそうな男子生徒が、水明に訊ねる。
「なぁ水明。彼女のお名前は?」
「聞いてどうすんだよ?」
「いーだろそれくらい教えろよ」
「教えてどうすんだよ……イスリナ・クーランジュっていうんだ」
「イスリナ!」
 そこで反応したのは、同じく金髪の留学生だった。
 ショートカットが訊ねる。
「知ってるのか?」
「最近イングランドで活動してる雑誌のモデル。可愛いけどギラギラしてるところが、人気で。アメとネコが好き」
「ふーん。水明、そんな有名人と知り合いなんだ?」
「あーうん、まーな……」
「くぅー! 羨ましいぜ。俺が「君、水明の彼女?」って聞いたらさ、彼女、頬を赤らめて『べ、別にあんなヤツのカノジョじゃねーし! ちょっと仲イイだけだし! 全然違うし!』……って言ってめちゃくちゃ取り乱して全力否定! だが、あの態度は間違いない! あの子はお前にぞっこんラブと見た!」
「あ、うん、そ、そうですか……」
 水明は顔を真っ赤にして俯いた。免疫のない水明はどう反応していいのかわからない。
 すると、また廊下から。
 今度は女子生徒の声が掛かる。
「八鍵ー! いるー?」
「これって……」
「もしかして……」
 黎二と瑞樹が顔を見合わせる。
 雉丸の顔が恨みを増してひどく歪んできた。
 おかしな状況になっているのを目の当たりにした女子生徒が、不思議そうに首を傾げる。
「これは、どしたの……?」
「どうしたもこうしたもない! この男がっ! 水明がっ!」
「は……?」
 喚く雉丸を尻目に、水明が予想を告げる。
「もしかして、俺に用がある女の子がいるとか?」
「よくわかったわね。なに? このあと彼女と約束してたの? 地味な顔してあんたやるじゃん!」
 さりげなく酷いことを言葉に織り交ぜつつ、肩を叩く女子生徒。
「地味言うな地味。つーか、今度は誰なんだよ……」
「あたしが知るわけないじゃん。八鍵の知り合いでしょー」
「どんなヤツ?」
「外人さんで、お人形さんみたいに肌が白くて可愛いらしい子」
 その特徴に当然の如く思い当たりのある水明は、他の特徴を挙げてみることにする。
「一人称はボク? 黒髪? マジック見せてくれた?」
「イエス、ザッツライ!」
 大当たりというように指をビッと差してくる女子生徒に、しかし水明は怪訝そうに眉をひそめる。
「マリーか。アイツ一体どうしたんだ? 用がある時は必ず連絡寄越すのに……」
 マリー。ハイデマリー・アルツバイン。結社で水明と一緒に魔術関連の仕事を片付けたり、研究をしたりする水明のパートナーだ。日本に来るのも珍しい少女なのだが……。
 気が付くと、視線が集っていた。
「ど、どうしたんだよお前ら?」
 怪訝そうな視線を向けてくる一同に訊ねると、ショートカットが代表して、非難の入った胡乱げな言葉をかけてくる。
「まさか八鍵、三股でもしてるのか?」
「――へ? いやいや、ちがうっての。人聞きの悪い。みんなただの友達だって」
「どうも状況的にそうは思えないが?」
「どうして?」
「どうして? ご飯を作ってくれる幼馴染みや、外国からはるばる訪ねてきた子たちがいるんだぞ?」
「そ、そういうこともあるだろ!?」
 水明が焦ったように言うと、他の面々が一斉に、
「ないかなー」
「ないな」
「ナイ」
「ねーよ!」
「うん、ないかな」
「ぼ、僕もないと思うな……」
「う……」
 水明が言葉に詰まっているとツインテールが、
「ほんとにただの友達なの?」
「ホントだ!」
「じゃあ、早く行ってあげたら?」
「あ、ああ」
 水明はぎこちない返事をする。だが、彼女たちがここにいるということは、みな自分に用があるということだ。つまり、順当にいって、三人は接触する。
「どうした? 行かないのか?」
「…………」
 水明は歩き出そうとするが、何故か足が動かない。まるでこの先に途轍もない困難が待ち受けているのを身体が敏感に感じ取っているかのように、脳の言うことを身体が聞いてくれなかった。
「……なぁキジ、いまここでとんでもないことが起こってる気がするんだが」
「知らねぇよこの裏切り者が!」
 言い知れぬ冷や汗がとまらない水明だった。
(おわり)